楽(たの)しみは 6月の話 ネタ探し 河内介(かわちのすけ)の 記録読むとき
クイズの解答を持ってこられた、Iさんちの奥さんが言います。
「クイズも、ようこんな難しいもん考えて作られますね」、
「それこそ、それこそ。ヒントの “生田通りの〇〇館” て、
有楽館のつもりだったの。違うよ、生田通りにあったのは大勝館だったわよ」とおっしゃいますね。
『奥さんはよう知っておられますね』。
「私は、生まれがその近くだったもの、よう知ってるよ」、
『申し訳ない。クイズを考えた私のうっかり間違いです。有楽館は大開通りでした。
一昨日に、ちゃんと近くのKさんからも “ヒント違ってますよ~。豊劇は元町、生田通りは大勝館、そして答えがユウラク(有楽)ならば大開通りでしょ” 」と、コメントが来てましたと話します。
中々、地元のネタを書く場合でも、
よく調べているつもりが、うっかりミスもありますね。
Iさんちの奥さんは、続けて「アトムさんが考えるのですか。ふるさとの話ってよう調べて書いてあるね」と、
感心していると褒めてくれました。
ふるさとの話って、地元の方でも「そう言えばそうだったの」と思えるくらいの話でないといけません。
地元の人が、10人中7人も8人も知っているような話しでは面白くありません。「へ~~、そうだったの知らんかったわ~」と思ってもらえるくらいの話がよろしいのです。
6月号のふるさとの話を、どうしようかと考えますね。
大体一ヶ月前には考えなければ間に合いません。
いろいろ考えました。
文久2年5月1日は、新暦に直しますと1862年5月29日です。
『そうだ、6月に近い』ということで、
田中河内介(たなか かわちのすけ)親子の遺体が小豆島に打ち上げられた。文久2年5月1日の話にすることにいたします。
ネタ元の、田中河内介の歴史資料を読み込むことにいたします。
豊岡市香住にある石碑の文章も読み込むことにいたします。
今日は、店番をしながら「ふるさとの話6月号」のネタの資料の読み込みいたします。