梅雨のせいかも知れないが、気分がスキッとしない。毎日の天気がいけない。
そう言えば天気のことで、以前の「いちよう」で、私のアンケート回答文を30号記念食事会時に読み上げた…。その文の中であまり使わなかったけれど、よく耳にする言葉を使ってみた。
それは『のうてんき』という言葉。まず、私は和英造語(これも、果たしてこう言うのか?)で、No Tenki 「ノー・テンキ」だと思い“お笑い的ユーモア”と判断して、良いお天気ではない、天気には関わりない、転じて、周りの風景には関係ない陽気なこと…全く本来の意味とは違う勝手な解釈だった訳であったのに、使った。
「あれ! ノウ テンキ…違うのじゃないの?」
「それってあまり好い意味では使わないよ。」
「関東では好い意味なのかも知れないが、関西では…」
…まだ、編集にも入らなかった時。
そう…「記念号」のために、皆さんに声をおかけして、「食事会を兼ねて散歩会のこれまでを振り返りながら、仲間同士の和やかなおしゃべり会をしましょう!」と企画して、お集まりいただいたときである。
前以ってアンケートを組み、まず恥ずかしながら、自分自身の回答をひとまず話題のきっかけとして、読み上げていた時にご指摘を受けたのである。
さっそく、YGさんはいつもご持参の電子辞書を取り出して調べてくださった。
「のうてんき」は 【能天気・能転気】 軽薄で向こうみずな者。なまいきな者。
柳樽62「声色で講座を叩く能転気」*『広辞苑』から。
あとで調べた他の辞書『新明解国語辞典』では、
【脳天気】 〔関東・中部方言〕常識はずれで、軽薄な・様子(人)。
*表記・もと「能天気・能転気」と書いた。
さらに後日インターネット「日本語俗語辞典」によると、
能天気とは、呑気で軽薄なこと。または、そのような人。【年代】 江戸時代~ 【種類】 -
能天気の解説 能天気とは呑気で軽薄なことや安直なこと。またはそのような人をさす。更にそれが転じ、生意気な人を指しても使われる。能天気が普及したのは古く、江戸時代の書物には既に使われている。のうてんきには実に様々な表記があるが、一番多く使われるのは能天気。以下、脳天気、能転気、のーてんきがある。更に最近ではノー天気という表記もあるが、どれも意味は同様。脳天気という表記は昭和時代後期から使われるようになったもので、小説家の平井和正が広めたといわれている。
…とあった。話し合いもなく、もしも一人で会報を組んで編んでいたら、もっと恥ずかしいことになった。こんな恥をかいたという発表をしている方が恥ずかしいんじゃないの~? (いいえ!ひとつまた、利口になったと感謝したことであった。)
まあ、未だに「聞くは一時の恥 聞かぬは一生の恥」を実行している私である。
どちらも恥としても、インターネットにアップするのは、尚更に恥と言うものだけれど、「オバタリアン」の図々しさも運のよいことに育んでいるようで、申し訳ないことである。こんな性質だから決して今、巷では流行ってきているという「うつ病」にも陥ることなく、無事に過ごせるようになったのであろうか。
こんな性質にも感謝しなくっちゃ…ネ。
今の季節は樹の花や実がなっていて梅雨の晴れ間を見ては、顔を上げて歩いている。
上の写真は槿(ムクゲ)、その下は合歓の木(ネムノキ)、そして山桃(ヤマモモ)…には、実がついている。