(前回の続き)
■旧仙台坂周辺
仙台味噌醸造所。現在でも仙台味噌を製造・販売。寛永2年(1625)創業で、仙台藩主伊達政宗が江戸在勤の家来らのために、この地にあった下屋敷内で味噌作りをはじめたのが起源。お店の中を覗きたかったがこの日は閉店していた。
ディスプレイにあった味噌の容器。
幹囲3.8メートル、樹高20メートル、推定樹齢約300年のタブの木。
旧仙台坂。江戸時代にこの坂の中ほどから上にかけて仙台藩の下屋敷があったため仙台坂と名づけられた。現在青物横丁に抜ける坂道が「仙台坂」と呼ばれているので、この坂は「旧仙台坂」と呼ばれる。
■泊船寺
室町時代前期の永徳2年(1382)創建の臨済宗の寺院。本尊の阿弥陀如来は海中から引き上げられたものという。
松尾芭蕉の「いかめしき音のあられや桧笠」の句碑。松尾芭蕉と親交のあった住職が内に牛耕庵(泊船堂または芭蕉堂とも言う)を建て芭蕉を招いたと伝えられる。寺には芭蕉や弟子の服部嵐雪、宝井其角の坐像が残っている。
境内の一角に置かれた一輪挿し。
■山内容堂の墓
幕末期の土佐藩15代藩主の墓。墓はかつて土佐藩の下屋敷があった場所にある。進歩的な考えの持ち主だった容堂は大老の井伊直弼と対立し安政5年(1858)に下屋敷に蟄居させられたが、文久2年(1862)に政治の場に復帰、大政奉還をはじめ幕府と朝廷を斡旋に力を尽くした。
■鮫洲八幡神社
旧御林町(東大井一丁目、二丁目の一部、四丁目)の総鎮守。江戸時代にはこのあたりは猟師(漁師)町で、江戸城に収穫した魚を収める「御菜肴八ヶ浦」の一つとして栄えた。
鳥居。
社殿。
嘉永2年(1849)の狛犬。台座には「町中猟師中」と刻まれている。参道には安政3年(1856)に地元の漁師が寄進した石灯籠も残っている。
魚の仲買人達が大正11年に建てた門。
■木芽(このめ)の坂
この坂が若葉のころが美しかったことから名づけられた。江戸時代にはこの坂の北側には越前国鯖江藩下屋敷があり、南側は崖になっており、下に泉があった。
■梶原稲荷神社
鎌倉時代の武将、梶原景時が建立したと伝えられる。もとはこの地にあった万福寺の境内に祀られていた(万福寺は焼失)。
社殿の裏の「梶原塚。」梶原氏一門の墳墓とも言われている。
■来福寺
平安中期の正暦元年(990)智弁阿闍梨が創建した真言宗の寺院。本尊はこの日に先に訪れた庚申堂から発見された延命地蔵(経読地蔵)。
山門。
雪中庵寥太の「世の中は三見ぬ間に桜かな」の句碑。雪中庵寥太(1718-87)は信州伊那出身の俳人で、松尾芭蕉に憧れ、芭蕉風の俳諧の復活に尽力した。俳壇に勢力を持ち、多くの門人を擁し多数の著作を刊行した。なお、来福寺は江戸時代には桜の名所だった。
林浄因の碑。林浄因は、室町初期の貞和5年(1349)に来日し、日本に饅頭の製造法を伝えた中国人で、和菓子の老舗「塩瀬総本家」の始祖。
(続く)
■旧仙台坂周辺
仙台味噌醸造所。現在でも仙台味噌を製造・販売。寛永2年(1625)創業で、仙台藩主伊達政宗が江戸在勤の家来らのために、この地にあった下屋敷内で味噌作りをはじめたのが起源。お店の中を覗きたかったがこの日は閉店していた。
ディスプレイにあった味噌の容器。
幹囲3.8メートル、樹高20メートル、推定樹齢約300年のタブの木。
旧仙台坂。江戸時代にこの坂の中ほどから上にかけて仙台藩の下屋敷があったため仙台坂と名づけられた。現在青物横丁に抜ける坂道が「仙台坂」と呼ばれているので、この坂は「旧仙台坂」と呼ばれる。
■泊船寺
室町時代前期の永徳2年(1382)創建の臨済宗の寺院。本尊の阿弥陀如来は海中から引き上げられたものという。
松尾芭蕉の「いかめしき音のあられや桧笠」の句碑。松尾芭蕉と親交のあった住職が内に牛耕庵(泊船堂または芭蕉堂とも言う)を建て芭蕉を招いたと伝えられる。寺には芭蕉や弟子の服部嵐雪、宝井其角の坐像が残っている。
境内の一角に置かれた一輪挿し。
■山内容堂の墓
幕末期の土佐藩15代藩主の墓。墓はかつて土佐藩の下屋敷があった場所にある。進歩的な考えの持ち主だった容堂は大老の井伊直弼と対立し安政5年(1858)に下屋敷に蟄居させられたが、文久2年(1862)に政治の場に復帰、大政奉還をはじめ幕府と朝廷を斡旋に力を尽くした。
■鮫洲八幡神社
旧御林町(東大井一丁目、二丁目の一部、四丁目)の総鎮守。江戸時代にはこのあたりは猟師(漁師)町で、江戸城に収穫した魚を収める「御菜肴八ヶ浦」の一つとして栄えた。
鳥居。
社殿。
嘉永2年(1849)の狛犬。台座には「町中猟師中」と刻まれている。参道には安政3年(1856)に地元の漁師が寄進した石灯籠も残っている。
魚の仲買人達が大正11年に建てた門。
■木芽(このめ)の坂
この坂が若葉のころが美しかったことから名づけられた。江戸時代にはこの坂の北側には越前国鯖江藩下屋敷があり、南側は崖になっており、下に泉があった。
■梶原稲荷神社
鎌倉時代の武将、梶原景時が建立したと伝えられる。もとはこの地にあった万福寺の境内に祀られていた(万福寺は焼失)。
社殿の裏の「梶原塚。」梶原氏一門の墳墓とも言われている。
■来福寺
平安中期の正暦元年(990)智弁阿闍梨が創建した真言宗の寺院。本尊はこの日に先に訪れた庚申堂から発見された延命地蔵(経読地蔵)。
山門。
雪中庵寥太の「世の中は三見ぬ間に桜かな」の句碑。雪中庵寥太(1718-87)は信州伊那出身の俳人で、松尾芭蕉に憧れ、芭蕉風の俳諧の復活に尽力した。俳壇に勢力を持ち、多くの門人を擁し多数の著作を刊行した。なお、来福寺は江戸時代には桜の名所だった。
林浄因の碑。林浄因は、室町初期の貞和5年(1349)に来日し、日本に饅頭の製造法を伝えた中国人で、和菓子の老舗「塩瀬総本家」の始祖。
(続く)