@女性の非正規職員の 割合は31.7%、 35~59 歳でその傾向が現れており、 20~69 歳でパートもしくはアルバイトとして働く、配偶者のいる女性のうち、
就業調整をしている割合は6割を超える
。こうした就業調整は、いわゆる「106 万円の壁」、もっぱら社会保険の適用対象となることで、可処分所得が減少するという制度上
の歪みに対する合理的な反応によって生じていることも知られている。物価上昇とともに106万円の壁も上げるべきだ。どうも税収を考える担当官は世間と考えが違う。
@「臨済録」を理解するには修行が足りないのか、と思わせる「禅問答」集。答えは自分の体を使って考え、「わからないもの」を分りたいと考えを変えることだ、と言うことか。さらに「考える」とは他人と分かち合うことで豊かになる、と言う。見方、読み方など視点を変え、解らないことは素直に聞き、自分なりの答えを導き出すと言う「考える」行動をしろ、と言う事なのだ。 現代でいう「思考力停止状態」が政府にも企業にも増えてきたのが日本の将来を不安にする。
『クセになる禅問答』山田史生
「概要」常識的な発想では理解困難だったり解決不可能だったりで、「非常識的」ではあるが、「非論理的」ではないのがおもしろいところ。この「ちぐはぐで分かりにくい問答」を、あえて「考える」エクササイズとして読み解くのが本書です。本書であつかうのは、「語録の王」と称される『臨済録』におさめられた禅問答。これは、唐の時代の中国で活躍した臨済義玄という僧のおこなった説法や問答などをあつめたものです。
ー問答を繰り返し読み、自分の頭でとっくり考える「わかったつもり」ではいけない
「わからない」=「つまらない」を「わかりたい」思うこと、「考えること」
「わからない」から逃げようとせず体で考える
「考える」ことは他人と分かちあることで豊かになる
「今・ここ」を生きるための問い『臨済録』
「伝え方・教え方」を問答にした書籍
「3度問うて、3度打たれる」=純粋でひたむきに精進する
見所があるからこそ3度も同じ事をして本人が考えるかを見抜いた
痛みを体で感じ、体で考える
「山の中に松を植える」=坐禅だけが修行ではない
無駄なのか考える
「無事であれば良いと思うな」=無事とは「なすべきことは何もない」
過ちは無かったのか、決して無事だと思わないこと
「手ぶらでどうするんだ」=相手を引き出す
「どちらが主で、どちらが客か」=自らやる事
地位、位をよそに誰にもこちらから対処、挨拶する
「言えてもダメ、言えなくてもダメ」=受けとも押し戻す
主体的、創造的な気概を持って押し戻す
「結局意味などない」=受け入れ難いこと
「修めているのか、修めていないのか」=学びと悟りの関係を知る