嬉(うれ)しさは 至誠の言葉 胸に秘め 小田村の士毅(しき) 活躍のとき
一番右に写っているのは、大沢たかおさんが演じる「花燃ゆ」の小田村伊之助です。
3月に群馬県の草津温泉に行った時、ホテルのロビーでポスターを見ました。
NHK大河ドラマ「花燃ゆ」の出演者、東出さんの久坂玄瑞(くさかげんずい)、高良さんの高杉晋作(たかすぎしんさく)、
伊勢谷さんの吉田松陰(よしだしょういん)、井上さんの杉文(すぎふみ)、それに大沢たかおさんの小田村伊之助(おだむらいのすけ)の面々です。
ポスターの下には、小田村伊之助(のちの楫取素彦)が初代の群馬県令(知事)となって以降十年、
産業教育面に力を注ぎ、群馬県の基礎を作り上げ「名県令」と称されたと書いてあります。
今夜のNHK大河ドラマ「花燃ゆ」は、
吉田松陰が処刑された、後の展開に舞台は進んでいますが、江戸に送られる前に戻して舞台を眺めます。
野山獄に再び収監されて一ヶ月後、
吉田寅次郎は小田村伊之助に、「士毅(しき)に与ふ」と書き出しで手紙を送っています。【士毅は小田村伊之助の字(あざな)です】
《貫高の「事成らば王に帰し、事敗れなば独り身之れに坐せん」とは、僕素より掲げて佳話と為す。》と手紙です。
意味は、
昔の中国で漢の高祖を暗殺しようと企てた貫高が、自分の国の王に述べた言葉で、
「成功すれば王の手柄、失敗の時は自分一人が罪に服する」と言ったことです。
吉田寅次郎の収監される罪となった、
老中間部詮勝の暗殺計画のことを言っているのです。
伊之助の並々ならぬ忠告にもかかわらず、
寅次郎は自ら罪を口に出して、29歳の命を伝馬町の露と消すのです。
生前に幾度となく、
寅次郎が口が、酸っぱくなるほどに門下生や伊之助らに言っていた言葉は「至誠」です。
孟子の言葉からとった、
「至誠而不動者未之有也(至誠にして動かざる者は未だこれ有らざるなり)」です。
私の母校も「至誠」の一字を大切にしていました。
その言葉、「至誠」をもっとも大切に実践したのが小田村伊之助、
吉田文と再婚し、初代群馬県令になった楫取素彦(かとりもとひこ)なのです。
明治の群馬県には、素晴らしい人物が活躍したのです。
ちなみに、ドラマに出てまいります劇団ひとり演ずる伊藤利助(いとうりすけ 後の伊藤博文)は、
ふるさと兵庫の初代県令なのですね。