1984年から医療活動と用水路建設によって、アフガニスタンを支え続けてきた医師 中村哲さんの活動を追ったドキュメンタリー映画です。
中村哲さんのことを初めて知ったのは、私が再就職する前に通っていた大学の、国際関係の授業でです。授業で中村哲さんが取り上げられ、このような尊い活動を長年地道に続けてきた日本人の方がいることを知り、感銘を受けました。
今回、中村哲さんのドキュメンタリー映画が上映されると知り、当時のクラスのグループLINEにメッセージを送ったところ、声を掛けてくれたクラスメートがいて、いっしょに見に行くことになりました。
場所は、主にドキュメンタリー映画を上映している小さなシアター、ポレポレ東中野です。渋谷のアップリンクが閉館してしまった今、こういうシアターはとても貴重です。
Twitterでもじわじわ話題になっていた本作。小さなシアターがほぼ満席という盛況ぶりで、うれしくなりました。しかも、若い方たちが多く足を運ばれていたことが意外でもあり、希望を感じました。
中村哲さんは海外協力チームの医師として、パキスタンとアフガニスタンで20年以上の間、ハンセン病患者の治療にあたってきました。十分とはいえない医療環境の中、重病患者たちを診療し続けてきた原動力は何だったのか。
中村哲さんの背中を押したのは、このまま放っておくわけにはいかない、という医師として、人間としての使命感だったのだと思います。そして、このような病気を引き起こす原因は貧困にあると確信し
この地に住む人たちが農業に糧を得て、豊かな生活が送れるよう、遠く離れたクナール川から乾燥した荒野まで、用水路を建設するという途方もない事業を始めます。そのために中村医師は、医学とはまったく畑違いの、土木の勉強をはじめるのです。
挑戦が実を結び、荒野に草が芽吹き、作物が育ち、何年もかけて緑の大地となりました。私は大好きなジャン・ジオノの「木を植えた男」を思い出し、このようなことがほんとうに起こるのだと心を打たれました。
事業は必ずしも順調に行ったわけではなく、干ばつや洪水によって、豊かな大地があっという間に荒野にもどることもありました。それでも中村哲さんは決してあきらめず、逃げ出さず、再び用水路を建設するのでした。
映画の中で、中村哲さんがすべての苦難を受け入れ、神に導かれるように前向きに生きる姿に、私はこの方はクリスチャンではないかと確信しながら見ていましたが、はたして後からそのことを知って、深く納得しました。
アフガニスタンの人たちから絶大な信頼を得ていた中村哲さんですが、2019年12月4日、仲間とともに車で移動中、何者かに襲撃され、命を絶たれてしまいます。私がまさに授業で中村哲さんの活動を知ったばかりの時で、あまりのことに言葉を失いました。
それでも希望を感じたのは、中村哲さんが用水路建設を進めるにあたって、このノウハウを現地の方たちに伝えていたことです。この先、災害によってすべてが無に帰したとしても、現地の方たちは再び用水路を建設することができるのです。
中村哲さんが残した非暴力による防衛と不屈の精神は、これからも人々の中に生き続けることと思います。
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映画の後、神楽坂に住む友人が連れて行ってくれたのは インド料理 想いの木。ほのかなアロマとゆらめく灯りの中、静かにお酒とインド料理を楽しむ大人の空間です。あれやこれやと話がはずみ、久しぶりに夜遅い帰宅となりました。