syuの日記・気まま旅

気まま旅・syu散歩・富士山麓のこと、
気ままに記録しています。

松島 瑞巌寺・円通院

2011-10-14 | 気まま旅
国宝禅寺「瑞巌寺」は、開創は平安の初めにさかのぼる。天長5年(828年)比叡山延暦寺第三代座主慈覚大師円仁が淳和天皇の詔勅を奉じ、
3000の学生・堂衆とともに松島に来て寺を建立した。この寺は延暦寺と比肩すべき意を持って延福寺と命名され、平泉・藤原氏の外護を受けた古寺。
藩祖、伊達正宗公から12代斉邦までの位牌が安置されている。

    

藤原氏滅亡の後は鎌倉幕府が替わって大檀越となる。北条政子は当時学徳一世に高かった見仏上人に仏舎利を寄進し、夫の菩提を弔わせている。
その仏舎利・寄進状は今に伝わっている。

明治維新を迎え王政復古の政策は廃仏毀釈を惹起し、さらに伊達家の版籍奉還による寺領の撤廃が瑞巌寺を始め松島の諸寺院を直撃し、
零落・廃絶・焼亡等の憂き目を見ることになる。
瑞巌寺はそれでも時の住持太陽東潮の努力により維持され明治9年、天皇の行在所となり、内帑金千円が下賜された。

現存する本堂・御成玄関、庫裡・回廊は国宝に、御成門・中門・太鼓塀は国の重要文化財に指定された。

                        境内の茶屋で一休み
  



臨済宗妙心派「円通院」は、伊達政宗の嫡孫「光宗」の霊廟として、1647年、瑞巌寺第100世洞水和尚により三慧殿が建立され開山された。
三陸三十三観音霊場一番札所。三慧殿は別名御霊屋とも呼ばれている。
建物は宝形造、本瓦葺で、四周に高欄付の縁を巡らす。東北地方では数少ない 格式ある方三間霊屋の遺構であり、霊屋建築としては宮城県でここだけ。
  

伊達光宗 光宗と徳川家光とは従兄弟の関係になる。仙台藩期待の星・光宗で あったが、初入部(初めて国元へ行くこと)で体調を崩し、
1645年 江戸で19歳 の命を終えた。翌正保3年(1646)霊廟の三慧殿(国重文)が造られた。

円通院本堂                      洞窟墓所
  


境内の庭には約350年前に造られた心字の池を中心とし石庭がある。秋には紅葉ライトアップがされ、幻想的なお寺の中に色鮮やかな紅葉の赤色が華やか。
庭は、江戸時代の日本を代表する作庭家、小堀遠州の作といわれ、石庭「雲外天地の庭」、遠州の庭、バラの庭「白華峰、西洋の庭」 、三慧殿禅林瞑想の庭 。

バラの庭は6,000平方メートルあまりに色とりどりのバラを植え込まれバラ寺として知られるが、現在ではバラの数は少なくなり、
境内いたるところにコケを配して、コケ寺として訪れる人々に安らぎを与えている。

  

          

次回は塩竃神社へ