Tさん宅の庭に咲いています「てっせん」の花です。
きれいです。
5月9日付けの「いらくさ様」のブログ
(http://terayamahe.seesaa.net/)てらやまへメールで、
いわきに絡む俳句を詠んでいただきましたので、
お礼を申し上げます。
☆ベランダで
ベランダで
いわきだいらへ
るるるるる
☆蛙語で
蛙語で
草野心平に
る-メール
☆あおがえる
あおがえる
くるみるさわる
あいしてる
「暮鳥と心平」を抜きに「いわきの文学」は語れないでしょう。
いわき市平の文化センター前に詩碑
「おおい雲よ
ゆうゆうと
馬鹿にのんきそうぢやないか
どこまでゆくんだ
ずっと磐城平の方までゆくんか」を
山村暮鳥(1884年・・明治17年~1924年・・大正13年)
が亡くなった年に書きました。
いわきの地を懐かしく思う心を感じる詩ですね。
特に
「ずっと磐城平の方までゆくんか」は・・・・・
山村暮鳥は大正元年(1912年)9月に平町(現在のいわき市平)に
日本聖公会平講義所に着任し大正7年1月にいわきを離れました。
布教活動の傍ら、
猪狩満直(松永伍一さんの日本農民詩史中巻P687~に紹介)
三野混沌(松永伍一さんの日本農民詩史中巻P925~に紹介・吉野せい夫婦
などの地元の若い詩人を育て、
花岡謙二(松永伍一さんの日本農民詩史上巻P250~に紹介されています。)
などとも地元で交流しました。
この期間に近代詩のなかで有名な当時としては超前衛の詩集
聖三稜玻璃(せいさんりょうはり)を大正4年に発行しています。
雑誌「風景」などの発行もしています。
2005年にはいわき市草野心平記念文学館で山村暮鳥展(7月16日~9月19日)
・・・磐城平と暮鳥・・・
が開催されました。
草野心平は
いのしし君の高校の先輩でもありますが、
あまりに近いせいか、
高校時代にも図書館に草野心平の詩などが飾られていましたので、
「蛙の詩人」くらいの意識しかなく高校時代にはあまり読みませんでした。
上記の詩人松永伍一さんの労作
「日本農民詩史上・中・下全5冊」、法政大学出版局発行が、
1967年に出て、1968年に購入し読み始めてから、
心平を読み始めました。
心平の文学の出発点になりました磐城中学(現在の磐城高校)時代の事は
「詩友 国境を越えて」・・・草野心平と光太郎・賢治・黄瀛・・・
北条常久著、風擣社発行(北条さんも磐城高校出身です。)
P21磐城中学に詳しく書かれています。
その中の「中野サロン」は現在、平で、
昔は用品店、現在は洋品店をされています。
建物の一部、天井の時計台は当時のままのようです。
心平は大正5年4月に磐城中学に入学。
暮鳥は大正元年9月に伝道師として平に着任。
平の本屋には、山村暮鳥の「風は草木にささやいたり」が、飾られており
心平も変な本もあると当時のことを回想しています。
北条さんの講演会につきまして、
いわき・うぶすな広場だより・・・Part2
http://naoponsakou.at.webry.info/
2009.5.27
「草野心平と光太郎・賢治・黄瀛」・・・草野心平記念文学館講演会
で
磐城中学時代の「中野サロン」
・・・心平の文学の出発となりました事を詳しく講演されまして、
ブログにも書いてあります。
だらだら長い返礼になりましたが、
今後ともよろしくお願いします。