syuの日記・気まま旅

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山形上山と斉藤茂吉

2011-10-28 | 気まま旅
「斉藤茂吉」(1882~1953)アララギ派の歌人、精神科医  山形、上山 東京帝大、青山脳病院院長
少年時代から和歌に興味、正岡子規門下の伊藤左千夫から指導を受ける。「アララギ」短歌雑誌編集経営に尽力、
「赤石」を刊行、万葉調の生命感あふれる歌風で注目され、東洋的自然観照の境地を深めていった。
作歌、歌論、西洋研究、隋筆文学でも新境地を開いた。1951年文化勲章。


蔵王連峰、奥羽山脈の一部を構成する連峰である。
古くからの名は刈田嶺、不忘山という。宮城県と山形県の両県南部の県境に位置し、主峰は山形県側に位置する熊野岳(1,841m)である。
活火山であり、新噴気口や火口湖の御釜が見られる。火山の恩恵である温泉が両県の裾野に数多く存在、両県における主要観光地の1つでもある。

茂吉が部屋から見ていた「蔵王」



上山(上山温泉)は、もっとも古い湯町地区は昔ながらの温泉情緒を残している旅館が多く、にぎやかでである。
蔵王連峰の山麓にいだかれた市内には、斎藤茂吉記念館の他に、沢庵禅師が配流のおり過ごした春雨庵、蟹仙洞、上山城など旧跡がある。
「斉藤茂吉記念館」は、茂吉の生地上山市金瓶の南の丘に、昭和43年秋開館した。
現代歌人のうち、とくにすぐれたひとりである斉藤茂吉の文業や生活を伝える興味深い自筆の書画、原稿、映像などの資料を、
その生涯の活動にそって展示している。入館料¥400


  


 散歩道                         館内庭園
  

  

歌人であり、精神科医として病院の院長であった斎藤茂吉は、 強羅にあった別荘生活について、北杜夫や斉藤茂太のエッセイに懐かしく出ている。
ここにあった茂吉の部屋は、記念館に移築された。

                               明治天皇休憩所
  


かなりの食いしん坊であった。中でも鰻が大好物で、戦時中戦後の物不足の時期にも事前に購入して蓄えていた鰻の缶詰を食べていた。
味噌汁の具にも口うるさく注文し、家人からネギもあるので入れるかと聞かれた時は「うーむ。」としばらく熟考するほどこだわった。
茂吉が風邪で寝ていた時、ぜひともお目にかかりたいという来客の希望に激怒し、病床から起き上がって客のもとに来て
「俺が本当に風邪で寝ているのがわからんのか。」と怒鳴りつけた。
あまりの剣幕に客が驚いて帰ったが、翌日、その客の土産のカステラを食べた茂吉は「あんまり叱るんじゃなかったな。」と反省したという。

粘着性気質で、ウイーン滞在中、偶然にキスする男女を見つけ、あまりの長さに「長いなあ。実に長いなあ。」
と独り言を言いながら物陰から一時間近くも覗いていた。
子供のころ質素倹約を旨とした農村社会の生活をしていたので、物を大事にする傾向が強かった。
妻との旅行中、ドイツの山間の駅で絵葉書を物色中に、汽車が妻を乗せたまま出発、慌てた茂吉は猛スピードで追いかけ辛うじて飛び乗った。
この時もきちんと金を払って絵葉書を買ってから汽車を追いかけたという。

斉藤家の箱根強羅別荘、茂吉が学生時代の勉強部屋
  

次回は、上山温泉街と城跡へ