さくら・たわわにたわごと

四季折々、愛しきものたちとの日々と思いを綴ります。

卒哭忌

2014-11-16 | 父・母、家族のこと


昨日11月15日、
この8月に亡くなった父の百箇日を迎えた。

もう百日も経ったなんて…
早いものだな。
父がこの世にいなくなったことが、
まだ信じられないくらいなのにな。

百箇日は、
この日からは、もう泣き暮らすのをやめて
日常の生活にもどりましょう という意味をこめて
「卒哭忌」(そっこくき)
ともいうそうだ。

でも、わたしはこれまでよりも、
これからさきの方がちょくちょくめそめそしそうな気がする。

父を見送った直後よりも、
そのあとのさまざまな雑事に追われている頃よりも、
もうすっかりと日常生活に戻った(かに見える)頃から
日毎につのる、父のいないさびしさ。
もうこの世ではあうことのできないさびしさ。

こんなにも、父の顔や声やぬくもりや、
その全存在がわたしの中では色濃く生きているのに。

母にとっても、そうだと思う。

ねちねちしたところのない、
いさぎよく決断も早い父に

 いつまでもめそめそするんじゃないよ

と言われそうだけど。

そう言う声や表情まで、はっきりと思い描けてしまう。

父ならどう考えるか、父ならどう言うか…
ひとりで、自分役と父役の会話をしたりする。
ひとりボケつっこみ??
そのたび、なんでおとうさんいないのよう~
と、かなしくなってしまう。

当分は、こんなかな。

あせらずぼちぼち。
心身回復するまでゆっくり。


ところで、
いつ更新されるとも知れないこのブログ、
忘れずに訪ねて下さるかたのなかには、
リアルの生活での友人・知人がポツポツとおられるようで

 「ひさしぶりに新しい記事が書かれていてホッとしました」

 「読んだよ~」

 「もう最近は書かないの?」

などと声をかけられることが、このところちょくちょくあった。

そのたび、ひえ~と恥ずかしくなる。

ここでは、折々にわたしが考えていること 感じていることが
まるわかりだから。

 「あえなくても、近況がわかるとうれしいので
  また時々は書いてね!」

と言われれば、うれしいような面映いような。

気にかけてくれる人のいる、ありがたさ。

ふだんにも増して、かなり情緒不安定なこの頃ではあるけれど、
なんとか元気にやっています。




コメント (4)
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