「東京大神宮」(JR飯田橋駅に近い)は、明治13年(1880年)、有楽町の大隈重信邸跡に落成した「皇大神宮遙拝殿」が起源。
明治政府が目指していた祭政一致・大教宣布の一環として作られたものであった。
1882年、明治政府の方針転換により神社と宗教活動は分離することとなり、伊勢神宮でも神宮司庁と神宮教院を分離することとなった。
皇大神宮遙拝殿は、神宮教院に属することとなり、神宮教院が神道神宮派に改称する際に、大神宮祠と改称したと云う。
一般には、所在地名から日比谷大神宮と呼ばれていたが、1899年、神道神宮派が解散して新たに神宮奉斎会が作られ、神宮奉斎会本院と改称し、神宮奉斎会の本部機関となる。
三重県宇治山田市(現・伊勢市)には神宮教院大本部が置かれ、1923年、の関東大震災で社殿を焼失し、1928年、現在地に再建・遷座して、以降は、現)飯田橋大神宮と呼ばれるようになった。
大戦後の昭和21年、「宗教法人東京大神宮」として再発足した。
「大隈重信」1838-1922 立憲改新党総裁、早稲田創立者、伊藤博文内閣・黒田清隆内閣の外務大臣、明治新政府代表政治家。
右翼の爆弾で右足を失う。
人生、最も重要な儀式である「結婚式」、我が国古来の神前結婚式は、明治33年、当時の皇太子殿下(後の大正天皇)と九条節子姫(後の貞明皇后)のご成婚に始まります。
宮中の歴史において初めて皇居内の賢所(神前)で行われたご成婚の慶事を記念して、東京大神宮では神前結婚式を創始し、以後その普及に力を注いでいる。
それ以前の挙式は家庭で行うのが通例、神前で厳粛かつ神聖な儀式を行うことは、画期的なできごととして人々の関心を集める。
大正元年に発表された夏目漱石の有名な小説「行人」にも、日比谷大神宮(現在の東京大神宮)における結婚式の様子が克明に描かれている。
手水舎 拝殿 門楼
若い男女の縁結びで人気がある。
伊勢神宮の御祭神、「天照皇大神」 「豊受大神」「倭比賣命」を奉斎。
天照皇大神は、伊勢神宮の内宮の御祭神、国民全ての祖神・豊受大神は、伊勢神宮の外宮の御祭神で農業、諸産業、衣食住の守護神・
倭比賣命を奉斎。
麦茶のサービスを 鎮座する町内の催し
「御茶ノ水」と「浅野総一郎(1848-1931)」、
現)富山県氷見市の百姓の長子として生まれ、1871年に上京、
お茶の水で水売りを初め、竹の皮商から薪炭商へ転じ、コークスの売り込みに成功。
渋沢栄一氏の知遇を得、投機商人から産業資本家への道を開き、官営深川セメント製造所を貸与され、84年払い下げを受け、浅野工場(後の浅野セメント)を設立。
同郷の安田善次郎氏の援助で96年東洋汽船を創立、太平洋航路を開き、豪華船を就航させたが、第1次大戦後の不況で衰退し、その経営を日本郵船に譲った。
1913年には安田氏の協力の下、鶴見・川崎海岸の埋め立てに着手し、16年浅野造船所、18年浅野製鉄所(後に両社とも日本鋼管に吸収合併)を設立するなど、多面的な産業王国を築いた財界人。 (平凡社の大百科事典より)。
御茶ノ水聖橋から
「神田明神」
730年に出雲氏族・真神田臣により武蔵国豊島郡柴崎村(現・東京都千代田区大手町、将門塚周辺)に創建されました。社伝より
銅大鳥居 門楼 拝殿
「天慶の乱」(939~940年)に敗れた平将門公の首が葬られ、天変地異の怪異が続き住民が窮したところ、時宗の真教上人がその祟りを鎮め、
1309年には将門公が神田明神の祭神として祀られました。
神田明神は皇居のほとり(現在の大手町、将門首塚)にあり、江戸時代に入ると、幕府を開いた徳川家康は、神社を深く尊崇し神領を寄進。
幕府の発展と城下の大規模な造成により、1616年には、現在の地に移転し、江戸城の丑寅(うしとら)の鬼門にあたる場所で、
江戸総鎮守神田明神にふさわしく、幕命により桃山風の壮麗な社殿が築かれた。
平将門の首が付近に葬 られると天変地異の怪異が続き、それを知った北条時宗の真教上人が将門の祟りを 鎮め、
1309年、平将門命を祭神として合祀した。
狛犬 小唄塚等の石碑
「神田神社・天下祭」は、江戸時代から、華麗な山車が36台も続き、将軍上覧の天下第一の祭礼として全国に知れ渡りました。
現在は祇園祭(京都)、天神祭(大阪)と並び、日本三大祭として江戸っ子が楽しみにしているお祭り。
昔は、東京駅大手町に鎮座 日本橋中心の神社であった
神田明神の隣にある区指定有形文化財「遠藤家旧店舗・住宅主屋」。
神田鎌倉河岸の江戸時代から続く材木商の店舗兼住宅で、 遠藤家は、江戸城築城のために鎌倉材木座から招集された材木商で、神田の鎌倉河岸に店舗を設け、江戸城の立ち入りも許されていた商人。
現在文化財となっている神田の家は1927年に建設され、この地に移築。
日本橋川は、 江戸の商店が並んでいた その一つ材木商の遠藤家の旧家
次回は、湯島天神、上野、下谷神社方面へ。