東京電力集金人 (67)3人で食事を
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2d/81/3370e286c6fc55b0b27b159ffc67ec9c.jpg)
ほろ酔い加減の先輩からようやく解放されたのが、午後の5時半。
急いで事務所へ戻り、本日分の清算を済ませる。
やれやれとほっと一息ついていたら、おふくろからラインを使ったメッセージが来た。
「るみとデパ地下に居るので、仕事が終ったら合流しろ」と書いてある。
スマホを使い始めたおふくろは、るみの教えでラインを使えるようになった。
小学生のようにたどたどしかった文章も、いつの間にか改善されている。
最近は、ごく自然に命令口調になっていることも多い。
「どこのデパ地下だ」と返信する。「勝手に探して見つけろ」と乱暴な文章が返ってきた。
るみがおふくろの背後でくすくすと笑っているのが、聞こえてきそうだ。
るみの体調を考えれば、あまり遠くのデパートではないだろうと推測した。
実家から一番近い某デパートへ足を運ぶことにした。
ラインのメッセージを受け取ってから15分後。
ふたりはデパートの地下ではなく、吹き抜けのエントラスホールで親子のように
仲良く肩を寄せながら、のんびりとソフトクリームなどを舐めていた。
「出たついでだ。夕飯を作るのが面倒だから、どこかで3人で食事をしよう」
料理好きなおふくろの口から、珍しい言葉が飛び出した。
外で食べたがらないおふくろが、自分から外食を誘うとは珍しいことだ。
「おごってくれるのなら、何処でもいいぜ」と返事をする。
「馬鹿じゃないの。この中でお給料をもらって稼いでいるのは、お前だけでしょう。
それとも何かい。無職の女と、遺族年金暮らしの女に金を出せと言うのかい、お前は。
やれやれ。薄情な息子を生んじまったもんだね、あたしは・・・」
家賃収入が有るだろう、と口に出かかったが、慌ててその言葉を呑み込んだ。
「分かったよ。連休に遠出をする予定でいるからピンチだが、そういうことなら話は別だ。
何処でもいいですょ。よろこんで安給料の中から、食事代を提供します」
「そうかい。じゃ話が決まったところで、鮎懐石が食べたいね。折角だから」と、
おふくろが「物の見事に落としたね」とニンマリと笑う。
鮎懐石というのは、織物の町・桐生市の山懐にある郷土料理と鮎料理を提供する店のことだ。
鮎のフルコースが食べられるのは、天然アユが捕れる7月から9月までの間に限定されている。
今の時期にも塩焼きは出てくるが、当然のこととして、冷凍保存された自家製のものだ。
それでも市販の冷凍品などから比べれば、やはり格段に優れた味の良さが有る。
ということはそれだけ、料理の値段も高いということを当然意味する。
市内を流れる桐生川の上流部に有るこの懐石料理店には、これと決まった献立が無い。
女性のお客が行くと、料理の量を減らし、品数を増やすという工夫をする。
また遠くから訪ねた場合、地元伝来の郷土料理などが数品盛り込まれることもある。
いずれの場合においても、客を満足させることを最優先に考える田舎の料亭だ。
また予算や用途に合わせ、四季折々の食材を用いて特別な献立なども用意してくれる。
そのためにここは常に、完全予約制の会席になっている。
昼の時間や、夜の時間に関係なく、いつでも利用できるがそのぶんだけ料金も高くなる。
だが今朝までのおふくろは、そんなそぶりはまったく見せていなかった。
いったいいつの間に、田舎の高級料理屋を予約したのだろうか?。それが疑問に残る。
じゃ行きましょとおふくろが、軽自動車のカギを俺の前の前でチャラチャラと揺らす。
るみを助手席に乗せ、おふくろを後部座席に乗せて、落ち合ったデパートを後にする。
先輩に呼びつけられたことと言い、突然の鮎懐石の話と言い、背景になにやらの作為を感じる。
問いただそうにも後部座席から身を乗りだしたおふくろは、車窓のあちこちを指さしながら
るみに、桐生の町の古い建物の紹介に余念がない。
これでは俺が、口をはさむ隙が無い。
3方向を山に囲まれている桐生市の盆地のような狭い市街地は、すぐに山裾にたどり着く。
左右に迫ってくる山の間を縫いながら、一本の細い道が北へ向かって伸びていく。
桐生川の源流に作られた、満々と水を蓄える「梅田ダム湖」へ続く道だ。
この道のほぼ終点近くに天然アユを売り物にしている、田舎の高級懐石料理屋が店を構えている。
市街地から、車で20分余り。
暮れかけてきた谷のせせらぎの底に、高級料理屋の赤い灯が見えてきた。
揺れる明かりを見た瞬間、すっかりわすれていた記憶が俺の頭に鮮明によみがえって来た。
親父が元気だったころ、よく連れてきてもらった夕涼みの鮎の簗(やな)だ。
真夏になると、無数の蛍が飛び交う場所だ。
幻想的に夜空を飛ぶかう蛍の光の軌道が、懐かしく、俺の脳裏によみがえって来た。
(68)へつづく
落合順平 全作品は、こちらでどうぞ
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ほろ酔い加減の先輩からようやく解放されたのが、午後の5時半。
急いで事務所へ戻り、本日分の清算を済ませる。
やれやれとほっと一息ついていたら、おふくろからラインを使ったメッセージが来た。
「るみとデパ地下に居るので、仕事が終ったら合流しろ」と書いてある。
スマホを使い始めたおふくろは、るみの教えでラインを使えるようになった。
小学生のようにたどたどしかった文章も、いつの間にか改善されている。
最近は、ごく自然に命令口調になっていることも多い。
「どこのデパ地下だ」と返信する。「勝手に探して見つけろ」と乱暴な文章が返ってきた。
るみがおふくろの背後でくすくすと笑っているのが、聞こえてきそうだ。
るみの体調を考えれば、あまり遠くのデパートではないだろうと推測した。
実家から一番近い某デパートへ足を運ぶことにした。
ラインのメッセージを受け取ってから15分後。
ふたりはデパートの地下ではなく、吹き抜けのエントラスホールで親子のように
仲良く肩を寄せながら、のんびりとソフトクリームなどを舐めていた。
「出たついでだ。夕飯を作るのが面倒だから、どこかで3人で食事をしよう」
料理好きなおふくろの口から、珍しい言葉が飛び出した。
外で食べたがらないおふくろが、自分から外食を誘うとは珍しいことだ。
「おごってくれるのなら、何処でもいいぜ」と返事をする。
「馬鹿じゃないの。この中でお給料をもらって稼いでいるのは、お前だけでしょう。
それとも何かい。無職の女と、遺族年金暮らしの女に金を出せと言うのかい、お前は。
やれやれ。薄情な息子を生んじまったもんだね、あたしは・・・」
家賃収入が有るだろう、と口に出かかったが、慌ててその言葉を呑み込んだ。
「分かったよ。連休に遠出をする予定でいるからピンチだが、そういうことなら話は別だ。
何処でもいいですょ。よろこんで安給料の中から、食事代を提供します」
「そうかい。じゃ話が決まったところで、鮎懐石が食べたいね。折角だから」と、
おふくろが「物の見事に落としたね」とニンマリと笑う。
鮎懐石というのは、織物の町・桐生市の山懐にある郷土料理と鮎料理を提供する店のことだ。
鮎のフルコースが食べられるのは、天然アユが捕れる7月から9月までの間に限定されている。
今の時期にも塩焼きは出てくるが、当然のこととして、冷凍保存された自家製のものだ。
それでも市販の冷凍品などから比べれば、やはり格段に優れた味の良さが有る。
ということはそれだけ、料理の値段も高いということを当然意味する。
市内を流れる桐生川の上流部に有るこの懐石料理店には、これと決まった献立が無い。
女性のお客が行くと、料理の量を減らし、品数を増やすという工夫をする。
また遠くから訪ねた場合、地元伝来の郷土料理などが数品盛り込まれることもある。
いずれの場合においても、客を満足させることを最優先に考える田舎の料亭だ。
また予算や用途に合わせ、四季折々の食材を用いて特別な献立なども用意してくれる。
そのためにここは常に、完全予約制の会席になっている。
昼の時間や、夜の時間に関係なく、いつでも利用できるがそのぶんだけ料金も高くなる。
だが今朝までのおふくろは、そんなそぶりはまったく見せていなかった。
いったいいつの間に、田舎の高級料理屋を予約したのだろうか?。それが疑問に残る。
じゃ行きましょとおふくろが、軽自動車のカギを俺の前の前でチャラチャラと揺らす。
るみを助手席に乗せ、おふくろを後部座席に乗せて、落ち合ったデパートを後にする。
先輩に呼びつけられたことと言い、突然の鮎懐石の話と言い、背景になにやらの作為を感じる。
問いただそうにも後部座席から身を乗りだしたおふくろは、車窓のあちこちを指さしながら
るみに、桐生の町の古い建物の紹介に余念がない。
これでは俺が、口をはさむ隙が無い。
3方向を山に囲まれている桐生市の盆地のような狭い市街地は、すぐに山裾にたどり着く。
左右に迫ってくる山の間を縫いながら、一本の細い道が北へ向かって伸びていく。
桐生川の源流に作られた、満々と水を蓄える「梅田ダム湖」へ続く道だ。
この道のほぼ終点近くに天然アユを売り物にしている、田舎の高級懐石料理屋が店を構えている。
市街地から、車で20分余り。
暮れかけてきた谷のせせらぎの底に、高級料理屋の赤い灯が見えてきた。
揺れる明かりを見た瞬間、すっかりわすれていた記憶が俺の頭に鮮明によみがえって来た。
親父が元気だったころ、よく連れてきてもらった夕涼みの鮎の簗(やな)だ。
真夏になると、無数の蛍が飛び交う場所だ。
幻想的に夜空を飛ぶかう蛍の光の軌道が、懐かしく、俺の脳裏によみがえって来た。
(68)へつづく
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