syuの日記・気まま旅

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鈴を愛した本居宣長

2013-03-08 | 気まま旅
「本居宣長」1730-1801、松阪の豪商、小津定利の次男、28歳で小児科医を開業し、その傍らで国学の研究に努め、30年以上を費やして「古事記伝」など多数の著書を残し、500名以上の門弟を集めていた。
賀茂真淵の門人になり、春満、真淵、宣長の学統で結ばれている。
平田篤胤は、松阪を訪ね、宣長門人を望んだが、すでに病没後で、平田は、没後の門人と自称している。

国学者、医者の本居宣長、


この頃活躍していた人物は、青木 昆陽 1698年〜1769年・ 与謝 蕪村 1716年〜1783年・ 田沼 意次 1720年〜1788年・ 山県 大弐 1725年〜1767年・ 平賀 源内 1728年〜1779年・ 杉田 玄白 1733年〜1817年・ 中川 淳庵 1739年〜1786年・ 伊能 忠敬 1745年〜1818年などがいた。

時代の背景は、1742年 公事方御定書制定 、1744年 神田に天文台設置、1764年 江戸大火、1772年 目黒行人坂火事 。

商人の子、もの堅い父、賢い母に育てられ幼少から筆まめであったと云う、
    

鈴を愛した「宣長」の業績は、古代研究の基本書「古事記伝」44巻、34歳のとき、松阪に立ち寄った賀茂真淵が縁、その翌年から34年間かけて書き上げた。
この大著は、古事記の本文から、正しい読み方、古代の日本の姿や人の心を明らかにした。

「古事記伝」44巻を著した小児科医
    

宣長は、思想家で、当時の主力、儒学の考えを批判している、「もののあわれ」の考えを重視し、人間らしさ、素直さ、自然な気持ちを大切にすることを挙げている。

1909年魚町から移築「鈴屋」
    

京都で、医学の勉強以外は、松阪で終世生活し「鈴屋塾」で多くの門下生を養成、伊勢の美しさと自然を愛した。
読書と和歌を詠むことを最上の楽しみとした、

「本居・山室山・本居宣長一の宮・松阪神社」は、城跡にあった神社を、外に移されたようである。碑のみ城内残っていた。
「松阪神社」は、城と隣接した清らかで凛とした空気がいつも流れている松阪発祥の生地、四五百の森にある。
本居宣長ノ宮は常緑樹が繁るこの森厳な森に包まれるようにして鎮座。本居大人奥墓がある旧山室村からこの森に遷座したのが大正4年。
平成7年、社号を本居宣長ノ宮と改称。学問の神のお宮。神道はそもそも古代の自然崇拝を始源とする日本土着の信仰ですが、「四五百の森」に、心を癒す静かな自然のちからが濃密に存在しているという。

松阪城趾下から本殿につづく桜並木は、春には薄紅色の参道となり、夏は、常緑の緑がまるで呼吸しているかのように涼しく、小鳥のさえずりや啄木鳥が木をつつく音、不思議なほどの静寂。森閑とした秋の気配をなごませるのは、のどかな蜻蛉の群れ。

松阪の鎮座として、大事にされているようである。

ものの憐れを重視、人間、素直、自然を、儒学を批判
    


桜の花を愛し、学問に打ち込むようになってから、鈴の音を聞くのが好きになり、書斎に36個の小鈴を赤い紐で吊るしていたという。
宣長の旧宅は、松阪城二の丸跡に移築、保存されている。

                                   玄関前
    

城跡に、宣長記念館が隣接されている。旧宅は、魚町にある。墓は、妙楽寺。

「鈴屋」の裏庭
  


「山室山神社」は、明治4年、川口常文と野呂万次郎は、本居信郷、久世安庭等と山室山奥墓の横に祠を建て祀った。
明治7年、本居豊穎、信郷が霊祠造営を出願し、また奥墓の隣に祠殿を建て祭祀を行うことを追願し共に認可され、この間に、野呂万次郎等が平田篤胤合祀を求めて、いろいろ異論もあったというが、祀られることとなり、社名を「山室山神社」としたらしい、碑のみ。

神社の碑
    

「本居宣長の宮」 

そこには身のひきしまるような清らかで凛とした空気がいつも流れ、松阪発祥の生地、「四五百の森」。
本居宣長ノ宮は常緑樹が繁るこの森厳な森に包まれるようにして鎮座。
旧山室村からこの森に遷座したのが大正四年。ながく本居神社として親しまれ、平成七年社号を「本居宣長ノ宮」と改称そた。
学問の神として広く知られている。
神道はそもそも古代の自然崇拝を始源とする日本土着の信仰ですが、ここ四五百の森にもこころを癒す静かな自然のちからが濃密に存在し、
松阪城趾下から本殿につづく桜並木は、春には薄紅色の参道を、


鳥居                    拝殿
    

宣長歌碑、「敷島の」の歌を刻む。 拝殿の南隣に東面して建つ。神社による建造。昭和34年。
碑は、宣長の敷島の歌を弥生氏が揮毫。根来吉三氏が刻したとある。
歌は、
    「しきしまのやまとこころをひととははあさひににほふ山さくらはな」

  

次回は、商人の町、松阪市内に。