「精進湖」は、面積0.87km2・周囲7kmの富士五湖で一番小さい湖。864年噴火で西湖と分断された。


精進湖という湖名は、富士参詣者が湖で沐浴して精進潔斎したことに由来する説、単一湖「せの海」という名称も関連し、富士の背にあたることから「背地」(せのち)と呼ばれたとする説がある。
青木ヶ原樹海で、夏でも涼しい。水深16.5mで浅い。


国道139号線を富士宮に向かい上九一色村「赤池T字路信号」を精進湖手前右折すると、中央往還385号線の下りになる。
下芦川の中道町を過ぎると中央高速甲府南ICでその先が市川大門、富士街道と続く
精進湖は、栄養湖でプランクトンが多く、湖色も緑色。ヘラブナやワカサギ、ブラックバス、タニシなどが生息している。
2月樹氷祭り



県内では2番目の大杉。
樹齢1200年の大杉、と、諏方神社の大杉があり、県・国の天然記念物、
1200年の杉 幹周り:12.6m、樹高:40m、と 諏訪神社の大杉:町指定天然記念物 幹周り:6.9m、樹高:38m、
樹齢:1200年。まだ元気である。



「石花山ー龍泉寺」
曹洞宗の寺院。諏訪神社の右側にある。無人寺、馬山託存により江戸時代の初期に開かれたと伝えられている古い寺。
江戸時代の中期の宝暦年間の大火で全焼した直後に再建されたとある。
山門 本堂



「中道往還」
静岡県富士宮市方面から富士吉田市方面に向かう中道往還(国道139号)から旧方面に入り、女坂峠(阿難坂・精進峠)を抜けて甲府方面へぬける山道は昔、魚道と呼ばれ、甲斐国(山梨県)と駿河国(静岡県)を結ぶ道であり、武田信玄はこの地域を重要視していた。
武田信玄は駿河国(静岡県)から塩や魚を魚道経由で仕入れていたが、1567年、武田信玄は13年間に及ぶ駿河国(静岡県)の今川氏真との同盟を破棄して東海方面への進出を企て、今川氏真は縁戚関係にあった相模国(神奈川県)の北条氏康の協力を仰ぎ、武田領内への塩留を行ったため、塩が入ってこなくなってしまい食事に困ったと云う。
この事態を見て、武田信玄の敵であるが義を重んじる上杉謙信は武田の領民の苦しみを見過ごすことができず、「塩ならこっちにいくらでもあるじないか。
送ってやれ」と敵の武田信玄と領民に塩を送った。これが「敵に塩を送る」という諺となった。
中道往還・交通、軍事上の要地であった。



「野鳥の森公園」樹海に集う野鳥の楽園(数10種以上)


そろそろ紅葉(ドウダンツツジ)


「いやしの里・根場」入園有料。



富士山北麓、旧足和田村(現在の富士河口湖町)の西湖湖畔は、
かつて根場地区と西湖地区という2つの集落があり、2つの集落は、昭和41年の、台風26号の豪雨により発生した土石流によって壊滅的な被害を受け、残された住民は集落ごと住み慣れた土地を離れている。
足和田土石流災害
台風24号の影響による連日の雨で旧足和田村一帯の雨量は270mmを記録し、山間部の地盤が緩んで、そこへ更に台風26号の影響による
時間雨量100mmの記録的な豪雨が降った結果、山腹が崩壊し土石流が発生。
本沢川、三沢川で発生した土石流は、それぞれ「根場地区」西湖地区の中心部を直撃し、根場地区では人口235名のうち死者・行方不明者63名、西湖地区では人口513名のうち死者31名という大きな災害が発生しま所。(資料館有)


西湖付近から見た富士山、富士山の手前に 小さな大室山が重なって見えることから「子抱き富士」と呼ばれている。

「西湖」湖面2.2km2、水深71.7m深い、精進湖と分断、河口湖と導水トンネルがある。


静寂な湖、近くに「蝙蝠の穴」がある。



「貴船神社」本堂

次回は、河口湖へ。