syuの日記・気まま旅

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松島 塩竃神社

2011-10-15 | 気まま旅
松島から塩竈へ入った。まず、高台にある塩竈神社を参拝し、宮城県は終了、隣の多賀城、仙台港は省き山形県に向かう

塩竃は、県中央の港湾都市、地名は、鹽竈神社の祭神 塩士老翁神が製塩法を伝えた故事に由来する。
塩竈は、古代、陸奥国府の港で、松島港、浦戸諸島から古代の製塩遺跡が多数発見されている。

また、古代から歌枕として詠まれている。江戸時代には仙台藩4代藩主「伊達綱村」の保護で、港、門前町、遊興の町として栄えた。
昭和4年広大な魚市場が開設され、全国有数な水揚げ港となった。湾は、松島湾の南西に入り込んだ支湾「千賀浦」ともいう。

    

鹽竈神社別宮に塩土老翁神を主祭神として祀り、左宮に武甕槌神、右宮に経津主神を祭神として祀っている。
塩土老翁神は海や塩の神格化と考えられる。神武天皇や山幸彦を導いたことから、航海安全・交通安全の神徳を持つものとしても見られる。
また安産祈願の神でもある。

明治時代に、式内社の志波彦神社(しわひこじんじゃ)が境内に遷座している。

鹽竈神社境内には、国の天然記念物に指定されている鹽竈桜という貴重な桜の一種があり、有名である。
また、日本三大船祭、「塩竈みなと祭」は、鹽竈神社が祭りの出発点となり、志波彦神社鹽竈神社の神輿が塩竈市内を練り歩き、
御座船を始め約100隻の船を従えて松島湾を巡幸する。

東北地方で最も多くの初詣客が集まることでも知られる。

  

  

志波彦神社は、河畔に降臨されたとする志波彦神を祭る神社。
以前は、東山道から多賀城へ通じる交通の要所で、軍事的にも岩切城などの重要な城がおかれた、
宮城郡岩切村(現在の仙台市宮城野区岩切)の冠川左岸に位置していたと見られる。
 
  

「文治の灯籠」
奥州・藤原氏からは「文治燈篭」が寄せられて、藤原氏が滅んだ後も源頼朝の庇護を受けてきた。
伊達政宗は、1607年 京の社寺にも劣らぬ社殿を造営し、その後も代々社領や太刀を寄進するなど、並々ならぬ崇敬を寄せたという。

芭蕉が参拝 したのは、仙台藩四代藩主「綱村」の1663年に竣工した社殿である。
現在の社殿は、1695年から再び造営が行われ芭蕉が参拝 した時の社殿とは、かなり異なる配置で1704年に完成したもの。

         

「鋳銭釜」
藩の鋳銭事業は、幕府の許可を得て、1637年に栗原郡三迫で始まりましたが、詳細は不明。
幕府はまもなくこれを禁じた。その後も藩は再三に渉り幕府に鋳造願いを出し、1726年に領内産、銅のみで鋳造することを条件に許可された。

         

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