落合順平 作品集

現代小説の部屋。

東京電力集金人 (62)ボランティアとは

2014-08-24 11:51:23 | 現代小説
東京電力集金人 (62)ボランティアとは




 立ち話を聞き終えた先輩が、足音を立てないようにして女2人から遠ざかる。
(女房が結婚した直後、ホームシックを病んでいたというのは、初耳だ。
それだけの辛い気持ちが有ったからこそ、るみの本心をいつの間にか見抜いたのだろう。
俺もどうやら、若い2人のためにお節介を焼く必要が有りそうだ。どれ・・・)


 ハウスから20メートルほど離れたところで、先輩が胸のポケットから携帯を取り出す。
慣れた手つきで画面を操作し、記録してある俺の番号を呼び出す。
集金業務中の俺のところへ先輩から電話がかかってくるのは、きわめて珍しいことだ。



 「はい」と答えると、「今からすぐ、慶介の居酒屋へ来い」と命令口調が飛んできた。
「まだ業務中です。それに慶介さんのところは、5時から開店のはずですが?」
「3時を過ぎれば仕込みで店に居る。別にお前に呑ませるわけじゃないから急いで顔を出せ。
俺も今から慶介の店に飛んでいく」それだけを伝えると、先輩の携帯がプツリと切れた。



 何かしらの急用が発生すると先輩はいつでも、問答無用で俺を呼びつける。
実家に住んでいた時から、何度も全く同じ方法でこうして呼びだされた。
問答無用の頭ごなしは、毎度のことだ。
『思いついたことは、すぐに実行する』と言うのが先輩の口癖だ。
無視をするわけにもいかず、後半の集金は諦めて4時以降の予定をすべてキャンセルにした。



 こういう場合、請負の集金業務は気楽なものだ。
相手が在宅していての成果だから、いくらでもやりくり上の都合はつけられる。
「不在が多すぎて、後半は特に苦戦しました」と報告すれば、残った業務は翌日回しになる。
東電と言う巨大空母の足元では、けっこう、この程度のいい加減な業務報告が通用をする。
企業体質的に、どこか生ぬるいところが有ると言ってしまえば、それまでの話だが・・・


 15分ほどで、郊外にある慶介の居酒屋へ着いた。
中へ入ると先輩はすでにビールの生ジョッキを片手に、店主の慶介となごやかに談笑中だ。
俺の姿を見るなり、おう、と手をあげる。
「どうだ。お前も飲むか」と無理を承知で、アルコールの誘惑に誘う。
「業務中ですけど」と憮然と返事をすれば、「じゃあ、こいつにはノン・アルコルビール」と
と、いつものように軽く受け流す。



 「お前、ボランティアの起源のことを知っているか?。
 語源は、ラテン語のボランタール(自由・正義・勇気)からきている。
 広辞苑で引くと「志願者・篤志家・奉仕者」「自ら進んで社会事業などに参加する人」
 と有る。英和辞書では、「志願兵」「義勇兵」なんて書いてある」


 「人を呼びつけておいて、いきなりボランティアの話ですか?。
 こう見えても集金ノルマに追われて、忙しいんですよ俺。
 特に特別という用事がないのなら、仕事にもどりますよ俺は、先輩」


 「まぁまぁ、そう結論を急ぐな。大事な話はこれからだ。
 その前にどうしても、ボランティア精神と言うやつを理解してもらう必要がある。
 でそのボランティアの起源だが、こいつにはいくつかの説が有る。
 17世紀の中頃。イギリスの国内は混乱状態にあり、人々の生活は不安に満ちていた。
 自分達の村や町は自分達で守ろうと、自ら進んで自警団に参加する人達が現れた。
 その人たちのことをボランティアと呼んだ。
 こうした動きとは別に、18世紀後半から19世紀前半にかけてアメリカ合衆国の独立や、
 フランス革命、南アフリカ諸国の独立などに参加した義勇兵たちを、
 ボランティアと呼ぶようになった。
 どちらの説でも、自ら進んで活動する人たちのことを称してボランティアと呼ぶ。


 19世紀後半に、イギリスで産業革命が進んだことは知っているだろう。
 繁栄をする一方で不衛生で貧困な生活を送る人たちに対し、1869年にロンドンで、
 COS(Charity Organization Society)という民間の組織が誕生した。
 金品の施しよりも友人としてのかかわりに重きをおいた、友愛訪問活動の誕生だ。
 これをボランティア活動の始まりと見るのが一般的だ。
 この後、活動家たちは自らスラム地区に住み、人格的なふれあいを通じて、
 人々の厚生と、地域改良に取り組もうとするセツルメント活動が生まれた。
 こうした人々の思いと行動が、ボランティアの原型と言われている」



 「そういう点から見ると、日本のボランティア活動の歴史は、実に浅いですねぇ。
 6000人以上が死亡した1995年の阪神淡路大震災が、日本のボランティア元年と
 言われていますからねぇ」


 「その通りだ。俺のボランティア活動も阪神淡路の大震災から始まった。
 震災発生後、最初の1ヶ月は、1日あたり2万人。
 2ヶ月間で、延べ100万人以上のボランティアたちが阪神の被災地で活動をした。
 「何かしてあげたい」「何かしなくては」という熱い思いから、全国から人々が集まった。
 多くの人たちが、震災以前にボランティア活動をしたことがない人たちばかりだ。
 そのことから1995年を、日本の「ボランティア元年」と呼ぶようになった」


 底に残っていたビールを、ごくりと飲み干した先輩が、
「お替わり!」と大きく慶介さんに向かってグラスを振ったあと、ギョロリとした目で俺を振り返った。
「で。お前さんとの話の中身だが、もうだいたいおおかたの見当はついただろう」
どうだ、と言わんばかりに先輩が鋭い目で俺の顔を覗き込んできた。



(63)へつづく


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