院長のひとりごと

私、竹村院長が食べ物から健康まで基本的にノンジャンルでかきつづります。

「自分らしさとマイペース。」

2008年11月20日 06時43分38秒 | ノンジャンル
車で聴くドライビングナンバー、今は岡村孝子です。


結構好きな曲で「長い時間(たび)」というのがあります。

その中のフレーズで「ダメな生き方でもいいから私らしくいたい」という節があって

風呂入ってるときにその言葉について考えてみた。


よく聞く「自分らしい生き方」ってなんでしょ?

周りに合わせたりしないで、無理せずに自分のペースですごすってことでしょうか?

頑張らずに楽していいよってエクスキューズにも聞こえてしまうのは院長だけかな。


体育のマラソンの時なんかに使う「マイペース」の「マイ」はえてして、

体力のない自分だったりしません?

体力は人並みにあるのに、そいつにとって疲れないペースで走ることが

一般的にマイペースって使われ方をしているように思うけど、違くね?


だってさ、走ってる最中に先生が「マイペースでいいぞ」って言ったら

10人が10人その時よりペースを落とすでしょ。

「マイペースだぞ」って言われて「そうですか」と早く走り始めるやつは

いないと思う。

その時走っているペースが本来の自分の体力よりも抑えて走っているやつだって

いるはずなのに、みんな「マイペース」と聞いて一様にペースを落とす。


そんな「はき違いマイペース」的なニュアンスを「自分らしい生き方」から感じてしまう。


「自分らしいって何だろう?」と考えることも実は馬鹿馬鹿しいことで、

周りに流されて、したくもないことをしたり、無理に自分を演じたり、

そんな流されやすい、無駄に疲れてる、軸ブレブレの自分も自分なわけです。

で、逆に軸がぶれずにしっかりと構えてることがエライとも限らないし

とにかく無理せずに簡単に自分にブレーキをかけちゃう生き方も威張れたもんじゃない。


まぁ楽に生きたいなら人と比べることをやめればいいわけで、院長もそれを

心がけてる。

でも心がけなくちゃ出来ないんだから、本来の自分は「人は人」と割り切れる

人間なんかじゃないんだろう。


なりたい自分は、言い方を変えればそうなれてない自分であって、また、

永遠になれない自分でもある。

周りに流されずに堂々とわが道を行く人間になろう!って思ってなれるわけないでしょう。

そんなやつは、もともとそうなんだから「そうなろう!」とすら思わない。


でも、ただ生きてると長いから、なりたい自分に近づくべくバタバタもがくのが

暇つぶしなのかもしれない。