「河口浅間神社」
864年の富士山大噴火を鎮める為に、翌年、富士山と対峙する河口の地に富士山の神を祀った。これが通称河口湖浅間神社。
河口浅間神社は古くから鎌倉街道沿いに位置し交通の要衝として栄えた河口地区の神社としても信仰を集めた。
「稚児の舞」孫見祭などの例祭に7・8歳から12歳の少女10人ほどが奉納する華麗な舞い。厳かで美しく華やかである。
大鳥居
「河口湖浅間神社の七本杉」社殿の南側にある7本の巨樹で神木としてしめ縄を結わえてある。
7本の杉とも幹は真っすぐに1本に伸び、枝分かれしたものはない。立派な杉の木である
樹齢1200年に及ぶ巨木が1ヶ所に現存することは貴重であり昭和33年県指定の天然記念物になっている。
参道、両側に杉の巨樹神木 湧水の手水舎
歴史を感じる門楼 境内・社殿を囲む杉の大木が
「日本三代実録」によると、864年に富士山の「貞観大噴火」が始まって大被害が発生し、噴火により八代郡の本栖海(本栖湖)と剗の海が埋没し、これが駿河国浅間名神(現 富士山本宮浅間大社)の祭祀怠慢とされ、甲斐国でも浅間神を祭祀するべきとなった。
865年、甲斐国八代郡家の南に浅間明神の祠が祀られ官社に列したと記すとある。
平安時代中期の『延喜式神名帳」には名神大社として「甲斐国八代郡 浅間神社」の名で記載がある。
社殿・拝殿(町有形文化財指定)
登る細い道。
近くの高台が見晴らし良く、河口湖が見える。絶好の場所に、喫茶スペースがあり、テーブル・イスなど。景色を眺めながら一休みできる。
「母の白滝」、平安の頃より富士登山者は、村の宿坊を宿としてこの滝で身祓いを行い、登山の安全を願ったという白糸の滝と白滝神社を見に出かけた。
河口湖町「河口浅間神社」を背にした山の上にある滝、神社から登る事約3km、1時間程。道は舗装されていて車ですぐそばまで行ける。
母の白糸と呼ばれるだけに、細い白い滝が静かに落ちている。
母の白滝と母の白滝神社、三つ峠登山道入り口に。富士講者が宿泊し、ここで、禊を行った場所でもあり、母の白滝神社が鎮座する。
滝のすぐ下から三つ峠への登山道もある。
三つ峠山
奈良時代から修験道の霊山として知られ、江戸時代後期、天保3年に「善應空胎上人」によって開山された信仰の山。
神鈴峰、仙泉山とも呼ばれる。現在の三つ峠の由来として、山頂付近にわき水があることから水峠と呼ばれ転化したという説や、
三つの尖峰(トッケ)があることから、「ミツトッケ」と呼ばれ、それに文字あてたという説、また、この三つの尖峰は、木無山、御巣鷹山、開運山を指すという説や、開運山の三つの尖峰を指すという説にも分かれていると云う。
開運の山「三ツ峠」
三ツ峠山は標高1786m、決して低くはないが、本格的技術や 経験がなくとも登山の醍醐味を味わえる、
富士山麓日記、富士山一周もそろそろ終了します。次回は、下吉田方面。
864年の富士山大噴火を鎮める為に、翌年、富士山と対峙する河口の地に富士山の神を祀った。これが通称河口湖浅間神社。
河口浅間神社は古くから鎌倉街道沿いに位置し交通の要衝として栄えた河口地区の神社としても信仰を集めた。
「稚児の舞」孫見祭などの例祭に7・8歳から12歳の少女10人ほどが奉納する華麗な舞い。厳かで美しく華やかである。
大鳥居
「河口湖浅間神社の七本杉」社殿の南側にある7本の巨樹で神木としてしめ縄を結わえてある。
7本の杉とも幹は真っすぐに1本に伸び、枝分かれしたものはない。立派な杉の木である
樹齢1200年に及ぶ巨木が1ヶ所に現存することは貴重であり昭和33年県指定の天然記念物になっている。
参道、両側に杉の巨樹神木 湧水の手水舎
歴史を感じる門楼 境内・社殿を囲む杉の大木が
「日本三代実録」によると、864年に富士山の「貞観大噴火」が始まって大被害が発生し、噴火により八代郡の本栖海(本栖湖)と剗の海が埋没し、これが駿河国浅間名神(現 富士山本宮浅間大社)の祭祀怠慢とされ、甲斐国でも浅間神を祭祀するべきとなった。
865年、甲斐国八代郡家の南に浅間明神の祠が祀られ官社に列したと記すとある。
平安時代中期の『延喜式神名帳」には名神大社として「甲斐国八代郡 浅間神社」の名で記載がある。
社殿・拝殿(町有形文化財指定)
登る細い道。
近くの高台が見晴らし良く、河口湖が見える。絶好の場所に、喫茶スペースがあり、テーブル・イスなど。景色を眺めながら一休みできる。
「母の白滝」、平安の頃より富士登山者は、村の宿坊を宿としてこの滝で身祓いを行い、登山の安全を願ったという白糸の滝と白滝神社を見に出かけた。
河口湖町「河口浅間神社」を背にした山の上にある滝、神社から登る事約3km、1時間程。道は舗装されていて車ですぐそばまで行ける。
母の白糸と呼ばれるだけに、細い白い滝が静かに落ちている。
母の白滝と母の白滝神社、三つ峠登山道入り口に。富士講者が宿泊し、ここで、禊を行った場所でもあり、母の白滝神社が鎮座する。
滝のすぐ下から三つ峠への登山道もある。
三つ峠山
奈良時代から修験道の霊山として知られ、江戸時代後期、天保3年に「善應空胎上人」によって開山された信仰の山。
神鈴峰、仙泉山とも呼ばれる。現在の三つ峠の由来として、山頂付近にわき水があることから水峠と呼ばれ転化したという説や、
三つの尖峰(トッケ)があることから、「ミツトッケ」と呼ばれ、それに文字あてたという説、また、この三つの尖峰は、木無山、御巣鷹山、開運山を指すという説や、開運山の三つの尖峰を指すという説にも分かれていると云う。
開運の山「三ツ峠」
三ツ峠山は標高1786m、決して低くはないが、本格的技術や 経験がなくとも登山の醍醐味を味わえる、
富士山麓日記、富士山一周もそろそろ終了します。次回は、下吉田方面。