本堂までの途中に釈迦堂がある。善光寺に比べてキラキラしているお堂が右手に見えた。ふらりと寄る。釈迦堂だ。国宝で釈迦涅槃像が安置されている。
お参りしてから何かいいお土産がないかと目を向けてみた。
お茄子の根付けの形で「ボケ封じ」、そして黄金の杖、高下駄、鈴がぶら下がった「健脚守り」が目に入った。
茄子はボケると美味しくないし、ボケやすいから自分のボケを茄子に譲り、引き受けてもらうという洒落の心も読み取った。違うかな?
年老いてもそうありたい…と何となく手にしていたら、「おまじないしておきますよ」とお店番をしているご住職の奥さんらしい方が言われた。そうか!そうだよね! お守りはおまじないの類なんだ…と改めて思った。
お守りは多分心の安定・安心を得たいための「おまじない」に過ぎないことだと改めて気づかされ、納得した。
下の写真の背景は善光寺の本堂の奥の方が見える。阿弥陀様が安置されている。
本堂の中には、病の治癒信仰「撫で仏」が、おびんずるさま。お顔は人々に撫で回されて、鼻も目も肩もお体中が磨り減ってつるつるになっている。
おびんずるさまの肩越しに見えるのが、ご本尊を奉ってある祭壇。右端の丸い柱と柵を進んで行くと、漆黒の闇の中に入って行く。これこそ本当の闇で一筋の明かりも見えないお戒壇めぐり。ご本尊の真下あたりに錠前があって真っ暗闇の中を手探りで巡ってその錠前に触って来れば、極楽に行けるという約束がとれるという。
今回はお戒壇めぐりはしなかったけれど、こんな闇があるのかと思えるほど、真っ暗! 壁を伝って鍵に触れる…やっぱり安心する心を自覚できるから有り難いのかも知れない。
本堂の本尊下にある真っ暗な通路を手探りでたどり、本尊真下にある「極楽のお錠前」と呼ばれる鍵に触れること。鍵に触れることで本尊との仏縁が深まり、極楽往生が約束される・・・というもの。お戒壇めぐりを可能にしている本尊を安置する高床になった瑠璃壇と、その下の通路という構造は撞木(シュモク)づくりと言われ、1707年(宝永4年)に完成した江戸時代中期の仏教建築の傑作とされている。(インターネットから)
善光寺本堂から山門に向かう境内の、帰路方向右側に親鸞聖人の石像がお立ちになっている。
前に会報に私の祖父の墓石について記述させていただいき、拓本を取ったそのものその写真のお墓(少し変形加工してあります。)。納骨の儀式をそっと写させて頂いた。