落合順平 作品集

現代小説の部屋。

東京電力集金人 (65)命の重さ

2014-08-27 10:57:25 | 現代小説
東京電力集金人 (65)命の重さ




 「東日本大震災が発生した3年前の3月11日の当日。
 1万8000人近くが犠牲になったあの日。岩手・宮城・福島の3県で、
 わかっているだけでも 110を超える新しい命が産まれている。
 被災地でのボランティア活動は、悲惨そのものだ。
 誰もが無口なまま、黙々と目の前の瓦礫と格闘を続ける。
 阪神淡路の時もすごかったが、東日本大震災の被災地ははるかにそれを上回っていた。
 押しつぶされそうな空気の中で、誰もが辛さに耐えて作業していた。
 だがそんな時、どこかで幼子が救助されたというニュースや、どこそこで新しい命が
 無事に誕生したというニュースなんかを聞くと、俺たちの気持ちの中に、
 なんだか新しい元気と、希望の光が点ったもんだ」


 「そういえば、そんな話を、何処かの局のスペシャル番組で見た記憶があります。
 多くの命が失われた一方で、希望の象徴ともいえるあたらしい生命が誕生する。
 最初に登場したのはたしか未婚の女性で、シングルマザーです。
 定職を持っていない女の子が、ひとりで育てることを決意して、3.11の日に女の子を出産する。
 生まれてきた子供に元気をもらいながら、混乱した被災地の中で生きる道を
 模索していくという、ドキュメンタリー番組です」


 
 「俺が現地に入ったのは、3.11の翌日のことだ。震災直後の現場感情は複雑だ。
 不安に押しつぶされそうになりながら、津波で水没しかけた病院でわが子を産んだ母親がいる。
 混乱が続く中で、「こんな時に産まれた子は、本当に幸せなのか」と自らに問いかけ、
 いくら考えても、答えを出すことができないでいる母親もいた。
 大切な人たちを亡くした深い悲しみの中で、自分だけが子どもを授かったことに、
 素直に喜びを感じることができない母親たちもたくさんいた。
 それでも「生まれてきた我が子の笑顔を守りたい」という思いだけで、家族は
 さまざまな困難を乗りこえて生きることになる。
 それぞれが、新しい命に励まされて強く生きていくことを決める。
 絶望の淵から這い上がろうとする被災地の人たちに見守られながら、
 あのに時生まれた子どもたちは、今年で3歳の誕生日を迎える。
 被災した人たちが必死の思いで、小さな命の誕生を守り抜いてきたんだ。
 だが、おおくの家族は、取り返しのつかない大きなものをいくつも失なっている。
 失われた命には、見守ってきた家族の思い出や将来が、一瞬にして消滅したことを意味する。
 被害が悲惨すぎたために、震災の「3月11日」に子どもを授かった家族は、
 わが子が生まれた喜びや成長の嬉しさを、素直に現すことがいまもできずにいる。
 3年が経ち、ようやく心の内を語ることが出来るようになったと語っている家族も、
 実は、少なくないのが現状だ」



 あの時のことを思いだしたのか、先輩が遠い目で天井を見つめている。
命の重みというものを真正面から取り上げたそのドキュメンタリー番組は、俺の心にもズシリと響いた。
多くの命とひきかえに、3.11のすべてを背負って生まれてきた新しい命だ。
東日本を襲った2011・3.11の出来事は、おそらく日本史の中に長く深く刻み込まれることだろう。



 海に面した都市部と、海岸線に点在するほとんどの集落が一瞬にして壊滅してしまったという事実。
原子力発電所の安全神話が、音をたてて崩れ落ちた日。
安全なはずだった原子力が、津波の猛威の前にもろくも崩れ落ちて、醜態をさらした日。
東日本全体に飛散した放射能が、長く日本と福島を苦しめることになる。
放射能は除染によってある程度まで生活圏から取り除かれたとはいえ、いまだに原発の建屋は
当時のままの状態で放置をされている。


 大量の地下水が建屋内に流れ込むため、1日400トンの勢いで高濃度の汚染水が増えている。
福島原発は、毎日増え続ける放射能の高濃度汚染水との格闘の場になっている。
汚染水タンクの貯蔵量は、たった3年で42万トンを超えた。
敷地内には1000を超えるタンクが設置されている。
だが収用限度といわれている45万トンは、もうすぐ目の前に迫っている。



 「去年のボランティアでも、その前の年のボランティア活動のときでも、
 俺は増え続ける福島の貯蔵タンクを見てきた。
 ものすごい勢いで、原発の敷地内にタンクの数が増えている。
 すさまじい勢いで放射能に汚染された水が増えていることの、なによりの証明だ。
 東電は2016年までに、80万トンまでタンクを増やすという計画を発表した。
 福島で生きている子供たちは、この環境の中で未来を見つめているんだ。
 福島へ行くたびに、人はなぜ生きるのかということを、俺は思い知らされる。
 普通の生活の中で、普通に命を見つめるという状況は、いまの福島には無い。
 と、俺は思う。
 福島へ足を運ぶたびに、いつもそれが痛切な痛みになる・・・
 お前。5月連休にるみちゃんを連れて、福島のあるがままの現実を見つめて来い。
 そしてるみちゃんの中にある命の重さというやつを、ちゃんと見つめて来い」



 先輩の鋭い目が、真正面から俺の顔へ飛んできた。
先輩は今でも定期的に、福島の被災地へボランティア活動に飛んでいく。
「復興は、まだまだ口先だけのことだ。建物や工場が再建されただけでは人の心は育たない。
真の復興は、人々がここでまた、いままでのような平和な日常を取り戻すことだ。
被災地にはまだ、いくつものハードルが、解決しないまま横たわっている。
そのひとつが、たとえば福島第一原発の高濃度汚染水との、際限のないたたかいだ」


 先輩の眼が、さらに厳しい光を帯びてきた。
「なにがなんでも福島へ行け」その眼は問答無用に、俺に向かってそう命令をしている。



(66)
へつづく


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