落合順平 作品集

現代小説の部屋。

東京電力集金人 (58)こころの痛手

2014-08-20 09:53:24 | 現代小説
東京電力集金人 (58)こころの痛手




 「思春期になると、異性を好きになる感情が芽生えるわ。
 いろんな風に恋をして、いろいろなことを経験するのも大切だけど、
 人生にはもっと大切なことが有るの。
 心の痛手を乗り越えるための、勇気を学ぶことが大切です。
 そのためには、こころが折れそうなほどのひどい失恋を経験することが必要になるわ。
 どう。有るんでしょう、あなたには。
 あなたの心を踏みにじってしまった、ひどい男の苦い思い出が。
 それからもうひとつ。あなたのこころの中には、忘れられない3.11の惨状が有る。
 そのふたつが、いまでもあなたのこころを深く傷つけているはずです。
 どう。図星でしょ」


 先輩の奥さんが、真正面からるみの瞳を覗き込む。
「たぶん、太一じゃあなたには物足りないわね。草食系過ぎるから」
うふふそれもまた図星でしょと、さらに奥さんがるみの瞳を覗き込む。
「そんなことはありません。太一は・・・」と言いかけて、るみがあとの言葉をふと、
呑み込んでしまう。


 「主人がね。ボランティアから無事に戻ってくるたび、あたしはほっとするの。
 被災地や災害地の人たちの心理は、異常なほど繊細すぎるもの。
 生きるか死ぬかを経験した人たちから見れば、ボランティアは希望の光になると思う。
 普通に恋をして、被災地で結ばれるカップルも誕生するけど、
 それとは逆に、感情に流されて、道ならぬ恋に発展するケースもたくさんあるはずです。
 一番多いのが、妻帯者に独身女性が入れ込んでしまう不倫という恋愛。
 妻帯者であることを隠している男性にも、もちろん大きな罪が有ります。
 だからといって、妻帯者であるかどうかを確認してから、恋愛が始まるわけじゃないもの。
 独身者同士だけが、恋愛をするわけでもないし。
 この世に男と女が居る限り、いろんなケースで、悲喜こもごもの恋愛がはじまるわ。
 あなたにも実は、他人には言えないそんな経験が有るんでしょ?
 白状してしまいなさい。あたしが楽にしてあげるから」


 自信たっぷりの眼が、さらに追い打ちをかけるようにるみの瞳を覗き込む。



 「娘を3人も育てあげたのよ。
 主人には到底いえない、女同士だけの内緒の話がたくさんあるの。
 3も人いればそれぞれに性格が違うように、恋愛パターンもさまざまです。
 長女は堅実だったのに、次女と三女ときたらやたらと妻子持ちばかり好きになるし、
 しまいにはシングルマザーでもいいから、あの人の子供が産みたいなんて騒ぎ始める始末です。
 いい加減にしなさいとたしなめて、淑女のふりをさせて2人とも無事に嫁に行かせたわ。
 母親と娘の関係なんてそんなものよ。あなた、お母さんは?」


 「母は、津波にのまれて亡くなりました。
 いま避難先に残っているのは、年老いた祖母と父。兄の3人だけです」


 「ということは、ほかにも、家族の中に亡くなった方が居るの?」



 「母の車に乗っていた姉も、避難する途中で追いかけてきた津波にのまれてしまいました。
 成人式のための衣装の、打ち合わせの帰り道だったそうです」


 「そう。ごめんなさい。辛いことを思い出させてしまったわねぇ」

 「いいんです。口にすることで少しずつ忘れていくことが出来ますから」


 「あなたも、3.11の津波を体験しているの?」



 「私が勤めていた月の輪酒造は、海岸から1キロほどのところに建っています。
 強い揺れのため、酒蔵の内部や壁のほとんどが崩れ落ちました。
 津波がやってくるから危ないということで、いそいで後方の高台に避難しました。
 浪江町の揺れは、震度6強。港を襲った津波は、15,5メートル。
 避難をしていた高台から、漁港のある請戸(うけど)の地区が、
 見る間に津波にのまれていく姿を目撃しました。
 あっという間に盛り上がった海が、防波堤を軽々と越えて、港の中に押し寄せてきました。
 瓦礫を呑み込む前の津波は神々しいほど、青々としていてとても美しい色をしています。
 不謹慎ですが、思わず「美しい」と、つぶやいてしまいました。
 でも上陸してあっというまに濁流に変わっていく様子に、我を忘れました。
 津波の持っている、破壊力のすさまじさに圧倒されてしまいました。
 駐車場に停まっていた車は濁流に呑まれ、建物は大きな音を立てて倒壊をしていきます。
 ほんの5分足らずで、港に面していた請戸地区が濁流の底に消えてしまいました。
 浪江町の中で最大の犠牲者が出たのが、私が目の当たりにした漁港に面した請戸地区です。
 140人の方が亡くなり、10人がいまだに行方不明です」


 「メルトダウンをした福島第一原発も、すごく近い場所にあるんですって。浪江町の」


 「請戸港から南へ七キロ。
 そこに毎日、東京電力福島第一原子力発電所の排気搭と建屋が見えます。
 でもこの日、原子炉がメルトダウンして放射能が漏れだしたことを、私たちは知りません。
 翌日になって警備に当たる警察官が、みんな同じように、白い防護服を着ていることに、
 違和感を覚えたことを、今でも鮮明に覚えています」


 浪江町は東日本大震災から一夜明けた3月12日午後、
役場の機能を町の中心部から、西へ約20キロ離れた町津島支所に移している。
町の職員がとっさの判断で、役場の倉庫から支所へ運び込んだ物品があった。
不織布製の白い防護服、およそ150着だ。
繊維を織らずに結合させた素材を使い、放射性物質が体に付着するのを抑える役割を
果たすという、災害用に限定された衣服だ。



 多くの町民が津島地区に避難していた数日間、この防護服が使われることはなかった。
町職員は「町内の放射線量が高いことを、国や県からまったく知らされていなかった」と
あの日のことを振り返り、悔しそうにいまでも唇を噛む。


(59)へつづく


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