@徳川家康の先見の明は何処から生まれたのか、未開拓の地を大都市への変貌を夢見た家康。5つの大きな先手:治水・通貨・飲料水・上下水道・江戸城、工事ができる人材を即座に抜擢、「天下普請」(幕府の負担を軽減、地方の勢力を減退)の役割を同時期に指導したのはやはり凄い。逆に、江戸幕府崩壊の要因は少なくともこの「天下普請」「参勤交代」が無くなったことで起きたのは間違いない。
『家康、江戸を建てる』門井慶喜
「概要」「北条家の旧領関東二百四十万石を差し上げよう」天正十八年、落ちゆく小田原城を眺めながら、関白・豊臣秀吉は徳川家康に囁いた。その真意は、水びたしの低湿地ばかりが広がる土地と、豊饒な現在の所領、駿河、遠江、三河、甲斐、信濃との交換であった。愚弄するかのような要求に家臣団が激怒する中、なぜか家康はその国替え要求を受け入れた…。
□豊臣秀吉が小田原城を攻める時点(1590年)で、秀吉は家康に江戸を授けると言う。だが今までの三河全域を放棄して沼地である江戸を預かることになった。それは秀吉にとっては邪魔者を大阪・京都から遠方に置くことだった。その時の家康の心と部下への言葉は「ここは初志を貫かせてくれぬか、繰り返して言う、関東には未来がある」と言った。
□徳川幕府が行った江戸開発(相模・武蔵・上の・下野・上総・下総・安房・常陸:240万石)
治水改善(利根川への迂回で沼地を田畠に変えること:3代・4人で27年間で完了)
伊奈忠次(元田畠の計測係:三河国出身・太閤検地の仕事:利根川上水工事)
通貨改革(全国で使える通貨の共有化:太閤との通貨戦争)
太閤の大判は武将への褒章vs江戸一両小判で一般流通を図る(大久保長安主導)
後藤庄三郎(太閤の後藤家貨幣鋳造仕事:江戸にて一両小判を流通)
飲料水確保(神田上水・江戸市内への飲料水路を確保)
大久保藤五郎(元菓子作り人・井の頭からの水源開発)
地元農民六次郎の支援で幅3.6m堀作り地下に木樋を繋ぎ合わせる沈澱装置
江戸城基盤(天下の城構築を伊豆からの石垣で構築)
五平(伊豆採石業親方・墨師与一との協働・大手門入り口石垣の鏡大岩)
切り出した岩10万個・人足2万人・伊達藩支援のもと大岩切り出し
喜三太(石組師・北桔橋の城郭壁等構築・土佐國藩)
藤堂高虎(伊勢国城主・伊予20万石・江戸城の外郭設計)
天守閣(江戸天下の守り・誇り・平和への祈り)
秀長の反対を押し切り家康が決定(天守閣は空家同然)
中井正清(高虎の配下・伏見城・二条城・知恩院等建築
江戸城の株は全て燃え難い漆喰(石灰と布海苔・藁・麻・紙を混ぜる)で「白」
地上45m、内装は簡素な骨組みだけで17年を要した
安土城・大阪城は戦争を気にした黒壁、江戸城は城一色、平和の印・無垢の世界
1657年の大火で天守なしとなる・秀忠の実子保科正之が決定
□家康の行動と名言
先見性:手付かずの道の土地を未来の都市に夢見たこと
人材適応:適材適所の人材を見つけ、現場監督に抜擢、決定は現場で家康自身が決定
部下統制:「天下普請」を採用することで幕府の負担を軽減、地方藩への財政負担と勢力を減退
「決して急がず、確実を期す。時には回り道も辞さぬ」「臆病者になれ」
「治水の時代は、永遠に去った。これからは利水の時代なのだ」
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