「近鉄・宇治山田駅」1931年開通、山田線・鳥羽線乗り入れ、28.3km。
参宮急行電鉄線のちの近鉄大阪線・山田線全通に際し、「神都」宇治山田市。1955年に伊勢市の新たな玄関口となる。伊勢神宮最寄りのターミナル駅として開設された。
長距離列車の始終着駅として賑わい、「貴賓室」があるため天皇をはじめとする貴賓客や、正月恒例の内閣総理大臣の伊勢神宮参拝の際の乗降駅となっている。当駅が起終点で、山田線からの急行や快速急行の多くは当駅で折り返し。
1961年までは、駅前から伊勢神宮の外宮・内宮及び二見浦へと向かう軌道線(路面電車)の神都線が発着していたが、現在はバスに。
近鉄宇治山田駅
宇治山田駅前「箕曲松原神社」参拝。神社は、創始、997年の古紀。この地は、千余年前から水辺の美しい野にあって土地の人々に敬拝されてきたという。 主祭神・大歳神は土地の豊饒と平安の神、明治8年には県社に指定され、その後多くの神々が合祀された。
多くの神々が合祀神社で、大歳神(農業をつかさどる神さま。素盞嗚尊の子神)、若雷神(土地開拓と鎮火の守護神)
大山祇神(山の神の総元締めとも言える大神。木花咲耶姫の父神・大歳神の祖父神に当たる)、宇迦之御魂神(稲荷明神。大歳神の妹神)
蛭子神(海の神。恵比寿さまと同一視され、商売繁盛の福神)、建日昇方神、建御名方神、春日大神、八幡大神、山神、伊都岐島神倭姫命と菅原道真公の学問の神様。が祀られている。
山田駅前に鎮座する松原神社
「クス」は神霊として崇められてきた樹齢800年以上の老木が、境内の中央に、白蛇が生息していて年に数回姿を見せると云われている。
樹高25m、幹周7.66mと記されていた。伊勢豊受稲荷と並んでいる。
境内の神木「楠」歴史を感じる
南伊勢、志摩地方の経済、文化の中心都市で伊勢神宮鳥居前街として発達した地域、宇治山田市から1955年伊勢市に名称変更している。
室町時代に入り、商業、為替両替を行う者が、旅してくる信者をえて、「伊勢譲組織」と宿屋を兼ねて受け入れていた。江戸時代は、参宮者
が増加され、特に60年同期の「お陰参り」で頂点、盛を極めた。
宇治会合、山田三方、山田羽書紙幣を発行された。明治に入り、国家管理となり、「御師の制度」は、廃止された。
JR東海伊勢市駅
伊勢市は、観光拠点として変容し、北部は工場進出と臨海部が開発され、物流で発展、又市域の南部は国立公園区域で国際文化観光としとして
関連施設が増え、街並みは保存対象となって清潔感がある。
市内の「外宮」、豊受大神宮からスタート。高倉山の麓、山田原に鎮座されている。
外宮に 参道
天照坐皇大御神の「ミツケカミ」は、食物の神の「豊受大神」を祀っている。
止由気大神宮儀式帳によると、雄略天皇の22年に丹波(京都北部)から迎えられたとある。
外宮は、豊受大神宮という、天照大御神、衣食住を守る神様、毎日朝夕に食事を1500年奉る。
「外宮」には、別宮 4、摂社 16、末社 8、所管社 4.ある。
「歌川広重・伊勢参宮 宮川の渡し」 伊勢に渡るために船の順番を待つ群衆を描いている。
昔は舟での参拝で順番待ちであった(歌川広重)
外宮には、勾玉池、御池、火除橋、手水舎、斎館、神楽殿、古殿地に正殿他、左奥に土宮、風宮、多賀宮となる。
式年遷宮祭は、20年に一度で、新殿造営し、旧殿の御神体を移す祭典、1993年に61回の還営がおかなわれている。
表参道 春の神楽祭が待ち遠しい
三種の神器とは、天皇の地位の標識として、歴代の天皇の受け継いだ三つの宝物。八咫鏡(やたのかがみ)、草薙剣(くさなぎのつるぎ)、八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)をいう。
「日本書紀」(720成立)では、これらを「三種宝物」、「古語拾遺」(807成立)はこのうちの鏡と剣を「二種神宝」といている。
神器の語が一般化するのは南北朝以降。
正殿、東宝殿、西宝殿、外幣殿、など撮影できない
「崇神天皇」10代、大和朝廷勢力拡大期、四方に武将を送っている「四道将軍」。自分を祭ると疫病鎮まると、「三輪山祭り」が始まった。
「雄略天皇」21代、5世紀。倭王武と名乗り、中国と通交。埼玉行田稲荷山古墳に短剣銘文に「ツカタケル」出土。(共に実在天皇)
高倉山の里、山田原の外宮
次回は、伊勢神宮内宮へ。
参宮急行電鉄線のちの近鉄大阪線・山田線全通に際し、「神都」宇治山田市。1955年に伊勢市の新たな玄関口となる。伊勢神宮最寄りのターミナル駅として開設された。
長距離列車の始終着駅として賑わい、「貴賓室」があるため天皇をはじめとする貴賓客や、正月恒例の内閣総理大臣の伊勢神宮参拝の際の乗降駅となっている。当駅が起終点で、山田線からの急行や快速急行の多くは当駅で折り返し。
1961年までは、駅前から伊勢神宮の外宮・内宮及び二見浦へと向かう軌道線(路面電車)の神都線が発着していたが、現在はバスに。
近鉄宇治山田駅
宇治山田駅前「箕曲松原神社」参拝。神社は、創始、997年の古紀。この地は、千余年前から水辺の美しい野にあって土地の人々に敬拝されてきたという。 主祭神・大歳神は土地の豊饒と平安の神、明治8年には県社に指定され、その後多くの神々が合祀された。
多くの神々が合祀神社で、大歳神(農業をつかさどる神さま。素盞嗚尊の子神)、若雷神(土地開拓と鎮火の守護神)
大山祇神(山の神の総元締めとも言える大神。木花咲耶姫の父神・大歳神の祖父神に当たる)、宇迦之御魂神(稲荷明神。大歳神の妹神)
蛭子神(海の神。恵比寿さまと同一視され、商売繁盛の福神)、建日昇方神、建御名方神、春日大神、八幡大神、山神、伊都岐島神倭姫命と菅原道真公の学問の神様。が祀られている。
山田駅前に鎮座する松原神社
「クス」は神霊として崇められてきた樹齢800年以上の老木が、境内の中央に、白蛇が生息していて年に数回姿を見せると云われている。
樹高25m、幹周7.66mと記されていた。伊勢豊受稲荷と並んでいる。
境内の神木「楠」歴史を感じる
南伊勢、志摩地方の経済、文化の中心都市で伊勢神宮鳥居前街として発達した地域、宇治山田市から1955年伊勢市に名称変更している。
室町時代に入り、商業、為替両替を行う者が、旅してくる信者をえて、「伊勢譲組織」と宿屋を兼ねて受け入れていた。江戸時代は、参宮者
が増加され、特に60年同期の「お陰参り」で頂点、盛を極めた。
宇治会合、山田三方、山田羽書紙幣を発行された。明治に入り、国家管理となり、「御師の制度」は、廃止された。
JR東海伊勢市駅
伊勢市は、観光拠点として変容し、北部は工場進出と臨海部が開発され、物流で発展、又市域の南部は国立公園区域で国際文化観光としとして
関連施設が増え、街並みは保存対象となって清潔感がある。
市内の「外宮」、豊受大神宮からスタート。高倉山の麓、山田原に鎮座されている。
外宮に 参道
天照坐皇大御神の「ミツケカミ」は、食物の神の「豊受大神」を祀っている。
止由気大神宮儀式帳によると、雄略天皇の22年に丹波(京都北部)から迎えられたとある。
外宮は、豊受大神宮という、天照大御神、衣食住を守る神様、毎日朝夕に食事を1500年奉る。
「外宮」には、別宮 4、摂社 16、末社 8、所管社 4.ある。
「歌川広重・伊勢参宮 宮川の渡し」 伊勢に渡るために船の順番を待つ群衆を描いている。
昔は舟での参拝で順番待ちであった(歌川広重)
外宮には、勾玉池、御池、火除橋、手水舎、斎館、神楽殿、古殿地に正殿他、左奥に土宮、風宮、多賀宮となる。
式年遷宮祭は、20年に一度で、新殿造営し、旧殿の御神体を移す祭典、1993年に61回の還営がおかなわれている。
表参道 春の神楽祭が待ち遠しい
三種の神器とは、天皇の地位の標識として、歴代の天皇の受け継いだ三つの宝物。八咫鏡(やたのかがみ)、草薙剣(くさなぎのつるぎ)、八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)をいう。
「日本書紀」(720成立)では、これらを「三種宝物」、「古語拾遺」(807成立)はこのうちの鏡と剣を「二種神宝」といている。
神器の語が一般化するのは南北朝以降。
正殿、東宝殿、西宝殿、外幣殿、など撮影できない
「崇神天皇」10代、大和朝廷勢力拡大期、四方に武将を送っている「四道将軍」。自分を祭ると疫病鎮まると、「三輪山祭り」が始まった。
「雄略天皇」21代、5世紀。倭王武と名乗り、中国と通交。埼玉行田稲荷山古墳に短剣銘文に「ツカタケル」出土。(共に実在天皇)
高倉山の里、山田原の外宮
次回は、伊勢神宮内宮へ。