「清水坂」
明治時代、神田明神下のこの坂一帯は清水精機会社の所有地で、大正時代に入って清水精機社は土地を町に提供し、坂道を整備した。
このため「清水坂」と名付けられた。
その昔、神田明神下は海の波が削って出来た海食崖であった。そしてこの辺りは神様にささげる米をつくる田んぼだったという。
緩斜面のため水がうまく調整出来地形。
昔、名僧「大超和尚」の開いた広大な霊山寺があった。
「妻恋神社」
日本武尊は、走水の海(浦賀水道)を渡るときに海神を侮って起こらせたため、暴風雨に見舞われた。
妃の弟橘媛が身を海に投げて海神を鎮め、尊の一行を救ったと云う。
その後、東征を続ける尊が湯島の地に滞在した際に、郷民は尊の妃を慕われる心をあわれんで尊と妃を祭ったのがこの神社の起こりと伝えられている。
稲荷明神(倉稲魂命)が合祀され妻恋稲荷と称するようになり、江戸時代には関東惣社と名乗り、王子稲荷神社と並んで参詣人が多かったと云う。 また、正月2日の晩に枕の下に敷いて寝るとよい夢をみるという縁起物の木版刷りの「福寿鶴亀」と「七福神の乗合宝船」の二枚の夢枕が
1658~61年頃に売り出されたと云う。
妻恋坂は、坂の北側に「妻恋神社」が旧湯島天神町から移ってきてからと云う。
文京区は、坂の町である。
「湯島天神」
雄略天皇の勅命により天之手力雄命を祀る神社として創建されたと伝えられている。
南北朝時代の1355年、住民の請願により菅原道真を勧請して合祀した。
徳川家康が江戸城に入ってから徳川家の崇敬を受けた。
江戸時代には多くの学者・文人が訪れ崇敬を集める一方、享保期には富籤の興行が盛ん(江戸の三富の1つ)になり庶民に親しまれた。
新派「婦系図」の舞台、湯島天神
泉鏡花小説「婦系図」・映画「湯島の白梅」から。
・・・・夜店ですりが捕まり、お蔦の帯の間にその紙入れがはさまれていたことから彼女も仲間として大きく新聞に書かれ酒井の耳にも入るところとなった。
それと知らない主税はお蔦との結婚の許しを得ようと酒井に会ったが反って女と別れるように言渡され、義理と愛情の間に立った主税はお蔦を湯島の境内に連れ出し別れて呉れと頼むのだった。
その言葉に驚ろいたお蔦もそれが酒井の厳命とあっては返す言葉もなかった。
主税は仕事の為静岡へ行き一人残されたお蔦も日夜主税を想うあまり病の床に伏す様になった。
二人の仲を裂いた酒井はかつて芸者との間に子までなしながら学問のため女を捨てた身でありお蔦の心情を察し断腸の思いだった。
重態になったお蔦の病床を見舞った酒井は“お蔦、早瀬が来た。
ここにいる”とはげまし微笑しながら息を引きとって行く彼女を見守るのだった。
主税がかけつけたときはすでにおそくお蔦はこの世の人ではなかった。
境内に手水舎 拝殿 新派の碑が
台東区の天王寺・目黒不動と、ここ湯島天神は、江戸三富(富くじ)の一つであった。
境内には、泉鏡花の筆塚・江戸時代の知らせの奇縁氷人石がある。
新橋演舞場の新派の碑(明治21年) 講談高座発祥の地の碑 上野公園方面に
「上野広小路」は、上野3・4丁目交差点、中央に春日通りで角に松坂屋、商店街にでる。江戸時代の明暦の大火(1657)後、火除けのため
広げ、名も広小路と呼ばれた。
その手前が「上野恩賜公園・不忍池」で、池の中央に不忍弁天堂、京成上野駅、西郷隆盛像、上野の森美術館、文化会館、、と続く。
不忍池の大きい蓮の花が、奥が弁天堂
東京湾の名残といわれる不忍池と蓮・上野動物園水族館と隣接
公園入口通り 西郷像は階段上 JR上野駅構内
JR上野駅正面(昭和通りから) 下谷神社の大鳥居
「下谷神社」は、上野公園に鎮座していた。
730年、峡田の稲置らが建立したとも、行基が伏見稲荷大社を勧請したとも伝えられる。939年、平将門による天慶の乱追討祈願のため、
藤原秀郷が社殿を新造したという。
寛永年間、境内が寛永寺山内となるにあたり、1627年、別当正法院と共に下谷屏風坂下に移転したが、126坪余と手狭だったため、1680年、
下谷広徳寺前にあった谷中天眼寺先住少林庵抱地525坪余と土地を交換したと云う。
下谷神社石鳥居
浅草通り沿いに建っている。大年神と日本武尊を祭っている。
古くは下谷稲荷社、下谷稲荷明神社と呼ばれていた。
名を残す旧町名の稲荷町は、この神社があったことからついた町名。
例大祭で近隣町内を渡御する本社神輿は台輪幅4尺1寸の千貫神輿といわれ、鳥越神社と共に大きな威容を誇る。
時代を感じる楼門
社殿の天井画は横山大観の作。また、1798年に初代・三笑亭可楽によって当社境内で初めて寄席が開かれた。このため、本神社には「寄席発祥の地」の石碑がある。
拝殿
「永見寺」は、曹洞宗、山号 桃雲山と号し、江戸駒込吉祥寺末。
境内拝領地600坪で、八丁堀地所拝領仕の寺。
開山吉祥寺5世用山元照大和尚、慶長3年、開基桃雲氷見和尚とある。
本堂 境内の石塔
次回は、台東区入谷松が谷~浅草へ。