「富士吉田」は、国中の甲斐守護家武田氏や郡内領主の小山田氏が支配を及ぼし、甲駿の国境であるため係争地にもなる。
集落は上吉田と下吉田に分離し、東西を川に画され掘などの防御施設を持つ自治的集落で、吉田山城が築かれた。
上吉田には富士参詣の門前集落として御師が集住し、参道の両側には計画的な短冊方地割の御師町が形成された町。
「福源寺」は、真言宗伝燈の道場・聖徳寺だったが、1447年に本願寺中興の祖第八代蓮如上人が同地を巡錫した折りに浄土真宗に改宗、
開基は浄光(俗姓は渡邊伊賀守)。
江戸期には春正寺、勝曼寺、浄願寺の坊舎三宇を持ち、関東における真宗伝道に重要な役割を果たしたと云う。
現在の境内には、鐘楼と並んで典雅な六角太子堂があり、市の重要文化財に指定されている。



明治期に、門主の明如上人が、寺を「山梨教校」に指定、関東地方の教学研鋤の拠点としての重責を担い、明如上人から賜った「山梨教校」の真筆の扁額は寺宝。
また、寺宝の室町初期の作とされる名号本尊は、「盡十方無碍光如来」の八字名号の下に勢至・龍樹・世親の三菩薩の影像が描かれた珍しい様式で、「真宗重宝聚英」にも掲載されていると云う。
本堂

新倉山浅間公園からの雪なし富士山

新倉山の浅間公園といえば、絶景の富士山。富士山と秋の紅葉の景色は、見応えがあり、「新倉浅間神社」の鳥居を囲む紅葉。
忠霊塔まで続く道と階段に、映える色とりどりの木々たち。

「新倉山浅間公園」
新倉山の中腹にある、この公園は富士山を正面に構え、市内を一望できる眺望豊かな公園。昭和34年開園・広さ42,924km2ある。

「新倉山・浅間神社」 祭神 木花咲耶姫命・大山祇命 参拝する。
ここも、705年、甲斐国八代郡荒倉郷へ富士北口郷の氏神として祀られ、807年の富士山の大噴火があり、朝廷からの勅使が参向せられ、国土安泰富士山鎮火祭を執行しされた。
その時、平城天皇より三国第一山の称号並に天皇の御親筆であり、現在大鳥居にある勅額・金幣・破魔宝面(勅使面)を奉納。
境内は富士山眺望の当地随一の地で「ここから眺める富士山こそが地元の誇り」と、山梨日日新聞の21世紀に残したい山梨百選に選ばれ
ドイツの航空会社機内誌に表紙として載っていると云う。
忠霊塔までの石段は、人々の格好の鍛錬場所になって賑わいを見せ、夜は富士吉田市の夜景を見る事が出来る。



拝殿

397段あるこの階段 石段途中から見た富士山 石段を登り切ると忠霊塔が



富士吉田市のシンボル忠霊塔・富士山

富士吉田市を一望できる。

新倉山御殿頂上まで1184mある。


次回は、大月方面。