syuの日記・気まま旅

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天上山かちかち山と河口湖畔の神社

2013-11-09 | 富士山麓日記

「河口湖」富士五湖で湖面高度は最も低い、面積は5.6km2・周囲17.4km・深さ14.6mで山中湖に次ぐ。
江戸時代から排水・富士吉田側の灌漑、生活水利用で通用(新倉堀抜は史跡に)
ワカサギは年々減少、鯉・鯰・鮒が。

JR大月駅から富士吉田市にある富士山駅までを結ぶ大月線 と、富士山駅から富士河口湖町の河口湖駅を結ぶ「富士急線」
終点河口湖駅前タミナール


旧・富士山麓電気鉄道・現在の富士急行が1929年・昭和4年に製造した開業当初の車両「モ1形」を改装展示。


河口湖逆さ富士、波が少なく逆さ富士をねらえる機会の多い湖。早朝 の逆さ、夕暮れの逆さ、紅富士の逆さ富士をはじめ、まるで鏡に映したように鮮明な逆さ富士が見られることもあります。(昨年撮影)


湖畔を跨いでいる「河口湖大橋」(八王子神社から)


富士急線・河口湖駅から湖方面を下ると「登山口天上山・旧鎌倉街道」の立て看板が、ここから登るとロープウエイの「かちかち山頂上」に出る。河口湖南東にそびえる天上山山頂には烽火台が設けられていたとされ、御坂峠と富士吉田方面を結んでいたと云う。
河口湖ロープウェイの終点天上山富士見台駅一帯は、河口湖と富士山が一望できる絶景スポット
山頂には小御嶽神社が祀られ、烽火台遺構については不明瞭。
山頂から下に2段ほどの削平地が認められますが、これが烽火台のものかは不明。

天上山は、童話「かちかち山」の舞台で、背中に火を付けられた狸は、天上山から河口湖めがけて駆け降りたと云う看板が。

旧鎌倉街道、天上山登山口
    

「河口湖圓通寺」

山号 「広大山ー円通寺」は、臨済宗妙心寺派の寺、
1265年 開創されたと伝えられ、1470年 時の都留郡上郷大原七郷の検断小林尾張守正喜により開基された。
1766年の村落の大半を焼失する大火の際、寺も僅かに宝蔵庫を残して類焼。
現在の本堂は、1786年に再建されたものと云う。

    

手水舎                   鐘楼                  本殿
    

「八王子神社」は、954年、天下泰平をいのり、五穀豊穣と村内無病息災を願って船津宮之森に建立されたと言われ、1476年、湖畔のよき地を選んで現在地に遷宮したと云う。

穀豊穣と村内無病息災を願う神社
    

                         本殿


「山梨県の酒・主の銘柄」

一古盛、武田信玄、一富士、開運、身延山、富士桜、笹一、谷桜、風林火山、甲斐の国、七賢、春鶯囀など。
葡萄の産地で「ワイン工場」が多い。

  

「富士御室・浅間神社」

699年に藤原義忠によって創建と伝えられ、社名の「御室」は、かつて祭祀を石柱をめぐらせた中で執り行っていたことによるものと云う。
958年には、村上天皇により、氏子の祭祀の利便のため河口湖の南岸に里宮が創建。
中世には修験道、近世には富士講と結びついて発展。
戦国時代には甲斐武田氏の崇敬を受け、現在の社殿は、明治22年に再建されたもの。
本殿は、1612年に徳川家の家臣の鳥居成次によって建てられたもので、その後4回の大改修を経て、1973年に富士山二合目から里宮に移築。
構造は、一間社入母屋造り、向拝唐破風造りで、屋根は檜皮葺形銅板葺きであり、桃山時代の特徴をもっている。(国の重要文化財)

別当を務めていた小佐野越後守は、戦国時代に小山田氏より境域の尊厳を取り立てさせ、諸役免許や 山中警護役を免許されている。
また武田氏より他国の浅間神社を管轄することを任されている。(小佐野越後守は個人名ではなく代々引き継いでいる名前)

青木ヶ原~河口湖線(710号沿い)
    

門楼


本殿(昭和48年に富士二合目からの移転に際して移築、翌年5月に完工。入母屋造、銅板葺。慶長17年の建立)


神社裏は、河口湖畔


次回も河口湖畔を廻ります。