syuの日記・気まま旅

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平泉(3)中尊寺

2011-10-07 | 気まま旅


世界遺産平泉の中心「中尊寺」平日であったが、さすが中国からの観光客で大賑わい。弁慶堂では、カメラを持っての撮影で、なかなか参拝できず。

平泉文化は、平安後期11~12世紀奥州平泉に、藤原清衡・子の基衡・孫の秀衡の三代100年に渡り築いた文化、平泉文化。
清衡は、中尊寺を建立させ、福島の白河関から津軽半島道路に沿って、一町ごとに金色の「傘卒都婆」を建てた。
中尊寺には、百体釈迦如来像を安置、釈迦堂、など数多く残している。
基衡は、「毛越寺」を建立。妻女は「観自在王院」建立等、京都の人々を驚かせたという。

「世界遺産、特別史跡 中尊寺」天台宗東北大本山、山号関山、慈覚大師開山。
藤原清衡公が、前九年・後三年戦で、長い戦乱で亡くなった人々の敵味方なくその霊を慰めるため、仏国土を建設した。
14世紀に惜しくも堂塔は焼失したが、3000余点の国宝、文化財を伝えている。

藤原秀衡(1122~87)源義経を主君として仕え、頼朝を討てと云い残した。
  泰衡(1155~89)頼朝の圧力に抗しきれず、義経襲うが頼朝に殺される。金色堂に納められている首が泰衡の首。
源義経 (1159~89)平家討滅に大功、平泉で自殺せず北海道へ逃げたという説もある。
弁慶  (   1189)義経の従臣、僧「吾妻鏡」にみえる実在人物、義経を守るため無数の矢を受けて立ったまま死。
西行  (1118~90)武士から僧 23歳出家、和歌「山家集」など2000余首残す。頼朝から贈られた銀製の猫を門前で遊ぶ子にやってしまった。
その時の歌「年たけてまた越ゆべしと思いきや 命なりけり小夜の中山」
  


西行歌碑「ききもせず 束稲やまのさくら花 よし野のほかに かかるべしとは」
松尾芭蕉句碑 金色堂
    「五月雨の 降残してや 光堂」
宮沢賢治詩碑 金色堂
    「七重の舎利の小塔に、蓋なすや緑の燐光 大盗は銀のかたびらおろがむと・・・・・・」
昭和天皇歌碑 金色堂
    「みちのくの昔の力しのびつつ まばゆきまでの金色堂にたつ」 昭和47年。など、文学句碑が点在している。

  

国道4号線の参道に入り金色堂に向かい右側から、東物見、地蔵堂、中尊寺本堂、薬師堂、大日堂、鐘楼、阿弥陀堂、弁財天
能舞台、釈迦堂、金色堂、讃衡蔵、不動堂、薬師堂、弁慶堂、八幡堂、4号線に。

金色堂、讃衡蔵共通 拝観料¥800、

    

  

金色堂は、1124年の造立、寺創建当初の遺構、皆金色の阿弥陀堂、御堂全体が一つの工芸品のようで、仏像の 本尊阿弥陀如来
その前に蓮を持っているのが観音・勢至菩薩、左右に三体列立の六地蔵、最前列に持国天、増長天です。
その中央に三代の御遺体と泰衡公の首級が納められている。

          

次回は、平泉市内を散歩。