午前中、かふふ歴史倶楽部の学習会で武田氏館跡の見学をしてきました。
武田氏館跡とは武田神社とその周辺をさすもので、現在武田開城500年イヤーにむけて着々と整備、発掘が進められています。
今日見学したのは、武田神社宝物館、西曲輪発掘現場、大手周辺整備地です。
今日朝一番に清運寺にも玉穂中学校の生徒さんが「ふるさと探訪」という校外学習で太宰治の史蹟を訪ねてきましたが、武田神社周辺にも同じ玉穂中学の制服を着た生徒さんが大勢来ていました。
そのほかにも武田神社では結婚式が行われていたらしく、本殿の前で白無垢姿で記念撮影をする花嫁さんの姿も。
また、能舞台では能の舞のおけいこが行われていました。
なんだかとても賑やかでしたね。
さて肝心の宝物館はというと、以前来た時とだいぶ展示物が変わっているようです。
なんでも、学芸員さんが新しくなって収蔵品の展示入れ替えが頻繁に行われるようになったのだとか。
西曲輪は昔藤村記念館が建っていた場所の北側あたりです。
(かつてここに藤村記念館が建っていた)
そこからは曲輪の中の通路や門の礎石なども見つかっているようです。
(正面の石積みが土塁の基礎の石の一部か)
(石が敷き詰められた部分は通路だったようです。)
(西曲輪内の石階段を上って)
(写真の左右に土塁が、真ん中の通路に門の礎石跡が見られます。)
そして、大手周辺へ。
大手周辺整備地とは武田城の東にあった正門の東側のこと。
現在芝生が敷き詰められてきれいに整備されています。新しく厩跡地も平面展示?されています。
(整備された大手周辺、以前は草ぼうぼうだったのが、芝生が敷き詰められて公園のよう)
(数年前までたくさんの蓮が咲いていた総堀は整備されてきれいになりました。しかし、龍ヶ池からそそぎこまれる水の勢いが強すぎて水温が上がらず、蓮は全滅、代わりにスイレンが植えられているようです。)
(正面の正方形が厩跡。いくつもある丸いものは礎石を表しています。)
数年に一度ぐらいの割合でこのあたりの史蹟めぐりを行っていますが、そのたびに整備や発掘が進んで様子が変わっています。武田館跡地の整備が完全に終わるのがいつかは分かりませんが、行くたびに新しい発見があります。刻々変わっていく様もまた興味深いものです。
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