<開始前、各々がたとう紙を敷いて準備中>
今日山梨第四部声明師会主催の研修会「法式・声明を学ぶ会」が開かれました。
今回のテーマは法衣の着方と畳み方の確認です。
法衣(本衣、素絹、道服、白衣、袴、木欄五条、元政七条等々)の畳み方の確認と七条(袈裟)の内折りの着方などの確認です。
日頃使っている衣や袈裟ですが畳み方にもいろいろあったり、自分がやっている畳み方が実は正しくなかったりと意外と発見の多い研修でした。
特に素絹、大きな法要などで使われることが多く控室では畳むスペースの奪い合いになることもある厄介な衣です。
というのも襞が多く畳むのに苦労するからなんですね。
ところが今日は畳半畳で畳める方法を教わりました。これからは今までよりも狭いところでも畳めるようになれる!
七条に関してはメーカーによって元々の折り方が違いその折り皺によって畳んでいくしかなく折り方の決定打に欠け残念ながら省スペースというわけにはいかないようでした。
当たり前に行っていることも時々は初心に帰って学び直すことも必要ですね。
この間、日蓮宗新聞を見ていたらお寺に来る人の中にはインターホンを鳴らさずに声をかける人が多いという記事が載っていました。(結構お寺あるあるが載っている)
インターホンならば音が大きいので遠くにいても聞こえるのだが、声での呼びかけはなかなか気づきにくい。
声での呼びかけで応答がないと留守と思われてあとで留守だったと怒られることもある。
お寺は結構広いので声が届かないことの方が多い。そんなときにはぜひインターホーンを押していただきたい。
訪問される方に申し訳ないので、できるだけ留守にしないように気を付けてはいるものの、お店と違っていつも入り口の前にいるとは限らないし、掃除機をかけていたり本堂で作業をしていたり境内で草取りをしていることもある。
どこのお寺でもほぼ同じだと思いますが、お寺を訪問する際にはインターホーンを鳴らすか、あらかじめ電話で在宅を確認してからのほうが確実です。
それと同じようなことですが、電話が鳴っても間に合わないということも多い。
電話の近くにいるときはすぐ出られるのですが、遠くにいるときは「あれ電話かな?」と気が付いた時点ですでに3コールぐらいになっていて4コール目でダッシュして電話機にたどり着くと電話が切れているなんてこともよくあります。
お寺の場合電話機から遠いところにいる場合5コールではまず電話機までたどり着かない、10コールぐらいでようやく間に合うといった具合です。
なのであきらめずに10コールぐらい鳴らす人がいるとこの方は通の方だな、わかっていらっしゃると思ってしまうこともあります。
お寺に電話するときはあきらめずに10コールまでと覚えていただくとつながりやすくなるかもしれません。
時々首都圏のほうに葬儀で出かけることがあります。
基本的に電車移動なのでできるだけ荷物は少なくしたい。
ただでさえ、葬儀となると衣帯(衣装)や持ち物が多くなるから。
そういう時に真っ先に省略するのがたとう紙(衣や袈裟をたたむときに畳の上に敷いてその上でたたむ)や引金。
これらは会場に用意されていることが多いから。
ところが最近首都圏の葬儀に行ったところ僧侶控室はソファーセットのある応接間。
「どこで着替えるの」と聞くと、「ここでお願いします」とのこと。「たとう紙は?」「ありません。」
床はパンチカーペット、土足ではないもののサンダルで人が歩く地べたであることには違いない。いくらなんでもその床に衣を置く気にはなれない。
かといってソファーの長椅子は幅も狭く平らではないので七条袈裟をたたむのは結構大変。しかも葬儀の後すぐ出棺となるので急いで着替えなければならないし。
とにかく何か敷物を持ってきてもらってそのうえで衣・袈裟をたたむことに。
他の僧侶の方々はどうやってたたんでいるんでしょう。
その会場には別に畳の控え室もあるそうなのですがそこはすでに使用されているので使えないだけなのかもしれませんが。
アウエーではいろんなハプニングが起こってきます。
そういえば数年前やはり首都圏で葬儀があった時に台風で電車が遅れて葬儀の時間に間に合わなくなりそうになったり、ものすごい嵐で駅から会場へたどり着くまでずぶ濡れになってしまったこともあったっけ。
荷物が多いのでそれだけでも大変、しかもその荷物は衣や袈裟といった絹製品が主、濡らすことは厳禁です。
なので、自分は濡れても決して袈裟・衣だけ(もちろん払子、数珠等もありますが)は守らなければならない。
だったら先に会場に送ってしまえば良いのではないか?
もし、届かなかったらどうします。葬儀ができませんよね。
だからどうしても自分の手で運ばなければならないんです。
2月の冬季オリンピックの時にフィギアスケートの選手たちがシューズは手荷物で持っていくという話をしていましたが、その気持ちよくわかります。選手にとって自分のシューズは特別なもの、それがなければ試合に出られない。
僧侶にとってもそれは同じことです。
衣を畳むスペースがないような狭い部屋や、空調のものすごく悪い、あるいは極度に乾燥した部屋、長い間掃除をした形跡のない部屋、いつ洗ったのかわからないような座布団、何時間もかけてたどり着いた部屋で出されるぬるいお茶しかもたった一杯きり等々待遇はかなり劣悪なことも少なくありません。
おそらく葬儀屋さんにとって僧侶はお客ではないという感覚なのでしょうね。(すべての葬儀屋さんがそうだというわけではありませんが)
ですから、遠征の時は空調対策としてマスクや保湿用品が欠かせませんし、喉を潤すための水分も必須です。そんなこんなの対策でまた持ち物が増えてしまう。
何事もなかったかのように粛々と葬儀を進めている姿からは想像できないかもしれませんが、実は見えないところでいろんなことが起こっているということもあるんです。
老犬ボタンちゃんの介護生活が続く中、猫たちの中にも体調を崩すものが出てきています。
御年16歳の空さんは片目から涙が止まらず鼻水も出る。目薬をさしても風邪薬を飲ませても効果なし、おまけに左前足も具合が悪そう。
ということで獣医さんに診察してもらったところ副鼻腔炎と判明、足の痛みは老化によるもので気候のせいで痛みが出るのだろうとのこと。注射をしてもらって様子を見ることに。
くるみさんは子猫の時にかかった猫風邪の後遺症で鼻の具合が悪く、くまちゃんもまた子猫時代の風邪の後遺症で涙目が止まらない。
ちび太君はまだ膀胱炎の症状が残っている。
猫カフェならぬ猫の療養所といった趣になっています。
犬もいますから犬猫療養所でしょうか。
ちなみに空さんが常用している薬は関節の薬ポマジール、腎臓病の薬ネフガード、歯のケアにデンタルバイオ、口臭と歯石除去にはマウスクリーナー等々
ボタンさんはポマジール、ビオフェルミン、デンタルバイオ、マウスクリーナー、心臓の薬等々。
薬の多さは人間と変わらないですね。
先日からお伝えしている迷い犬、いつまでたっても飼い主が訪ねてこないので預かっていただいているお宅ではでしびれを切らして飼い主のところを訪ねたのそうです。
その際、飼い主はもう飼う気がなくできれば引き取ってもらいたいとのこと。犬の年齢も見た目よりはずっと若く2歳半ぐらいだったそうです。どおりで歯がきれいなわけです。
ということで迷い犬は預かっていただいているお宅に正式に飼われることとなりました。
本来は保護した当寺で面倒を見なければならないところ、うちでも17歳の介護犬がいて世話は無理なのでとりあえず預かってもらっていたのに恐縮です。そのお宅では最近18歳ぐらいの老犬(これも昔どこからか流れてきた迷い犬)をみとったばかりそのワンちゃんの引き合わせでしょうか。
ともかく迷い犬の落ち着き先が決まってよかったです。このお宅なら最期まで大事に飼ってくれること間違いなしですから。
今月の標語は「執着は苦毒を生み 施しは功徳を生む」
苦毒(くどく)と功徳(くどく)をかけているんですね。
たとえとして適切ではないかもしれないけれどイメージとしてはたとえば冬の寒い日お風呂に入っていてお湯がぬるく追い焚きをするとします。出口から出てきた熱いお湯を自分のほうにかき寄せてもちっとも暖かくならない。ところが自分の周りのぬるいお湯を向こうへ追いやると自然と熱いお湯が自分のほうに流れてくる。ある意味それに近い感覚かもしれない。
欲望に執着するとかえって苦しさは増すばかり、しかしそれをすてることができると不思議と満たされてくるということでしょう。
日常生活の中でも実践できる知恵の一つとも言えますね。