東京電力集金人 (54)るみが見つめる先に有るもの・・・
先輩のビニールハウスの撤去が、地道ながらすすんでいる。
手作業による解体のため、進捗状況は、亀の散歩よりはるかに遅いものがある。
結合部分の部品をひとつずつ取り外し、変形したパイプを一本ずつ丁寧に引き抜いていく。
ビニールハウスは1反(300坪)当たり、およそ6トンの鋼材と部品が使われている。
それをひとつずつ手で撤去していくわけだから、見た目以上の肉体労働になる。
普段使っていない筋肉を使うから、2~3日手伝っただけで、全身が筋肉痛になる。
桜が散った4月の半ば過ぎから、るみが先輩のハウスに出かけるようになった。
「無理しなくてもいいぞ」と、先輩のほうが、かえってるみに神経を遣う。
午前中に2時間。午後にまた2時間。
るみは自分の体調と相談をしながら、ハウスの片づけ仕事に汗を流す。
「リハビリ治療をさせていると思い、長い目で面倒見てくださいな」と、おふくろが
先輩の顏を覗き込んで、頼み込む
「見た通りです。猫の手も借りたいくらい悲惨な状態だもの、俺の方こそ助かります。
だがどう見ても、やっぱり、いつもの快活なるみちゃんじゃなさそうだ。
相変わらず、どことなく元気も足りない。
病院の先生は、るみちゃんの病状をどんなふうに言っているんだ?」
「PTSD(心的外傷後ストレス障害)は、強烈なショックを受けることで、
強い精神的なストレスが産まれ、こころに傷が出来てしまう病気だそうです。
体験した出来事から数週間、ときには、数年以上も症状が継続することもあるそうです。
無理もないよねぇ。
あの子は18歳で、東北のあの大震災を体験しているんだもの。
生きるか死ぬか状態を経験したことが、病気の原因だろうと言っていたけど、
どうやら、それだけではなさそうだとも言っていた」
「震災の体験だけじゃない?。どういう意味だ。まだ他にも原因が有るということか?」
「年頃の女の子がかかる病気と言えば、思いつくことが有るだろう?」
「一方的な片思いとか、大失恋とか、そういった恋にかかわる病気の事か?」
「考えてもみな。浪江町で生まれた、22歳の女の子だよ。
家族と離れて、たったひとりで群馬に居るというのも変だろう?。
わざわざ単身で、はるばる群馬までやって来る必要が、あの子には有ったんだろうねぇ」
「もしかしたら・・・男が居たということか!」
「しっ、声が大きい」とおふくろが、先輩の声をたしなめる。
「群馬からも、ずいぶん多くの男たちが、震災のボランティアで現地に飛んだ。
パニックの現場では、ボランティアに入った男たちが、ずいぶんと逞しく見えるという。
女の子が、たまたま群馬からやって来たボランティアの中の青年を、好きになった。
そんな事がひとつやふたつ有っても、決して不思議な話じゃないだろう」
「好きになったボランティアを追いかけて、18歳の女の子が、
はるばると、群馬にまで来たということかよ!」
「震災から、まる3年が経つんだよ。
独身だとばかり思いこんでいた青年に、実は、妻子がいた。
あげくに中絶までしてしまったら、もう女に、生きる気力はなくなるだろうねぇ」
「おい。そのことを全部、太一は知っているのか」と先輩が、血相を変えて、
おふくろの顔を覗き込む。
「知らないだろうねぇ、太一は。根っからの呑気者だからねぇ」と、おふくろは笑う。
「いいのか、それで!」さらに先輩が怖い目をして、おふくろに追い打ちをかける。
「いいも悪いも、そこから先は、太一とあの子が決めることだ。
そういうあんただって、ひとの女房になりかけていた女を、千葉から無理矢理、
群馬にかっさらってきたくせに。良く言うよ、昔のことも忘れてさ」
「俺の嫁のことなら、ほっといてくれ」と先輩が苦笑をする。
「何か、ワケの有りそうな子だとは思っていたが、やっぱりそんな風に
込み入った事情があったのか。大変だな、太一も。よりによって厄介なのを拾ったもんだ」
大変だなぁと、先輩が溜息をもらす。
「あんたほどじゃないけどね」おふくろが、先輩の顔を見上げて笑う。
「恋敵が群馬まで乗り込んできて、決闘騒ぎになったのを引き留めてあげたのは、あたしだよ。
その恩人を忘れるとは、あんたもずいぶんと恩知らずだ。ふん、るみのことはもう頼まないよ。
いまから昔の千葉の恋敵に、電話を入れてもいいんだよ」
そうなったらどうするんだいあんたはと、おふくろが嬉しそうにウフフと笑う。
「で、あんたが気になっているという、るみの最近の様子というのは?」
当初の用件を思い出したおふくろが、あらためて先輩の顔を覗き込む。
「おう、肝心なのは、実はその件だ。
気になる様子があって、それであんたを呼んだんだ。
あいつ。時々、北のほうに顔をむけて、長い時間、何かを考えているんだ。
寂しそうな横顔の様子も気になるし、最後には、長い溜息なんかついている。
それで気がついたんだが、もしかしたらあの子は、生まれ育った浪江町に、
帰りたいんじゃないのかな。
なんだか、近頃のあいつの様子を見ていると、そんな風な気がしてならないんだ。
俺の、単なる勘違いならいいんだけどなぁ・・・」
(るみが浪江町に帰りたがっているって?・・・)
何気なくつぶやいた先輩のひとことに、おふくろは全神経を集中させた。
(55)へつづく
落合順平 全作品は、こちらでどうぞ
先輩のビニールハウスの撤去が、地道ながらすすんでいる。
手作業による解体のため、進捗状況は、亀の散歩よりはるかに遅いものがある。
結合部分の部品をひとつずつ取り外し、変形したパイプを一本ずつ丁寧に引き抜いていく。
ビニールハウスは1反(300坪)当たり、およそ6トンの鋼材と部品が使われている。
それをひとつずつ手で撤去していくわけだから、見た目以上の肉体労働になる。
普段使っていない筋肉を使うから、2~3日手伝っただけで、全身が筋肉痛になる。
桜が散った4月の半ば過ぎから、るみが先輩のハウスに出かけるようになった。
「無理しなくてもいいぞ」と、先輩のほうが、かえってるみに神経を遣う。
午前中に2時間。午後にまた2時間。
るみは自分の体調と相談をしながら、ハウスの片づけ仕事に汗を流す。
「リハビリ治療をさせていると思い、長い目で面倒見てくださいな」と、おふくろが
先輩の顏を覗き込んで、頼み込む
「見た通りです。猫の手も借りたいくらい悲惨な状態だもの、俺の方こそ助かります。
だがどう見ても、やっぱり、いつもの快活なるみちゃんじゃなさそうだ。
相変わらず、どことなく元気も足りない。
病院の先生は、るみちゃんの病状をどんなふうに言っているんだ?」
「PTSD(心的外傷後ストレス障害)は、強烈なショックを受けることで、
強い精神的なストレスが産まれ、こころに傷が出来てしまう病気だそうです。
体験した出来事から数週間、ときには、数年以上も症状が継続することもあるそうです。
無理もないよねぇ。
あの子は18歳で、東北のあの大震災を体験しているんだもの。
生きるか死ぬか状態を経験したことが、病気の原因だろうと言っていたけど、
どうやら、それだけではなさそうだとも言っていた」
「震災の体験だけじゃない?。どういう意味だ。まだ他にも原因が有るということか?」
「年頃の女の子がかかる病気と言えば、思いつくことが有るだろう?」
「一方的な片思いとか、大失恋とか、そういった恋にかかわる病気の事か?」
「考えてもみな。浪江町で生まれた、22歳の女の子だよ。
家族と離れて、たったひとりで群馬に居るというのも変だろう?。
わざわざ単身で、はるばる群馬までやって来る必要が、あの子には有ったんだろうねぇ」
「もしかしたら・・・男が居たということか!」
「しっ、声が大きい」とおふくろが、先輩の声をたしなめる。
「群馬からも、ずいぶん多くの男たちが、震災のボランティアで現地に飛んだ。
パニックの現場では、ボランティアに入った男たちが、ずいぶんと逞しく見えるという。
女の子が、たまたま群馬からやって来たボランティアの中の青年を、好きになった。
そんな事がひとつやふたつ有っても、決して不思議な話じゃないだろう」
「好きになったボランティアを追いかけて、18歳の女の子が、
はるばると、群馬にまで来たということかよ!」
「震災から、まる3年が経つんだよ。
独身だとばかり思いこんでいた青年に、実は、妻子がいた。
あげくに中絶までしてしまったら、もう女に、生きる気力はなくなるだろうねぇ」
「おい。そのことを全部、太一は知っているのか」と先輩が、血相を変えて、
おふくろの顔を覗き込む。
「知らないだろうねぇ、太一は。根っからの呑気者だからねぇ」と、おふくろは笑う。
「いいのか、それで!」さらに先輩が怖い目をして、おふくろに追い打ちをかける。
「いいも悪いも、そこから先は、太一とあの子が決めることだ。
そういうあんただって、ひとの女房になりかけていた女を、千葉から無理矢理、
群馬にかっさらってきたくせに。良く言うよ、昔のことも忘れてさ」
「俺の嫁のことなら、ほっといてくれ」と先輩が苦笑をする。
「何か、ワケの有りそうな子だとは思っていたが、やっぱりそんな風に
込み入った事情があったのか。大変だな、太一も。よりによって厄介なのを拾ったもんだ」
大変だなぁと、先輩が溜息をもらす。
「あんたほどじゃないけどね」おふくろが、先輩の顔を見上げて笑う。
「恋敵が群馬まで乗り込んできて、決闘騒ぎになったのを引き留めてあげたのは、あたしだよ。
その恩人を忘れるとは、あんたもずいぶんと恩知らずだ。ふん、るみのことはもう頼まないよ。
いまから昔の千葉の恋敵に、電話を入れてもいいんだよ」
そうなったらどうするんだいあんたはと、おふくろが嬉しそうにウフフと笑う。
「で、あんたが気になっているという、るみの最近の様子というのは?」
当初の用件を思い出したおふくろが、あらためて先輩の顔を覗き込む。
「おう、肝心なのは、実はその件だ。
気になる様子があって、それであんたを呼んだんだ。
あいつ。時々、北のほうに顔をむけて、長い時間、何かを考えているんだ。
寂しそうな横顔の様子も気になるし、最後には、長い溜息なんかついている。
それで気がついたんだが、もしかしたらあの子は、生まれ育った浪江町に、
帰りたいんじゃないのかな。
なんだか、近頃のあいつの様子を見ていると、そんな風な気がしてならないんだ。
俺の、単なる勘違いならいいんだけどなぁ・・・」
(るみが浪江町に帰りたがっているって?・・・)
何気なくつぶやいた先輩のひとことに、おふくろは全神経を集中させた。
(55)へつづく
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