今日中村勘三郎さんの葬儀が行われた。亡くなってすぐにも自宅で葬儀が行われたので今日のは本葬ということになる。
葬儀会場に向かう途中ゆかりの場所に立ちよりお練りも行われたようだ。
有名な方なので特別なように思われがちだが、普通の方の葬儀でも葬儀会場、あるいは火葬場にむかう途中ゆかりの場所に立ち寄ることはある。
そして、弔辞。この頃は少なくなったが友人などの心温まる弔辞のある葬儀もまだまだ健在だ。
テレビで拝見したところ、今回の弔辞、それぞれが故人をたたえ、あるいは故人との思い出を語り、後に残された家族に対する思いなどが述べられていた。
ほとんどの方があらかじめ書きしたためられたものを読む形だったが、個人的に一番ぐっときたのは仁左衛門さんの弔辞だ。
短いながら本当の本音を吐露していたように思う。
弔辞というと難しいと思われがちだが、美辞麗句を並べずとも長々と述べずとも故人に対する今の気持ちを述べるだけで立派な弔辞となる。
普通の方の葬儀でももっと弔辞が取り入れられても良いんじゃないかと思う。
今回の勘三郎さんの葬儀に見るかぎり、規模は大きいものの特別変わった事をしているわけではない。
にも関わらず、このように勘三郎さんらしい葬儀になったのは送る人々の気持ちの現れであろう。
故人に対してしてあげたいという気持ちがあればその人となりを表すような葬儀ができるものである。
葬儀屋さんに任せきりの画一的な葬儀ではなく、その人らしい送り方の一つの手本となるような葬儀だったように思う。