12月31日の朝、ニュースをチェックしようとスマホを見たら、首里城正殿が燃え上がる衝撃の映像が目に飛び込んできて言葉を失いました。首里城の正殿から出火し、北殿、南殿を含む主要7棟が焼失したということです。
首里城は2011年3月、沖縄旅行の際に訪れました。ゆるやかな坂道を上り、奉神門をくぐって現れる赤い壮麗な正殿、対照的に日本の趣が感じられる南殿など、今も鮮明に覚えています。
太平洋戦争で焼失した後、県民の悲願のもとに復元された首里城。日本にとっても大きな損失で、特に沖縄の皆様の悲しみはいかばかりかと思いますが、いつかまた美しい姿が蘇ることを心から願っています。過去記事から一部を再掲して、お見舞いのことばに代えさせていただきます。
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ようやく正殿にたどりつきました。ここは、王と家族が居住する王宮であり、王国統治の行政機関の本部であり、宗教儀式の場でもありました。公式行事は、正殿前の御庭(うなー)で行われました。
中国と日本の建築様式が取り入れられているということですが、色彩の鮮やかさは中国の影響をより強く受けていると感じました。復元にあたっては、中国の紫禁城などを視察し参考にしたということです。
中も見学することができますが、ちょっと驚いたのは国王の任命を中国の皇帝が行っていたということです。(冊封(さくほう)) 廃藩置県で沖縄が日本となるまでは、どちらかというと中国との結びつきが強かったのかもしれません。
正殿の横の南殿は、木目をそのまま生かした、趣が少し違う建物です。これは朱に塗り忘れたわけではなくて(笑)薩摩藩の接待に使われたため、日本風に作られたのだそうです。