東京電力集金人 (55)るみの道ならぬ恋

(震災ボランティアとの、道ならぬ恋か・・・
20歳を過ぎたばかりのあの子に、そんな過去が有ったとは、な。)
3時を過ぎた頃、先輩が、撤去作業で汗を流しているはずのるみの姿を探しはじめる。
5反の畑をそっくり覆っているビニールハウスは、奥行きが、50メートル以上もある。
ボランティア活動のおかげで、ハウスの屋根を覆っていたビニールシートは
綺麗に剥がされ、概に撤去が終わっている。
残っているのは、恐竜の骨格のように連なる巨大なパイプの骨組みだけだ。
(5反あると、やっぱり撤去には多大な時間と労力がかかる。
素人集団とはいえ、2度にわたるボランティアのおかげで、なんとかここまで片付いた。
だがいつまでも、チームの厚意に甘えているわけにもいかないだろう。
俺と女房の2人では埒が明かないが、それでも亀のように、辛抱強く頑張るしかないだろう。
あ・・・るみちゃんも居たか。病人とはいえ、それなりに頑張っているもんな)
それにしても様子が見えないが、と先輩が、ハウスの奥へ向かう。
すっかりしおれてしまったトマトの苗が、まだあちこちに赤い実をつけたまま、
幾重にも足元に折り重なり、横たわっている。
水を極限まで減らし、過酷な条件下で育てているトマトの苗は、あれから2ヶ月近くが
経つというのに、いまだに枯れ果てず、最後の力を振り絞って青い実を育てている。
(まったく凄いよな、こいつらの生命力ときたら・・・)
トマトは何年も同じ場所で作り続けていると、やがて連作の障害が発生する。
それを防ぐために、農家は毎年、土造りに精を出す。
収穫の終ったトマトの木を農薬で枯らしたあと、幹から水分が消えた頃を見計らい、、
表に運びだして火で焼却処分をする。
だが、真夏に行うこのハウス内の片付け作業は、過酷をきわめる重労働だ。
先輩のハウスでは、生産の終ったトマトの木をトラクターで土にカチ込む。
カチ込むと言うのは、畑の土の中へトマトの木を生きたまま強引に耕してしまうことだ。
土に還したほうがトマトの木も栄養分になる。一種の有機農法だ。
さらに耕した後のハウス全体に水をはる。ハウスの中は、まるで水田ような状態になる。
満たした水の上にビニールを張り、ハウス全体を締め切って、高温のままで土壌消毒を図る。
「トマトの畑に水を張るのは、熱を土の底の方まで伝えて行くというのが狙いだ。
表面は70℃くらいまで上がるが、夜になると少しずつ温度は下がっていく。
だが水がある事で、熱が下がり難くなるから、殺菌効果は高まったままになる。
水がある事で、余分な肥料分を洗い流す効果もある。
田んぼには連作障害が無いだろう?。それと同じことさ。」と先輩が笑う。
太陽熱消毒というこの方法を、先輩は、真夏に一ヵ月間かけて行う。
その後にかぶせたビニールを剥がし、畝作りをして、9~11月頃までほうれん草を生産する。
トマトを植えるまでの間、ハウス内であえてほうれん草を植えて育てる。
これには実は、農法上の重要な意味が含まれている。
「ほうれん草の好きな肥料と、トマトの好きな肥料は、まったく別のものだ。
ほうれん草は、トマトが吸い残した肥料を吸ってくれる効果がある。
ほうれん草を作る時は、新しい肥料は一切入れない。あくまでもトマトの残肥のみで育てる。
メインはトマトだから、出来るだけ余分な肥料を少なくして、
次のトマト栽培に繋いでいく。という考え方だ。」
周囲には見えないが、こうした様々な下準備と努力を経て先輩のフルーツトマトは育つ。
だがそうした努力が、今回は大雪のために、すべてが水の泡と消えた。
(トマトは何回作っても、作るたびに一年生だ。気候も違えば、出来具合も微妙に異なる。
大雪でハウスが潰れたということは、一度くらいの成功で満足をせず、
また新しい農法を考え出せと言うことなんだろうな。おそらく・・・)と
先輩が苦笑いを見せる。
ようやく強気を取り戻した先輩が、るみの病状をなにかと気にかけてくれている。
おふくろから、るみの、道ならぬ恋の一件を聞いたためだろう。
先輩は、阪神淡路の大震災発生の時から、時間が許す限りボランティアに飛び回っている。
1995年1月17日に発生した阪神淡路大震災は、日本のボランティア元年と呼ばれている。
「ボランティア活動は、恋愛にも似ているんだ。」と語り始めるのが、先輩の口癖だ。
「まず。好きだという気持ちがなによりも重要だからな!」とかならず、口にする。
「恋愛においては言うに及ばず、ボランティア活動も『好きだから』という想いが、
行動のための、もっとも重要なエネルギー源になる。
偶然の出会いから、徐々に想いが高まってくるということも同じだな。
自分自身の特定の好みや、テーマによって、対象を選ぶことも可能だ。
ボランティア活動は二股をしてもOKだが、恋愛においての二股は絶対のタブーだ。
活動をする、しないを決めるのも自分自身だし、続けていくのもまた自分自身の考えだ。
楽もあれば苦もある。さまざまな苦難を仲間やパートナーと、共に乗り越えたときの
充実感にはすばらしいものがある。
だから俺は、災害の度にボランティアに行くんだ」
3年前の3.11の東日本大震災の時も、昨年発生した伊豆大島の土石流災害の時も、
先輩はハウスの仕事を奥さんに託し、本人はいち早く被災地へ飛んでいる。
いわゆる「被災地専門ボランティア」として顔も知られ、全国の仲間と情報を共有している。
それだけに、るみがボランティアと道ならぬ恋に落ちたという話は、ショックなのだろう。
いや。ボランティアが妻子持ちだということは、のちになってから判明したことだから、
この時点では、ただ純粋に恋愛感情が燃えたという可能性もある。
それでも正義感が強い先輩の眼から見れば、これは絶対に許されないという事態なのだろう。
なにかにつけて、るみを見つめる先輩の目が優しくなったのには、実は
そんな、隠された先輩のボランティア特有の想いが有る・・・
(56)へつづく
落合順平 全作品は、こちらでどうぞ

(震災ボランティアとの、道ならぬ恋か・・・
20歳を過ぎたばかりのあの子に、そんな過去が有ったとは、な。)
3時を過ぎた頃、先輩が、撤去作業で汗を流しているはずのるみの姿を探しはじめる。
5反の畑をそっくり覆っているビニールハウスは、奥行きが、50メートル以上もある。
ボランティア活動のおかげで、ハウスの屋根を覆っていたビニールシートは
綺麗に剥がされ、概に撤去が終わっている。
残っているのは、恐竜の骨格のように連なる巨大なパイプの骨組みだけだ。
(5反あると、やっぱり撤去には多大な時間と労力がかかる。
素人集団とはいえ、2度にわたるボランティアのおかげで、なんとかここまで片付いた。
だがいつまでも、チームの厚意に甘えているわけにもいかないだろう。
俺と女房の2人では埒が明かないが、それでも亀のように、辛抱強く頑張るしかないだろう。
あ・・・るみちゃんも居たか。病人とはいえ、それなりに頑張っているもんな)
それにしても様子が見えないが、と先輩が、ハウスの奥へ向かう。
すっかりしおれてしまったトマトの苗が、まだあちこちに赤い実をつけたまま、
幾重にも足元に折り重なり、横たわっている。
水を極限まで減らし、過酷な条件下で育てているトマトの苗は、あれから2ヶ月近くが
経つというのに、いまだに枯れ果てず、最後の力を振り絞って青い実を育てている。
(まったく凄いよな、こいつらの生命力ときたら・・・)
トマトは何年も同じ場所で作り続けていると、やがて連作の障害が発生する。
それを防ぐために、農家は毎年、土造りに精を出す。
収穫の終ったトマトの木を農薬で枯らしたあと、幹から水分が消えた頃を見計らい、、
表に運びだして火で焼却処分をする。
だが、真夏に行うこのハウス内の片付け作業は、過酷をきわめる重労働だ。
先輩のハウスでは、生産の終ったトマトの木をトラクターで土にカチ込む。
カチ込むと言うのは、畑の土の中へトマトの木を生きたまま強引に耕してしまうことだ。
土に還したほうがトマトの木も栄養分になる。一種の有機農法だ。
さらに耕した後のハウス全体に水をはる。ハウスの中は、まるで水田ような状態になる。
満たした水の上にビニールを張り、ハウス全体を締め切って、高温のままで土壌消毒を図る。
「トマトの畑に水を張るのは、熱を土の底の方まで伝えて行くというのが狙いだ。
表面は70℃くらいまで上がるが、夜になると少しずつ温度は下がっていく。
だが水がある事で、熱が下がり難くなるから、殺菌効果は高まったままになる。
水がある事で、余分な肥料分を洗い流す効果もある。
田んぼには連作障害が無いだろう?。それと同じことさ。」と先輩が笑う。
太陽熱消毒というこの方法を、先輩は、真夏に一ヵ月間かけて行う。
その後にかぶせたビニールを剥がし、畝作りをして、9~11月頃までほうれん草を生産する。
トマトを植えるまでの間、ハウス内であえてほうれん草を植えて育てる。
これには実は、農法上の重要な意味が含まれている。
「ほうれん草の好きな肥料と、トマトの好きな肥料は、まったく別のものだ。
ほうれん草は、トマトが吸い残した肥料を吸ってくれる効果がある。
ほうれん草を作る時は、新しい肥料は一切入れない。あくまでもトマトの残肥のみで育てる。
メインはトマトだから、出来るだけ余分な肥料を少なくして、
次のトマト栽培に繋いでいく。という考え方だ。」
周囲には見えないが、こうした様々な下準備と努力を経て先輩のフルーツトマトは育つ。
だがそうした努力が、今回は大雪のために、すべてが水の泡と消えた。
(トマトは何回作っても、作るたびに一年生だ。気候も違えば、出来具合も微妙に異なる。
大雪でハウスが潰れたということは、一度くらいの成功で満足をせず、
また新しい農法を考え出せと言うことなんだろうな。おそらく・・・)と
先輩が苦笑いを見せる。
ようやく強気を取り戻した先輩が、るみの病状をなにかと気にかけてくれている。
おふくろから、るみの、道ならぬ恋の一件を聞いたためだろう。
先輩は、阪神淡路の大震災発生の時から、時間が許す限りボランティアに飛び回っている。
1995年1月17日に発生した阪神淡路大震災は、日本のボランティア元年と呼ばれている。
「ボランティア活動は、恋愛にも似ているんだ。」と語り始めるのが、先輩の口癖だ。
「まず。好きだという気持ちがなによりも重要だからな!」とかならず、口にする。
「恋愛においては言うに及ばず、ボランティア活動も『好きだから』という想いが、
行動のための、もっとも重要なエネルギー源になる。
偶然の出会いから、徐々に想いが高まってくるということも同じだな。
自分自身の特定の好みや、テーマによって、対象を選ぶことも可能だ。
ボランティア活動は二股をしてもOKだが、恋愛においての二股は絶対のタブーだ。
活動をする、しないを決めるのも自分自身だし、続けていくのもまた自分自身の考えだ。
楽もあれば苦もある。さまざまな苦難を仲間やパートナーと、共に乗り越えたときの
充実感にはすばらしいものがある。
だから俺は、災害の度にボランティアに行くんだ」
3年前の3.11の東日本大震災の時も、昨年発生した伊豆大島の土石流災害の時も、
先輩はハウスの仕事を奥さんに託し、本人はいち早く被災地へ飛んでいる。
いわゆる「被災地専門ボランティア」として顔も知られ、全国の仲間と情報を共有している。
それだけに、るみがボランティアと道ならぬ恋に落ちたという話は、ショックなのだろう。
いや。ボランティアが妻子持ちだということは、のちになってから判明したことだから、
この時点では、ただ純粋に恋愛感情が燃えたという可能性もある。
それでも正義感が強い先輩の眼から見れば、これは絶対に許されないという事態なのだろう。
なにかにつけて、るみを見つめる先輩の目が優しくなったのには、実は
そんな、隠された先輩のボランティア特有の想いが有る・・・
(56)へつづく
落合順平 全作品は、こちらでどうぞ