@「湖畔の人々」時代と共に周りも人も変わるのは時世である。いつまでも老体が昔のしきたり、規則を厳守して守り抜くことよりも、若き世代の新たな考え方、時代に会った規則等で社会も盛り立てるのも時世である。 日本社会の厳粛さは表だけで、裏が腐り始めているのを老体たちは語らない。それは老体たち自体が腐ったことを拒んでいるからだ。 世代交代がいつまでのできない国家は全てに遅れを招き、社会崩壊寸前までいくだろう。
『山本周五郎作品集17』山本周五郎
「湖畔の人々」
江戸詰め国老となった頑固な男が久方ぶりに故郷の温泉に家族を伴って来た。地元には内緒に骨休みということで温泉の周りを歩くと藩が新たな財源として寒天を研究しており、その一人の若侍がようやく一品となる寒天を作り上げた。だが、藩としては財源を得るために年貢を上げる相談をしており、その中で寒天の財源をただしたところ、若侍が育つまで待ってもらいたいと嘆願する。国老の男は無礼極まる反対に激怒したが、時代を担う力強い若者だと悟り、自分が隠居する決意をする。(時代と共に考え方も若いものに任せる勇気をもらう)
「鏡」
水戸家の家臣が幕府の小姓をいざこざで切り捨て、水戸家と幕府の威信を問う喧嘩腰になる。仲裁をでた武士がその処理を任された。妻の話から「鏡」をたとえ、元将軍の御三家に遺した遺言状に「喧嘩両成敗」を誓ったことから水戸家での始末が決め、家臣を切腹させた。 (意地の張り合いを止めるには喧嘩両成敗を強いた)
「ならぬ堪忍」
いじめにあった幼い武士が堪忍ならぬと果たしあいを決意する。だが父は「侍の命は一度ご君主に捧げたものだ、それを御馬前のお役に立てないで、私事のために捨てると言うのは、道に外れているだろう」と一括、さらに近々戦があるからその後でも遅くないと説得され渋々いじめの相手に仲直り、謝りに行った。そして戦いに備えて文武を鍛えた。「謝れないところを謝るということは、本当の勇気がなくてはできないものだ」と父に言われ、あの時の「なる堪忍」だと悟った。(堪忍することの強さ、勇気を知った)
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