さくら・たわわにたわごと

四季折々、愛しきものたちとの日々と思いを綴ります。

激動の今年

2020-10-02 | たわごと・できごと
コロナ禍にみまわれた世の中全体もそうですが、
わたしの個人的な身のまわりも、
この令和2年は激動・激変の年となりました。

昨年末から不調をきたした母の、
年明け早々の入院。
毎日の抗生剤の点滴と、排泄もベッド上でという安静の治療に耐えてくれた
およそ2か月半の入院でした。
このころはまだコロナのための面会制限はかかっておらず、
元気に退院できた3月末まで、毎日休まず母のもとに通いました。

それがたった3日後に急変して、
救急搬送途中で挿管までされての再入院になろうとは…
今後起こりうる急変ではありましたが、
まさかこんなに早くおとずれるなんて。

1週間ほどで人工呼吸器からも離脱できたので、
その後の順調な回復と、再び元気に退院できることをめざして
希望を持ちながら過ごした母との2か月。
このころには、コロナの影響による面会制限がかかり、
前回の入院時のように毎日会うことはかないませんでした。

それでも、病棟のロビーに車椅子で連れてきてもらい、
週に幾日かは面会することができました。
本当は、毎日顔を見て、どんなちいさなことでも
母の身のまわりのお世話や雑用をしてあげたかった。
落ちそうになってゆく母の気力を支えてあげたかった。

希望をつないで、
苦しいのをよく耐えて、
さいごまでがんばってくれました。
母の寿命は尽きてしまいましたが、悔いはありません。 
ただ、あえないさびしさだけがつのります。

今年のはじめから振り返ってみれば、

1月 母の入院
3月末 母の退院
3日後の4月2日 急変のため救急で再入院
4月7日 コロナの緊急事態宣言発令
4月8日 人工呼吸器から離脱・一般病棟へ
     この日、1冊だけ急いで仕上げていただいたわたしの川柳句集
     「さくらいろ」を編集部のかたが届けてくださり、
     それを持って母のもとに駆けつけました。
     生きているうちに手にとってもらえるのかどうかという思いで過ごしていましたが、
     まにあってよかったです。
     急いで届けてくださったこと、感謝にたえません。

6月2日 母永眠 4日 葬儀
7月 母の四十九日 
   忌明けを待って弟が入籍・引っ越し
8月 母の初盆 父の命日(七回忌)実家の片づけ 形見分け
9月 母の卒哭忌(百箇日)
   借家であった実家を大家さんにお返し

実はまだあります。
9月、長年一緒に歌ってきた歌のお仲間さんが天に召されました。
あいにく体調がすぐれなかったわたしはお見送りに行くことができず、
うちにいてそのかたをしのびましたが、
訃報をきいてからあと、
そのかたの姿や声や、たくさんのおもいでが次から次へと浮かんでなりませんでした。

ご病気のことはうかがっていましたが、
5月に電話でお話しして、お元気そうなご様子にほっとしたところだったのです。
もういちど、元気におあいしたかったです。
せめてものお供えにと、初七日にお花をおくらせていただきました。
たいせつな存在をうしなわれたご家族のかたがたに、
なぐさめと安らぎがありますように。

そしてもうひとつ。
主人が、わけあって20年ほども勤めていた会社を退職し、
べつの会社で働くことに。
これまでからも、なじみのあった会社ではあるのですが、
自分の職場として、あたらしい環境でやっていくには
はじめは気疲れも多いことでしょう。
1日1日の積み重ねで、
少しずつ軌道に乗っていければいいなと思います。

今年、これだけのことが身のまわりに起こるとは、
昨年には想像もしていなかったことでした。

そして10月。
今年はまだあとふた月残っていますが、
もうハラハラさせられるようなことは勘弁してもらって、
そろそろ落ちついてほしいなと願っているところです。

こんなバタバタの暮らしの中で、
わがやの愛犬りんが、
1日おきの点滴やら、毎日のいくつかのくすりやらが欠かせない状態ながらも、
元気でいてくれたことは、大きな救いでした。
今月、15歳を迎えます。



コメント
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