syuの日記・気まま旅

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平泉(4)柳之御所

2011-10-09 | 気まま旅

北上川   岩手県を南北に貫流、長さ東北一、全国4位。近世は、重要な物資輸送路、東北経済大動脈を果たした。
      長さ249KM  盛岡、花巻、北上、水沢、一関と都市が分布


      「北上夜曲」  

       匂いやさしい 白百合の 濡れているよな あの瞳 想い出すのは 想い出すのは 北上河原の 月の夜

       宵の灯 点すころ 心ほのかな 初恋を 想い出すのは 想い出すのは 北上河原の せせらぎよ

北上川


「史跡 柳之御所」
奥州藤原氏の政庁「平泉館」跡と推定されている。発掘調査により、堀、建物、池、塀などの遺構とともに、膨大かつ多様な遺物が出土している。
平泉文化に関わる貴重な資料の多くが、良好な状態で地下に埋蔵されている。

「資料会館」
御所遺跡が、広大な敷地から、大量に出土された貴重な考古資料とその説明、パネルなど展示。入場無料

  

重要文化財指定されたもの約400点が展示されている。
儀式の道具、中国産の陶器、銅印、金属製品、文字資料、木製品、等と、人々がどのような生活様式であったかが解る。
資料館外は、史跡公園として整備され、当時の道路、堀、建築物、池跡、井戸、厩などが解る。

  

西の建物は、約11MX14Mで、柱規模から格上。貴族、高僧の儀式の場として使われたと思われている。
東の建物は、藤原氏が、一族郎党の対面儀式に使われたと思われる。
屋根瓦などは、地域の物で、志羅山地区の物、国内陶器は、渥美窯、常滑窯の製品、中国からの輸入陶磁器も多。


  

二代藤原基衡の終わりころから三代秀衡の1160年前後整備完了、南北方向の長袖建築後になっている。
松双鶴鏡 重量264G完成品が出土している。

昼食は、市内の食堂、うどんとおにぎり¥400 今朝とりたての大きなかぼちゃのお土産付、老夫婦経営

柳御所史跡公園                        食事をした定食屋さん
  

「平泉八坂神社」は、平安の昔、藤原三衡の頃の創立、当時信仰のあつい京都の祇園社より勧請した。
毛越寺五方鎮守の一つ、「祇園会」と称する年中恒例法会が盛大に催されていたという。
南北朝時代は修験の僧都良珍が荒れた祇園社の再興をはかり、疫病退散の祈祷場として人々の尊崇を得たと伝えられている。
江戸時代までを祇園宮、1885年の改革に伴い八坂神社と改称し村社となる。

JR平泉駅前                   八坂神社
  

芭蕉一行は磐井橋を渡って奥州街道をほぼ真北に進み、4km近く歩いたところで宿駅・山の目に至った。
山の目から平泉までは6kmばかり道を残すが、その途中に「祇園」という名の地区がある。
これは、むかし京都・八坂神社の分霊社である八坂神社(祇園社)を建て、京都・祇園をなぞった町がつくられたことに由来する
地名で、中尊寺造営の際、京都から迎い入れた知識人や文化人、工人などをもてなすために奥州藤原氏が築いた京風・平泉の名残である。

八坂神社境内                      本殿
  


次回は、松島方面へ。