14日(土)、私の子どもが通っている鶴岡中央高校で、俳優の滝田栄さんを招いての講演会がおこなわれました。
私は、PTA研修部長として、この行事の責任者を務めました。
滝田さんは、テレビではNHK大河ドラマ「徳川家康」で主役を務めたことや、「料理バンザイ!」「ふるさと一番」などの柔らかい番組でも顔を知られていますが、何よりも舞台で「レ・ミゼラブル」のジャンバル・ジャン役(とシャベール役を鹿賀丈史と交互に演じた)を14年間務めたことで著名な方です。
田舎の高校に簡単に呼べるような方ではありませんが、中央高校の先生に滝田さんとつながりのある方がいたことから実現したものです。破格の条件で引き受けて頂きました。
しかし、今回講演にお招きしたのは、滝田さんが「有名人」だからではありません。
滝田さんは、伝えられるところによれば、仕事上の挫折や肉親の死という失意の中でインドに渡って仏教の修行をおこない、その後仏像制作にも取り組んでいるといいます。
また、「プランジャパン」という非営利団体での途上国の子どもの支援活動を20年近く続けるなど、その人生の軌跡に深みが感じられる方なのです。
講演は「命を動かす力」という題でした。
6畳一間位に15人位の家族が住んでいるような、「一日一ドル以下で生活する地域」、大人は絶望しているが、夢と希望をもっている子どもたちに、「絶対にできる。一緒にやろう」と訴えたこと。
子どもが10~13才で売られてしまう村、村全員がエイズにかかっているような村で、「エイズとは」ときちんと教えたら、数十人の子どもが目を輝かせて聞き、その話をみんなに伝えてくれたこと。
「福祉の勉強をしたい」「大学院に行き、人の役に立つ人間になりたい」「世界に通じるNGOの活動をしたい」という子どもらに、「ほんの少しの水をあげ太陽を当てたら大きく実るのだ」という訴え。
演劇人としての人生のお話もありました。
このあたりは正確に記録していませんが、前もって読んだ滝田さんの著書「仏像を彫る」の中に紹介されているお話だなと思って聞いていました。
本の中にはこのように書かれています。
「舞台の本番は、極限を尽くした自己への挑戦、自分の役割を完璧に把握して、なおかつ自己の未知なる可能性への本気のチャレンジの連続」
「レ・ミゼラブルのジャンバル・ジャン。自分の存在のすべてをかけて演じる理由をこの作品に見いだした。人間が生きることのすばらしさを知り、死んでも惜しくないほどの感動を観客と共有し合えた。」
「多くの人を観、多くの人を演じることでさまざまな人生を体験した。しかし、人を観るということは、結局は真実の己を深く観察し、本当の己のあり方を見つけ出す、本当の己を知ることであった。」etc.・・。
「日本の子どもに元気がないのは、ただの贅沢病」というお話など、ちょっと同意し兼ねる(これはこれで重大な問題なんです)ところもありましたが、胸を打つお話でした。
「この方は本物だ」と実感しました。
公演後、私が謝辞を述べました。
高校生の保護者としての思いやら、本を読んでの感想やら、昨晩じっと考えてみると、一時間もかかるぐらい言いたいことはありましたが、実際にお会いしてお話を聞いてみて、3分程度のお礼を申し上げました。
ステージ上の演台でお話しするのは結構経験がある訳ですが、すぐ側にいる滝田さんから真っ直ぐ見つめられたことには緊張し、ちょっと言葉に詰まってしまいました。
「真実の己を深く観察し」「死んでも惜しくない」ほどの思いを込めてセリフを発してきた大物俳優の眼を見ながらお礼を述べることには、市長に質問するより緊張させられました。