東京電力集金人 (49)経済ヤクザ

「ヤクザが堂々と看板を掲げて表社会で経済活動をしていくのは、いまじゃすっかり定番だ。
経済やくざの元祖、石井 隆匡(いしい たかまさ)のことを知っているか?。
太平洋戦争の末期、横須賀にあった海軍通信学校をトップクラスの成績で卒業した秀才だ。
八丈島の人間魚雷「回天」隊基地の、英文通信兵として終戦を迎えた。
終戦直後の1946年に暴力団へ入り、1963年に、住吉系の横須賀一家5代目を継承する。
そののちに最大勢力の、稲川会二代目会長に就任をする。
石井は、1969年に巽産業という会社を設立をした。
企業経営志向路線を歩みはじめた、最初の高学歴を誇るやくざだ。
当時は、インテリやくざなんて言葉で呼ばれた。
経済界で足場を固め、暴力団が経済界に浸透をしていくきっかけを作りあげた人物だ」
「ずいぶん昔から存在をしているんですねぇ、経済やくざって。初めて知りました」
「その頃は珍しかったが。いまじゃ暴力団が生き残るために、ごく当たり前といえる話だ。
俺が原発専門の人材派遣業を始めたのも、いまから30年も前のことだ。
暴力団やヤクザというと、肩で風を切って街を歩き、態度は高圧的で、服装も派手で、
威圧的なスーツやアロハシャツを着ているという印象がある。
だがそんなイメージは、せいぜいバブル期までの暴力団員だけだ。
少なくともいまの時代、見るからに暴力団員という人間は見当たらない。
いたとしてもそれは、単なるクズで、おおくが下っ端に過ぎないチンピラどもだ。
幹部たちは、ちょっとおしゃれな服装に身を包んだ、会社の役員風だ。
あるいはキザでおしゃれなちょい悪おやじ、というイメージのほうが当てはまる。
高級住宅街に住み、子供は有名私立学校の生徒、高級スポーツクラブに通い、
奥さんを大切にする。隣人を招いて、ホームパーティーなんかを楽しむ。
これが現代の暴力団幹部の実態だ。そして、構成員たちが目指しているやくざの理想像だ。
映画やドラマから受ける世間一般の暴力的なイメージとは、大きくかけ離れている」
「チョイ悪で高給取りと言えば、まさに、おじさんそのものです。
人材派遣業を引き継げということは、おじさんに上納金をたっぷり収めろと言う意味も
含まれているのですか。もしかして?」
「馬鹿野郎。人聞きの悪いことを平然と口にするんじゃねぇ。
まったく。あこがれの民のせがれでなければ、ぼこぼこにして桐生川へ沈めちまうところだ。
そうじゃねぇ。長年極道の世界で飯を食ってきたが、後継ぎも居ないし、正直疲れた。
いい加減で足を洗いたいと思うが、そう簡単に周りは認めてくれねぇ。
福島に拠点を置いている派遣会社は、一般人化が順調にすすんでいる。
留守を守っている事務所の責任者は、現地で採用した銀行員あがりの素直な年寄りだ。
雇っている連中も、ほとんどが現地で見つけた労務者ばかりだ。
俺の身代わりになってくれる派遣元責任者が誕生すれば、福島の会社は100%、
堅気の会社として生まれ変わることができる」
「完全な堅気の会社になる?。
おじさんは俺に会社を任せて、福島から完全に撤退をするつもりなのですか」
「福島第一原発の廃炉は、今後、40年以上も年月がかかる大事業だ。
いまでさえ毎日4000人以上の労働者が、廃炉作業に投入されている。
いいかえれば、廃炉を目指す福島第一原発はこれから長期にわたって金のなる木、宝の山だ。
だが後継ぎの居ない俺にしてみれば、荷が重すぎる事業になってきた。
適当な奴が居れば会社をまかせて、本来の任侠の道をまっとうして、俺の人生を終えたい。
歳をとったせいかな。実は、そんな風に考えるようになってきた今日この頃だ・・・・」
「珍しいですね。おじさんが弱気を吐くなんて」と組長の顔を覗き込む。
「まぁな。だが絶対にここだけの話にしておけ。俺が弱音を吐いたことが知れると世間体が悪い。
極道は男気を売って成り立つ世界だ。金輪際、2度と弱音は吐かん、これっきりだ」
と、組長がにわかに顔をこわばらせる。
「暴力団の主なしのぎといえば、薬物売買、企業恐喝、詐欺、違法風俗経営、闇金融、
みかじめ料の徴収なんかが挙げられる。
暴力団のこれらのしのぎのビジネスは、いずれも違法とされる裏社会の闇商法だ。
こうした裏の仕事を隠すため、最近の暴力団は様々な手段で合法ビジネスに着手をしている。
金融、不動産、葬儀業、ブライダル、貿易、ITビジネス、経営コンサルタント、
建築業、海運業などなど実に様々な分野に手を出している。
暴力団が経営しているとはいっても、一般的には良心的な経営を心掛けている。
摘発されたら、元も子もない。
表のビジネスは、あくまでも裏でやっている違法ビジネスを隠すための隠れ蓑だからな。
これらの会社は企業舎弟や、フロント企業などと呼ばれている」
「いろいろと広範囲に手掛けているんですねぇ。いまどきの経済やくざは」
「他にもあるぞ。夜間託児所、ペットショップ、介護ビジネス、環境調査会社、
広告代理店、ゲームショップ、100円ショップ、高級レストラン、ブランドショップも有る。
意外に思うだろうが、実のところ風俗店を経営をしている暴力団は少ない。
暴力団では営業許可が下りないからだ。
昔は暴力団の資金の温床だったが、今では普通に一般人が経営するようになっている。
風俗イコール暴力団という形式は、いまや当てはまらなくなってきた」
「なるほど。時代によって、経済やくざもカメレオンのように姿を変えていくわけですか。
で、おじさんは本当に引退をするつもりなんですか。福島の人材派遣業から」
「埒の明かねぇ放射能と遊ぶに、少々疲れただけだ。
そっくり全部をまかせるから、あとはお前さんが好きなように自由にやれ。
俺も、お前さんみたいな息子が欲しかったさ。ただそれだけ話だ。
だが、このあいだの時みたいに、本当は俺のお父さんでしょうなどと2度と言うんじゃねぇぞ。
大人には、絶対に口に出来ない秘密というものがある。
誰も話題にしたがらない大人の秘密を、これ以上無駄に詮索するんじゃねぇ。
わかったな。そんなわけで、今日の俺の話はこれで終わりだ。
診察が終わったら、3人してこれで、何か旨いもので食え」
立ち上がった岡本組長が、懐から出した封筒を無理矢理俺の手の中へずいと押し込む。
くるりと背を向けた組長が、「早めにいい返事が返ってくることを、待っているぜ」
と言い捨てて、いつものように軽い足取りで俺の前から立ち去っていく。
(50)へつづく
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「ヤクザが堂々と看板を掲げて表社会で経済活動をしていくのは、いまじゃすっかり定番だ。
経済やくざの元祖、石井 隆匡(いしい たかまさ)のことを知っているか?。
太平洋戦争の末期、横須賀にあった海軍通信学校をトップクラスの成績で卒業した秀才だ。
八丈島の人間魚雷「回天」隊基地の、英文通信兵として終戦を迎えた。
終戦直後の1946年に暴力団へ入り、1963年に、住吉系の横須賀一家5代目を継承する。
そののちに最大勢力の、稲川会二代目会長に就任をする。
石井は、1969年に巽産業という会社を設立をした。
企業経営志向路線を歩みはじめた、最初の高学歴を誇るやくざだ。
当時は、インテリやくざなんて言葉で呼ばれた。
経済界で足場を固め、暴力団が経済界に浸透をしていくきっかけを作りあげた人物だ」
「ずいぶん昔から存在をしているんですねぇ、経済やくざって。初めて知りました」
「その頃は珍しかったが。いまじゃ暴力団が生き残るために、ごく当たり前といえる話だ。
俺が原発専門の人材派遣業を始めたのも、いまから30年も前のことだ。
暴力団やヤクザというと、肩で風を切って街を歩き、態度は高圧的で、服装も派手で、
威圧的なスーツやアロハシャツを着ているという印象がある。
だがそんなイメージは、せいぜいバブル期までの暴力団員だけだ。
少なくともいまの時代、見るからに暴力団員という人間は見当たらない。
いたとしてもそれは、単なるクズで、おおくが下っ端に過ぎないチンピラどもだ。
幹部たちは、ちょっとおしゃれな服装に身を包んだ、会社の役員風だ。
あるいはキザでおしゃれなちょい悪おやじ、というイメージのほうが当てはまる。
高級住宅街に住み、子供は有名私立学校の生徒、高級スポーツクラブに通い、
奥さんを大切にする。隣人を招いて、ホームパーティーなんかを楽しむ。
これが現代の暴力団幹部の実態だ。そして、構成員たちが目指しているやくざの理想像だ。
映画やドラマから受ける世間一般の暴力的なイメージとは、大きくかけ離れている」
「チョイ悪で高給取りと言えば、まさに、おじさんそのものです。
人材派遣業を引き継げということは、おじさんに上納金をたっぷり収めろと言う意味も
含まれているのですか。もしかして?」
「馬鹿野郎。人聞きの悪いことを平然と口にするんじゃねぇ。
まったく。あこがれの民のせがれでなければ、ぼこぼこにして桐生川へ沈めちまうところだ。
そうじゃねぇ。長年極道の世界で飯を食ってきたが、後継ぎも居ないし、正直疲れた。
いい加減で足を洗いたいと思うが、そう簡単に周りは認めてくれねぇ。
福島に拠点を置いている派遣会社は、一般人化が順調にすすんでいる。
留守を守っている事務所の責任者は、現地で採用した銀行員あがりの素直な年寄りだ。
雇っている連中も、ほとんどが現地で見つけた労務者ばかりだ。
俺の身代わりになってくれる派遣元責任者が誕生すれば、福島の会社は100%、
堅気の会社として生まれ変わることができる」
「完全な堅気の会社になる?。
おじさんは俺に会社を任せて、福島から完全に撤退をするつもりなのですか」
「福島第一原発の廃炉は、今後、40年以上も年月がかかる大事業だ。
いまでさえ毎日4000人以上の労働者が、廃炉作業に投入されている。
いいかえれば、廃炉を目指す福島第一原発はこれから長期にわたって金のなる木、宝の山だ。
だが後継ぎの居ない俺にしてみれば、荷が重すぎる事業になってきた。
適当な奴が居れば会社をまかせて、本来の任侠の道をまっとうして、俺の人生を終えたい。
歳をとったせいかな。実は、そんな風に考えるようになってきた今日この頃だ・・・・」
「珍しいですね。おじさんが弱気を吐くなんて」と組長の顔を覗き込む。
「まぁな。だが絶対にここだけの話にしておけ。俺が弱音を吐いたことが知れると世間体が悪い。
極道は男気を売って成り立つ世界だ。金輪際、2度と弱音は吐かん、これっきりだ」
と、組長がにわかに顔をこわばらせる。
「暴力団の主なしのぎといえば、薬物売買、企業恐喝、詐欺、違法風俗経営、闇金融、
みかじめ料の徴収なんかが挙げられる。
暴力団のこれらのしのぎのビジネスは、いずれも違法とされる裏社会の闇商法だ。
こうした裏の仕事を隠すため、最近の暴力団は様々な手段で合法ビジネスに着手をしている。
金融、不動産、葬儀業、ブライダル、貿易、ITビジネス、経営コンサルタント、
建築業、海運業などなど実に様々な分野に手を出している。
暴力団が経営しているとはいっても、一般的には良心的な経営を心掛けている。
摘発されたら、元も子もない。
表のビジネスは、あくまでも裏でやっている違法ビジネスを隠すための隠れ蓑だからな。
これらの会社は企業舎弟や、フロント企業などと呼ばれている」
「いろいろと広範囲に手掛けているんですねぇ。いまどきの経済やくざは」
「他にもあるぞ。夜間託児所、ペットショップ、介護ビジネス、環境調査会社、
広告代理店、ゲームショップ、100円ショップ、高級レストラン、ブランドショップも有る。
意外に思うだろうが、実のところ風俗店を経営をしている暴力団は少ない。
暴力団では営業許可が下りないからだ。
昔は暴力団の資金の温床だったが、今では普通に一般人が経営するようになっている。
風俗イコール暴力団という形式は、いまや当てはまらなくなってきた」
「なるほど。時代によって、経済やくざもカメレオンのように姿を変えていくわけですか。
で、おじさんは本当に引退をするつもりなんですか。福島の人材派遣業から」
「埒の明かねぇ放射能と遊ぶに、少々疲れただけだ。
そっくり全部をまかせるから、あとはお前さんが好きなように自由にやれ。
俺も、お前さんみたいな息子が欲しかったさ。ただそれだけ話だ。
だが、このあいだの時みたいに、本当は俺のお父さんでしょうなどと2度と言うんじゃねぇぞ。
大人には、絶対に口に出来ない秘密というものがある。
誰も話題にしたがらない大人の秘密を、これ以上無駄に詮索するんじゃねぇ。
わかったな。そんなわけで、今日の俺の話はこれで終わりだ。
診察が終わったら、3人してこれで、何か旨いもので食え」
立ち上がった岡本組長が、懐から出した封筒を無理矢理俺の手の中へずいと押し込む。
くるりと背を向けた組長が、「早めにいい返事が返ってくることを、待っているぜ」
と言い捨てて、いつものように軽い足取りで俺の前から立ち去っていく。
(50)へつづく
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