さくら・たわわにたわごと

四季折々、愛しきものたちとの日々と思いを綴ります。

揺れうごく日々

2012-09-05 | 父・母、家族のこと


おひさしぶりです。

時折 おいで下さっている方々へ

ちっとも更新のされないページで ごめんなさい。

いざ書くとなると、わたしは
わりとまとまった時間&エネルギーを要するほうなのですが、
そのタイミングに ここしばらくは
なかなか恵まれずにいました。

また次はいつ?? という調子ですが、
よかったら たまにのぞいてみて下さい。



9月に入った。

吹く風や 日陰の涼しさは
秋の訪れを感じさせるが、
日中の残暑は まだまだ厳しい。

7月初旬から、心身落ちつかない毎日を過ごしている。

母が、あまり遠くないうちに
心臓の弁置換の手術を要することがわかった。

長年の高血圧も 高脂血症も
近年はうまくコントロールできており、
体重コントロールも まずまず。

本人も 加齢によるものはともかく、
体調がよく 元気に動けているというのが実感だったので
ショックが大きかったよう。

が、

いま現在 もっとも気がかりなのは
父のこと。

病気知らず、病院ぎらいの父に
胃がんが見つかった。

母に手術が必要であることを知らされたその翌日、
胃カメラを受けた父。

2度に渡るカメラの肉眼的所見で
がんです と言われながらも 病理組織診断では
2度ともがん細胞は 見つからず、
(病巣のある場所の何点かからしか組織をとれず、
 調べるところが限局的であるため)

入院し、内視鏡的に病巣を採りきっておこなった病理診断で、
はじめて がんが確定診断となった。

この間 約ひと月。

ここで、良性のポリープという結果であったなら、
検査とともに 治療もめでたく終了、
ということになるのだが…


がんと確定されたからには、
あらためて 胃を部分切除することが
根治的治療となるので、
再度入院して 今度は全身麻酔の開腹手術となる。

その日時が決まったのが、
やっと昨日。

そして 手術日までには、
さらに 2週間を待たなければならない。

父の所見は いちおうは早期がんに分類されるが
気になるのは、
筋層には至らないものの、粘膜下層深くに及んでおり
一部 静脈浸潤がみられること。

細胞のタイプと浸潤の深さから
早期がんに入るとはいえ、
転移の可能性は ありうる。

それは、ごく近いうちになのか、
何年も経て なのか、
寿命を迎えるまで 表面化しないでいてくれるのか、

いまの時点では 誰にもわからない。


さらに、
もうひとつ 心配なことには、

開腹手術をするにあたっての
術前検査の一環でおこなった胸部CTで、
気になる影が 見つかった。

とりあえず、
わかっている胃の病気を先に片づけるのがのぞましいとの見解で
肺の精査はそのあとに。

わたしもそう望んでいたので、
ひとまずは ほっとした。

7月と、内視鏡的処置前に撮った8月の
胸部レントゲンには 何も写らなかったのだが…

タバコを長年すっているわりには
きれいな肺だねーと、いつも言われていた父。
CTでこそ、写る程度のものだったのなら、
いまの段階で見つかったことを よかったと考えるべきだろう。

呼吸器科の医師の見立てでは、
悪性のものだとしても
今回の胃とは 別のものだろうということだった。

まだ初期ならば、
肺のほうも 根治がのぞめる。

病気知らず、病院ぎらいの父だが、
医師や わたしの説明をよく前向きに理解して、
体力・気力をたもってくれているのが 救いだ。

けれど、
心臓のこともあり こわがりで不安のつよい母には
できるだけ心配をかけたくないと、
父の希望で 
胃の悪性がはっきりしていることも
気になる肺のことも 伏せてある。

ほんとうに大変なこんなときに、
夫婦で かくしごとなく苦しみを分かち合えないのは
つらくないのか、

弱音やぐちを言いたいときだってあるでしょうに。

父にそう言うと、

 「そんなことは、自分で こうと思い決めたら、
  のみこめる。
  それより、いま おかあさんに倒れられたら どうしようもないから」

と言う。

状況の変化のなかで 父の思いが変わってくることも
考えておくつもりだが、
いまのところは 父の希望に沿おうと思う。

父の病状…

けっして希望がないわけではないが、
不明瞭なことが 今は多すぎて、
どの程度 根治に期待が持てるのか、
どの程度 シビアな覚悟が必要なのか わからない。

いまの父の状況に限らないことだが、
最高に幸運な場合と 不運な場合では、
経過(結果)に、天と地ほどのひらきがある。

多くは その中間あたり となるのだろうが、
いろいろな場合を すべて想像できるわたしは、
どうしても 最悪の場合を考えては
気持ちが 不安定になる。

まだまだ、
治療の可能性があるうちは 悲観している場合じゃない
元気を出さなくては と思い直す。

そのときそのとき、
見えてきた現実に対して
いちばんいいと思うことをやっていく。

そのときそのとき、
今やるべきことに集中する。
(仕事でも 家事でも)

が、また次の瞬間には
大きな不安におそわれる。

気持ちをあちこちに揺らしながら、

人間は ひどいと思える状況でも
不思議と 適応できていくしなやかさがあるのだ、

最悪と思えるときは まだ最悪ではないのだ と…

言い聞かせる。

絶望と希望のあいだを 行ったりきたり。


張りつめて、緊張したまま長い時間を過ごしたら、
それをゆるめるように
わっとひとりで泣く。

わたしは なきむしだ。

不安で泣く。さびしくて泣く。つらくて泣く。
くやしくても、うれしくても 感動しても、
なにかというと 泣く。

泣かずにいることは できない。

だけど、
泣くときは ひとり。

意思に反して、
勝手に ひと前で涙が止まらなくなる なんてことが
ありませんように…

いくら泣いてでも、
そのあとは すっくと立てるように、
つよくありたい。

雨風に揺れても折れぬ雑草のように
たくましく、たくましくありたい。

いまは なにより、父と母のために。


1日も早く、いい方向で落ちつくのを祈っている。

父が ひと安心できる状態になるまで、
母にも どうか 心身安定していてもらえますようにと、
願う毎日だ。


わたしが 子宮体がんの手術を受けたのが、
ちょうど10年前の9月。
もう 10年になるのだ。
いまも元気でいられることに 感謝。

おなじ9月、おなじ病院で
今度は 父が手術を受ける。

きっと、順調にいく。



ひさしぶりに書くのに、重い内容でごめんなさい。

みじかくまとめるつもりが、いつものわたしのことで、
やっぱり長文になってしまいました。

でも、やっといまの胸のうちを書くことができました。

読んで下さって ありがとうございます。

ひと息で読めるくらいのものも
書いてみたいものですが…

あ、それが川柳か わたしの場合。



    泣いてなどおれぬほんとの一大事   (泣いてるくせに??)


    逆境で真価をみせたああ男      (父はやっぱりえらいです)


    こんなにも広かったのだ父の傘    (いつもまもられてきました)


    年かさね祈ることのみ多くなる    (自分の思いやがんばりだけでは
                       どうにもならないことが ふえてきます)

    愚痴よりはいいさと今日もおやじギャグ(でもやっぱり、生きているかぎり前向きに)







コメント (4)
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