落合順平 作品集

現代小説の部屋。

東京電力集金人 (68)せせらぎとホタル

2014-08-30 10:56:15 | 現代小説
東京電力集金人 (68)せせらぎとホタル




 ダムへ向かう本道から外れ、谷底へ下る道を数分進むと料理屋の駐車場へ着く。
駐車スペースへ車を停める瞬間、見覚えのある黒いベンツが目に飛び込んできた。
偶然かなと思った。だが客の少ない今の時期だけに、なんだか不自然な雰囲気を感じる。
果たして。予期した通り・・・
座敷へ案内されていく廊下の途中で、背後から岡本組長のだみ声が飛んできた。



 「おいおい、今頃に誰かと思えば、俺たちのマドンナの民ちゃんじゃないか。
 同級生の俺たちがここに居るというのに、無視をするとは冷たいなぁ。
 なんだ。よく見たら息子の太一も来ているのか。
 珍しいなぁ。いい歳をした跡取り息子が、おふくろさんと一緒に出歩くとは。
 で、そっちに控えているのは、東北美人のるみちゃんか。
 こんなひなびたド田舎のメシ屋でばったりと出会ったのも、なんかの縁だ。
 野郎2人で寂しく飲み始めたばかりだ。よかったらどうだ相席と言うことで。
 構わんだろう女将。今夜は見た通り、この通り、どこもかしこも空いていることだし」


 混んでいる時の相席ならわかるが、どこもかしこもガラガラという状態で相席するのは
意図的すぎるだろうと思ったが、組長に逆らうことはできない。
おいでおいでと手招きをされるまま、ずるずると座敷の中へ引きずりこまれた。
広い座敷にぽつんと、2人分の膳が用意してある。
だが数分後に手際よく、仲居たちが俺たちの部屋から3つの膳を運んでくると、
5人分の酒席が岡本組長が予約した部屋の中に、バランスよく整った。
なんだよ。最初から5人分の座敷として予約していた様子が、見え見えじゃないか・・・
小細工をするんだな組長も、と思った瞬間、背後に控えていた女将が意外なことを口にした。



 「ほんと。たまたまの偶然が重なっただけなのよ、今夜は。
 久しぶりに民ちゃんから電話がかかってきたと思ったら、すぐに後を追うようにして
 岡本君からも、今夜行くからと言う予約の電話が入ったの。
 あら珍しい。今夜は同級生ばかりが集まるのかと思ったら、若いお2人もお見えです。
 助かるわぁ。連休前の一番暇な時期に、2組も予約が重なるなんて。
 そのうえ一部屋でまかないが済むなんて、当家にすれば、手間が省けて大助かりです。
 山菜と郷土料理でおもてなしいたしますので、どうぞ5人でゆるりとお過ごしくださいな」


 じゃ民ちゃん、また後でねと女将がいそいそと長い廊下を立ち去っていく。
どうやら、まんざら嘘でもなさそうだ。
それが証拠に、思いがけずおふくろと行きあった岡本組長は目じりを目いっぱいさげたまま、
この偶然を、このうえもなく顔を崩して喜んでいる。


 「杉原の奴と、5月連休の旅行について相談をしていたところだ。
 ちょうどいいや、民ちゃん。俺たちと一緒に、たまには旅行を付き合わないか?」



 「5月連休に極道と医者が、仲良く、2人3脚で旅をするわけ?
 へぇぇ・・・・世の中、分かんないものだわねぇ。
 太一がるみちゃんと2人で、福島へ行くと決めたばかりだから、あたしにも暇があります。
 でもさぁ、オオカミが2人で旅行するところへ、女が1人だけ参加するというのは、
 どうにもこうにも不用心過ぎます」


 「そのことなら、まったく心配はねぇ。俺も杉原も、カミさんを同伴だ。
 で、今年は何処にしょうかと、相談をし始めた矢先だ。
 うん。いま福島へ行くと言ったな、太一。
 ということは、例の件を承諾してくれたということか?」



 おふくろと岡本組長のやりとりを聞いているうちに、今夜の此処での出会いが
まったくの偶然だということが、ようやく理解できた。
だが旅行の相談なら市内の飲み屋でも済む話なのに、何故この時期に、こんなひなびた場所で
この2人は酒を飲んでいるのか、それがまた新しい疑問になって浮かんできた。

 「カワニラのことが心配なのよ、この2人は」


 背後から俺の疑問を打ち消すかのように、いきなり女将の声が飛んできた。
冷えたビールを持って再び現れた女将が、俺に向かって「ホタルが心配なのよ」と
にこやかに笑う。
美人で知られる此処の女将は、実は、おふくろや岡本組長と同級生にあたる。
ということは、亡くなった親父とも同級生と言うことになる。



 「真冬でも、カワニラが心配でこの部屋へやってくるのよ、このお2人は」


 俺の親父とおふくろ。岡本組長と杉原医師。
そして此処の料理屋の女将の5人は、古い付き合いの幼馴染み同士だ。
俺が小学校に入って間もないころ、親父に連れられてここへひんぱんにやって来た。
だがこのあたり一帯にホタルが飛び交っていたという記憶は、まったく残っていない。
簗で採れたばかりの鮎の味は鮮烈に覚えているが、日が暮れてからこのあたり一帯を
ホタルが飛び交っていたという記憶は、まったく頭の中に残っていない。



 カワニラは、ホタルの幼虫期の餌として知られている。
淡水に住んでいる小粒の巻き貝で、川や水路に沢山生息をしている。
カワニラは雑食で植物だけでなく、沢ガニや昆虫などの小動物の死骸なども食べる。
俗に、水中の掃除屋と呼ばれている。
食欲は常に旺盛で、野菜の葉を水中に入れておくと、物凄い勢いで食べ尽くしてしまう。
そしてカワニラ自身は、ホタルの幼虫のエサになってしまう。
地域によっては茹でた川ニラが食卓に出る所もあるが、このあたりにそうした習慣はない。



 「このあたりに生息している蛍は、2度、絶滅しているのよ。
 最初の絶滅は1980年代のこと。日本が高度経済成長真っ盛りの頃のことです。
 河川の改修と、農薬の普及によって、水辺からホタルが姿を消してしまいました。
 2度目の絶滅は、2011年の初夏のことです。
 福島第一原発から漏れた放射能が、福島から200キロ以上も離れた関東平野を横切って、
 さらに箱根や富士まで飛散したのは御存じでしょう。
 原木で育てていた椎茸(しいたけ)は出荷禁止となり、赤城山頂のワカサギは
 すべて食用禁止になりました。
 毎年楽しみにしていたホタルの乱舞も、2011年だけは見ることが出来ませんでした。
 あのときも、3人でここから、桐生川の川辺を見ていたのよねぇ・・・・
 おかしいわねぇ。今年はホタルが飛ばないねぇって、首をかしげたのをよく覚えています」



 岡本組長が予約をしたこの部屋は、桐生川の渓谷を見下ろす特等席だ。
ここからホタルの乱舞を眺めることが、岡本組長と杉原医師のなによりの楽しみなのだ。

(69)へつづく


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