中国迷爺爺の日記

中国好き独居老人の折々の思い

動物の子ども

2011-02-10 10:31:45 | 身辺雑記

 動物の子ども、とりわけ生まれてしばらくの幼児はとても可愛い顔つきをしている。イヌやネコなどはもちろん、ライオンやトラなどの野獣の子どももまるで縫いぐるみのように可愛く、これがやがては顔つきも獰猛になっていくとは思えないくらいだ。もっとも魚類や両生類、爬虫類の子どもは可愛いとは言えない。カエルの子のおたまじゃくしは顔つきを見ても可愛い部類には入るが、哺乳類とはちょっと違う。鳥の子どもには鶏や鴨のように可愛いものがいるが、野鳥の雛にはひどく醜いのもいる。やはりほとんど例外なく可愛いのは哺乳類の子どもだろう。もっとも人によっては、イカの子どもであろうと何でもちんまりしているのはすべて可愛いと思う人もいるようだ

 

 長男の家族と昼食をとったときに女子大生になっている孫娘に「動物の子はなぜ可愛いのかな」と言ったら、「大人から攻撃されないためよ」と答えた。この説はこれまでにも聞いたことある。動物の子どもがかわいく見えるのは、主に同種の大人から襲われないようにするためのデザインだというわけだ。もっとものようにも聞こえるが、実際には幼獣が成獣に殺されるという例はライオンなどにはあるようだし、それに動物が、私達が子どもを見て「可愛い」と思うのと同じ心情があるのだろうかと疑問にも思う。

 

 野生動物が成獣になると顔つきが厳しいものになるのは、環境のせいでもあるだろう。イヌやネコは大きくなっても可愛い顔立ちのものはいるが、ノラになるとかなり目つきが悪い。家の近辺で時折、我が家のミーシャと体つきも毛並みもそっくりなネコを見て、はてなと思い名前を呼ぶことがある。そうするとこちらを警戒するように見つめるのだが、その目を見て、ああノラだったかと気づき、ミーシャもノラになっていたらこんな目つきになったのだろうかと思う。動物の子どもが可愛い(とくに目)のは、まだ浮世の風にさらされていないからかも知れない。

 

 


珍味2種

2011-02-08 12:30:06 | 身辺雑記

 前にも書いた、鮭の腎臓の塩辛のメフンが気に入ってから、改めて珍味類に興味をもち、読んだ本からの刺激もあって取り寄せてみた。

 

としろ

 岩手三陸海岸産の鮑の肝の塩辛。見た目は少々グロテスクでもあるが味は濃く、磯臭い香りが口中に広がり美味である。少々癖はあるが酒肴としては喜ばれるだろう。腸も一緒に漬け込んであり、これは歯ごたえがある。「としろは7回以上洗うこと」と伝えられているとかで、砂抜きが大変なのだそうだ。

 

      

 

  

サンマの熟鮓(なれずし)

 小泉武夫『くさいはうまい』(文春文庫)の「熟鮓」の項に次のような記述がある。

 

 新宮市に東宝茶屋という料亭があり、ここには「食の化石」あるいは「食の世界遺産」とでも表現したいほどの珍味中の珍味があります。サンマの熟鮓を三十年も寝かせた「本熟(ほんなれ)」がそれで、粥状に溶けたサンマや飯があたかもヨーグルトのような様相と風味を呈しています。私はこれを初めて口にした時、熟鮓の素晴らしさの原点に触れたような思いで感動したものでした。

 

 これを読んで、サンマの本熟にむらむらと興味が湧き、新宮(和歌山県)の東宝茶屋に電話して取り寄せた。

 

      

 

 送られてきたものを見ると、なるほどヨーグルトのようにどろりとしていて、溶けかけた皮や身の一部があるのが見える。嗅いでみると発酵臭はそれほど強くない。箸の先につけて舐めてみると軟らかい酸味があり、食欲が湧いてくるようだ。期待していたとおり旨く、酒の肴にするとよいことは私のような酒をほとんど嗜まない者にも分かった。

 

       

 

      

 


名前

2011-02-06 08:34:57 | 身辺雑記

 この世に生を享けたことは、自分自身の選択ではないし、親も選べるものではなかった。それに親がつけてくれた名前も自分が選んだものではない。あまり好きでなかったり、縁起を担いで名前を変えることはできないこともないが、戸籍上の名前を変更するのはなかなか難しいことだから、変えても通称くらいにとどまってしまう。

 

 私の名前は「亮(りょう)」と言う。幼い頃、私はこの名前が好きではなかった。今からすると偏見でしかなかったが、当時は日中戦争のさなかで、この一字の名前が中国人(当時はシナ人と呼んでいた)のようだからと思ったからだ。今では「諸葛亮、字は孔明の亮」だからとまんざらでもない気分になるから現金なものだ。

 

 「りょう」以外に「あきら」と呼ばれることもあったが、元来は「亮」は「明らか」という意味だから間違ってはいない。大学生の頃、植物学の教授の授業で最初に出欠をとるときに「すけ」と呼ばれた。これも武士の名に「○○亮」というのがあるので誤りではないが、「すけ」だけでは様にならないから、友人達は失笑し、私は几帳面に「りょうです」と言った。

 

 呼び方よりも書くほうではずいぶん間違えられた。だいたい相手の名前を書き誤るのは失礼なことなのだが、私の場合はよく「亨(とおる)」とか、「享(きょう)」とか書かれる。高校の教師だった頃、担当していたクラブの生徒が寄越した年賀状には「亭」とあって、何だか寄席か何かみたいだと笑ってしまったことがある。その生徒からは今も年賀状がくるが、さすがに間違ってはいないが、いつも「亭」を思い出してしまう。

 

電話で名前を伝える時は「鍋蓋の下に口を書き、その下に片仮名のワ、その下にカタカナのル」と言うと、正確ではないがイメージとしては分かってもらえる。「俳優の田村亮の亮です」ということもあり、これもだいたい通じる。中国ではいささか面映いが「漂亮ピャオリャン(美しい)」の「亮」と説明する。

 

 何年か前に、私の上司だった人から著書が送られてきた。ぱらぱらページをめくると在職中の自分の「業蹟」をまとめたもので、さして興味は惹かれなかったが、見開きを見ると「進呈」とあって私の名が記されていて、それが「亨」になっていた。この人の元で働いたのは10年以上にもなる。それなのにこれかと鼻白んでしまった。この人にとっては私は所詮この程度の者だったのかと思い、本はごみ箱に放り込んでしまった。

 

 


不用品の処理

2011-02-04 14:05:57 | 中国のこと

 西安の謝俊麗の息子の撓撓(ナオナオ)は2歳4ヶ月、可愛い盛りだが好奇心も旺盛な時期らしく、特に本が好きで毎日のように俊麗に本を読んでくれとせがむようだ。俊麗も時には絵本を4、5冊も買って読んでやるようだが、撓撓は気に入ると何度も繰り返し読むように要求し、大変だと言っていた。

 

 絵本もだいぶ溜まっただろうし、始末に困るだろうと聞いたら、「壊れて(破れて)いないのは売るよ。ヒヒ」と書いて寄越した。(俊麗は何かおどけたような時には「ヒヒ」と言う。)売るとはなかなかしっかりしているなと思ったが、どうやって売るのかと聞くと「西安母親ネット」というのがあって、そこに売りたい不用品と希望値段を書き込んで応答を待つようだ。写真も貼り付けるのかも知れない。そうやって前に撓撓が生後半年くらいの時に使っていたベビーカーを30元(約400円)で売ったと言った。あまり傷んではいないだろうし、長く使うものではないから、30元なら買うほうもいい買い物をしたことになる。安いから問い合わせは多かったそうだ。西安の人口は周辺部を除いて600万ほどあるから、このネットの利用者は結構多いのかもしれない。

 

 日本は一人っ子ではないから、売る必要はないねと俊麗は言ったが、中国では一人っ子だから、親や祖父母がかける愛情は深く、勢いいろいろなものを買い与えることになり、子どもの成長は速いから、不用品も増える。知り合いや親戚で譲り合いをすることもあるようだが、それを拡大したようなものが「母親ネット」なのだろう。 母親ネットはいくつかの種別に分かれていて、その中の「中古市場」を俊麗はよく利用するようで、中古服や哺乳瓶などもあるとのことだ。俊麗は将来、撓撓が読んだ絵本を出すつもりのようだ。

 

 日本では人が使った「お古」、とりわけ見知らぬ他人が身に着けた物は敬遠する傾向があるように思う。だから子ども用の物に限らず、使い古した物は廃品として処理してしまうことは少なくないのではないか。私の妹が以前米国に住んでいた時の話を聞いたことがあるが、米国人はよくガレージセールというものをやって不用品を売るそうだ。「使ったパンティーまで売っているのよ」と妹は呆れたように言っていたが、そのあたりは日本人の感覚とは違うのかも知れない。

 

 西安母親ネットの利用者は多いらしく、アイディアとしては面白いと思った。中国にはこのようなネットは多いようで、「北京母親ネット」などもあるそうだ。日本にはあるのかどうかは知らないし、同じようなものを作ってみても機能するかどうかも分からない。

 


酷暑厳冬

2011-02-02 08:47:26 | 身辺雑記

 寒い日が続いている。寒いと言ってもこのあたりは日中の気温が8度くらいだから、ブログ友のSさんの住む北海道に比べると「温暖」なのだろう。日本海側では豪雪になっている。少し前に、中国新疆ウルムチに住む趙戈莉はマイナス26度だと言っていたが、マイナス10度くらいになると暖かいと思うらしいから想像がつかない。

 

 昨年の夏は酷暑の日々で、熱中症で死ぬ人もかなり出たが、一転して厳冬が訪れた。去年は何か秋の風情を味わうことがなかったような気もする。男物の衣料を扱う卒業生のI君は気まぐれな季節に振り回されていた。

 

 若い頃は暑さも寒さもあまりこたえなかった。7月頃に実験室で授業している時など、それこそ滝のように汗が出て、実験台に取り付けてあるカランの水道管に手を置くと、腕から汗が滴り落ちたものだが、それがむしろ爽快に思われたりした。寒い時も、今のように保温性に優れた衣料はあまりなかったし、エアコンなどもなかったから、今に比べるとかなり寒い思いをしたはずだが、私は冬でも薄着で、さほど苦にはならなかった。

 

 だが、年をとると耐暑、耐寒性が弱くなるのか、暑さにも寒さにも弱くなった。とりわけ寒さはこたえるようになった。野外観察をしている弟に野外に出るのは寒いだろうと言ったら、冬はまだいい、厚着できるしどうしても寒いならカイロを使えばいい、暑いと裸になるわけにもいかず辛いと言った。

 

 今頃は朝が起きにくく、朝目が覚めても子どものように起きる踏ん切りがつかず溜息をつきながらぐずぐずする。時には、独り住まいだし気兼ねする者もいないじゃないかと居直って二度寝したりする。この冬はかなりいい加減な生活をしていると思う。

 

 1月20日から2月3日までは二十四節季の大寒、冬本番の一番寒い時期だ。4日は立春で、春の訪れを期待したいところだが、まだ旧暦では1月2日、春は遠い。