柴田典子の終活ブログ「エンディングノート知恵袋」

エンディングデザインコンサルタント柴田典子のブログ。
葬儀に関わらず「賢い老い支度」として終活全般のお話もしています。

死の知らせは迷惑ですか?

2011年01月19日 | 世の中
年賀状を頂いたままになっています。
父の死が目前に控えていた年末でしたので
私からは年賀状を出していません。

すると、数人お方から電話が入りました。
「あのー、お変わりありませんか?」
「年賀状が来ないけど、何かありましたか?」

この年になると、毎年来る年賀状が来ないと
不幸があったのでは?と懸念するのですね。

1年に数回しか合わなかったり
数年あっていない人なのに、気にかけてくれて
電話の後に、温かい気持ちになりました。

しばらく合わないから連絡はもういいかな?と思いががちですが
そうでもないんですね。

同じような思いを父の葬儀の時に感じました。

母は耳が遠いので、知り合いの方に父の訃報を伝えるとき
電話をスピーカーにして話しました。
受話器からの音声よりよく聞こえるのです。
相手の声はそばにいる私にも聞こえます

中には十数年あっていない方もいます。
母も知らせるべきか、どうか?と迷いながらの電話です。

母が普通に挨拶した時は、相手の方は年数がたっているほど
少し困惑した様子がします。
それを聞いていると「やっぱり、今更、ご迷惑なのかな」と私も感じました。
しかし父が亡くなった事を伝えた時の反応は、挨拶の時と明らかに違います。

「えっ!」と驚かれ、すぐに声の質が変わります。
そして相手の方から、葬儀の日程と場所を聞いてこられます。
そんなやり取りが何人もの人とありました。

「ああそうですか」で終わった人がいない訳ではないけれど
その割合は極わずかでした。

式場に来られた時には母と手を取り合って話をされています。

この方たちが今後、頻繁に行き来があるとは思いません。
たぶん又、何年も疎遠になるでしょう。

でもこの光景を見て、気が付きました。

人は以前に世話になったり、心を通わせた人の死の知らせを
迷惑だとは思っていないのです。
もしかしたら、こちらが勝手に迷惑だろうと思い込んでいるのではないでしょうか。

今、葬式を知らせることはかえって迷惑になる
と、とても多くの人々が考えています。

人との付き合いを希薄にしているのは、
こうした思い過ごしなのかもしれません。

この話をある方にしたら
「もし私が以前親しかった人が死んだことを伝えて貰えなかったら
なんだか、切り捨てられた気がする」と言っていました。

私も同じ気持ちです。