今月の標語は「実直に生きているあなたを 仏さまは いつも笑顔で 見ています」です。
昔の年寄はいたずらをする子供などに「誰も見ていなくてもおてんとう様が見ているんだから悪いことをしてはいけないよ」と諭したものです。
誰も見ていなくても仏様は見ているんだよということを言いたかったのでしょう。
たとえ誰も見ていなくてもちゃんと真面目に生きているあなたを仏様は見ていてくださるのです。
そう思うとなんだか勇気が出てくるような気がします。
誰にも認められないと嘆くより、自分を信じて実直に生きていく、仏様はそんなあなたの応援団長です。
昔から命は授かりもの、生かされている命という考え方がありますよね。
そう思っていればもっと命をいつくしむことができるのではないでしょうか。
それに対して最近は自分の命は自分だけのものという風潮があるように思います。だからこそ自分の小さな料簡で間違った判断を下してしまう。
人の命は自分だけのものではなく、大きな存在に見守られたくさんの人々に支えられているものだということに気づいてほしいですね。
自分の存在を否定され、挙げ句の果てに自殺する人が後を立ちません。
しかし、この世に肉体を持って生まれて来るのには、その人がこの世に存在する価値があるからだと私は思います。それを表した言葉が旧約聖書の詩篇に記されています。
『我が身体未だ全からざる時、主は早くにこれを見、日々形作られし、我が百体の一つだに在らざりし時、悉く汝の書に記されたり。』
私はこの言葉に究極の神の愛を感じました。
神が愛していなければ、この世に肉体を持って生まれる事すら叶いません。ましてや受精すらしていないでしょう。
この世に生まれて来た事は神が愛して下さっている事の証しの様なもの。
生きる事は、神の愛に対して恩返しをする様なものではないかと私は思います。
私はどんな人間であれ、どんな生きものであれ、存在する以上は、それは神が分け隔てなく愛して下さっている事の証しなのだと信じています。
誰も認めてくれなくても、神が認めて下さる。ただそれだけで良いと思います。