「がいせんもん、がいせんもん」と意味も分からず呼んでいました

2016年03月19日 | ふるさと




 楽(たの)しみは   東を向いた  記念碑は  凱旋もんの  話書くとき



4月号のクロスワードパズルに付けます「ふるさとの話・4月号」が書けました。
府中小学校の正面にある、日露戦役・凱旋記念の石碑の話です。



ふるさとの話 4月号
 こくふこども園入口のすぐ隣に、四本の石の柱が立っています。《凱旋記念》と大きな字です。
今月の話は、現存する記念碑としてはとても珍しい旧国府村の凱旋記念碑と明治の頃の様子です。
クイズのヒントも隠れています。

日高町の忠魂碑
 ふるさと日高町には、忠魂碑と呼ばれるものが6つあります。
明治維新以降、太平洋戦争までの戦役で尊い命を落とされた方々を慰霊する碑です。
 頼光寺境内に149柱の英霊を祀る国府地区の忠魂碑、日高小学校校庭に361柱の日高地区の平和塔、
思惟神社境内に78柱の八代地区の忠魂碑、隆国寺境内に204柱の三方地区の忠霊塔、
清滝公民館入口に91柱の清滝地区の忠魂碑、大円寺境内に65柱の西気地区の忠魂碑です。

明治以降の戦没者
 戦争に出征し戦死、戦病死で命を落とされた方は多く、
日高町においても実に多数を数えます。
 明治10年の西南の役では、町内から2名の戦没者が出ています。
日清戦争で11名、日露戦争で25名、満州事変・日中戦争で165名、
そして、最大の戦没者を出した太平洋戦争では、町内から745名もの尊い命が落とされています。
明治以降の戦没者948名の英霊が、町内6つの忠魂碑に祀られているのです。

凱旋門
 戦いに勝って帰ることを凱旋と言います。
凱旋戦士を歓迎して建てた門は凱旋門です。あのパリの有名な凱旋門がそうです。
日清・日露戦争の頃は全国各地に凱旋門が建てられました。そして、勇士を称える戦勝の記念である凱旋記念の碑もたくさん建てられました。
その一つがこくふこども園横に立つ4本の石柱なのです。

成田中尉の従軍日誌
 日高町史に、久斗出身の陸軍歩兵中尉・成田伊太郎氏の日露戦役従軍日誌が載っています。
帰還した日の日記です。
《二月九日(明治三十九年)木曜 積雪はまだ六、七寸、二人掛腕車(二人曳人力車)に乗じ、八鹿諏訪屋に着。福知山より八鹿迄一円七十銭、それより江原迄一円十銭、合計約三円の車賃にて、途中出迎の村民に挨拶もそこそこに江原駅野村屋に着す。小憩。多数の村民に迎えられ、小学校生徒の『目出度く凱旋なされしか』と歌い呉るる軍歌は殊に腸(はらわた)に浸(し)み渡る心地し、門先に迎ふる父、妹等に、帰りましたの唯一語、嗚呼唯此一語、予は言い知れぬ感を覚えぬ。》
 当時の小学校児童が歌う唱歌に「凱旋」のメロディがあったようです。

府中小学校の正門
 昭和25年、日露戦争から45年が経ちます。
府中幼稚園、小学校へと正門の凱旋記念を見上げながら登下校です。子供心に物凄く大きく感じました。
その頃は、塗りつぶしたセメントで日露戦役の文字も隠れています。「がいせんもん。がいせんもん」と意味も分からず呼んでいました。
府中小学校にだけ不思議なものがあるなあという感じです。

国府村の凱旋記念碑
 当時の府中尋常高等小学校の東正面に、凱旋記念碑が建てられました。
日露戦争が終った翌年、明治39年に在郷軍人会の発起により、花崗岩による4本の立派な石柱です。当時のお金で700円、明治42年11月22日落成です。
高さが3m50センチの表面には明治三七年・三八年戦役「凱旋記念」と刻まれています。
隣は「明治四十年五月陸軍大将正三位勲一等一級男爵 川村景明 書」です。
高さ2m70センチの2本を含め石柱の側面には、96名のふるさと国府の勇士の名前が誇らしげな軍階級とともにぎっしりと刻まれています。
 戦後米軍の指示により全国の凱旋門や記念碑は壊される運命でした。
国府に立つ凱旋記念碑はセメントで目隠しをして生き残ります。明治から110年も立ち続けて郷土を守る国内でもとても珍しい凱旋記念碑なのです。
(国府村史、日高町史を参考にして書きました)
 


「大好きなリンゴ」おじちゃんから送ってきたよ~

2016年03月19日 | 家族




 楽(たの)しみは   届いたリンゴ  孫たちは  積んでころがし  キャッキャッ愛でるとき



独楽吟に真似て拙い詩を詠みます。

どうも本当の独楽吟とは、天と地ほどの違いです。

永らく書いていなかった、橘曙覧(たちばなのあけみ)の本物の独楽吟52首を味わってみます。


『独楽吟・・・橘曙覧』

たのしみは   艸(くさ)のいほりの  莚(むしろ)敷(しき)  ひとりこゝろを  静めをるとき


たのしみは   すびつのもとに  うち倒(たふ)れ  ゆすり起こすも  知らで寝し時


たのしみは   珍しき書(ふみ)  人にかり  始め一(ひと)ひら  ひろげたる時


たのしみは   紙をひろげて  とる筆の  思ひの外(ほか)に  能(よ)くかけし時


たのしみは   百日(ももか)ひねれど  成らぬ歌の  ふとおもしろく  出(い)できぬる時


たのしみは   妻子(めこ)むつまじく  うちつどひ  頭(かしら)ならべて  物をくふ時


たのしみは   物をかゝせて  善き値(あたひ)  惜(を)しみげもなく  人のくれし時


たのしみは   空暖(あたた)かに  うち晴(は)れし  春秋(はるあき)の日に  出(い)でありく時


たのしみは   朝おきいでゝ  昨日(きのふ)まで   無かりし花の  咲ける見る時


たのしみは   心にうかぶ  はかなごと  思ひつゞけて  煙艸(たばこ)すふとき


たのしみは   意(こころ)にかなふ  山水(やまみづ)の  あたりしづかに  見てありくとき


たのしみは   尋常(よのつね)ならぬ  書(ふみ)に画(ゑ)に  うちひろげつゝ  見もてゆく時


たのしみは   常(つね)に見なれぬ  鳥の来て  軒(のき)遠からぬ  樹に鳴しとき


たのしみは   あき米櫃(こめびつ)に  米いでき  今一月(ひとつき)は  よしといふとき


たのしみは   物(もの)識人(しりびと)に  稀(まれ)にあひて  古(いに)しへ今を  語りあふとき


たのしみは   門(かど)売(う)りありく  魚買ひて  烹(に)る鐺(なべ)の香(か)を  鼻に嗅(か)ぐ時


たのしみは   まれに魚煮(に)て  児等(こら)皆が  うましうましと  いひて食(く)ふ時


たのしみは   そゞろ読ゆく  書(ふみ)の中(うち)に  我とひとしき  人をみし時


たのしみは   雪ふるよさり  酒の糟(かす)  あぶりて食(く)ひて  火にあたる時


たのしみは   書(ふみ)よみ倦(う)る  をりしもあれ  声知る人の  門(かど)たゝく時


たのしみは   銭(ぜに)なくなりて  わびをるに  人の来りて  銭くれし時


たのしみは   世に解(とき)がたく  する書(ふみ)の  心をひとり  さとり得(え)し時


たのしみは   炭(すみ)さしすてゝ  おきし火の  紅(あか)くなりきて  湯の煮(に)ゆる時


たのしみは   心をおかぬ  友(とも)どちと  笑ひかたりて  腹をよるとき


たのしみは   昼(ひる)寝せしまに  庭ぬらし  ふりたる雨を  さめてしる時


たのしみは   昼寝(ひるね)目(め)さむる  枕べに  ことことと湯の  煮(に)えてある時


たのしみは   湯わかしわかし  埋(うづ)火(び)を  中(うち)にさし置きて  人とかたる時


たのしみは   とぼしきまゝに  人集(あつ)め  酒飲め物を  食(く)へといふ時


たのしみは   客人(まらうど)えたる  折(をり)しもあれ  瓢(ひさご)に酒の  ありあへる時


たのしみは   家内(やぬち)五人(いつたり)  五(いつ)たりが  風だにひかで  ありあへる時


たのしみは   機(はた)おりたてゝ  新しき  ころもを縫(ぬ)ひて  妻(め)が着(き)する時


たのしみは   三人(みたり)の児(こ)ども  すくすくと  大きくなれる  姿みる時


たのしみは   人も訪(と)ひこず  事(こと)もなく  心をいれて  書(ふみ)を見る時


たのしみは   明日(あす)物くると  いふ占(うら)を  咲くともし火(び)の  花にみる時


たのしみは   たのむをよびて  門(かど)あけて  物もて来(き)つる  使(つか)ひえし時


たのしみは   木(こ)の芽(め)煮(に)やして  大きなる  饅頭(まんじゅう)を一つ  ほゝばりしとき


たのしみは   つねに好める  焼豆腐(やきどうふ)  うまく烹(に)たてゝ  食(く)はせけるとき


たのしみは   小豆(あづき)の飯(いひ)の  冷(ひ)えたるを  茶漬(ちゃづけ)てふ物に  なしてくふ時


たのしみは   いやなる人の  来(き)たりしが  長くもをらで  かへりけるとき


たのしみは   田づらに行し  わらは等(ら)が  耒(すき)鍬(くは)とりて  帰りくる時


たのしみは   衾(ふすま)かづきて  物がたり  いひをるうちに  寝入りたるとき


たのしみは   わらは墨(すみ)する  かたはらに  筆の運びを  思ひをる時


たのしみは   好(よ)き筆をえて  先(まづ)水に  ひたしねぶりて  試(こころ)みるとき


たのしみは   庭にうゑたる  春秋(はるあき)の  花のさかりに  あへる時々(ときどき)


たのしみは   ほしかりし物  銭(ぜに)ぶくろ  うちかたむけて  かひえたるとき


たのしみは   神の御国(みくに)の  民として  神の教(をしへ)を  ふかくおもふとき


たのしみは   戎夷(えみし)よろこぶ  世の中に  皇国(みくに)忘れぬ  人を見るとき


たのしみは   鈴屋(すずのや)大人(うし)の  後(のち)に生れ  その御(み)諭(さと)しを  うくる思ふ時


たのしみは   数ある書(ふみ)を  辛(から)くして  うつし竟(を)えつゝ  とぢて見るとき


たのしみは   野寺(のでら)山里(やまざと)  日をくらし  やどれといはれ  やどりける時


たのしみは   野山のさとに  人遇(あ)ひて  我を見しりて  あるじするとき


たのしみは   ふと見てほしく  おもふ物  辛(から)くはかりて  手にいれしとき