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■玉鳳寺(おしろい地蔵)
美肌成就にご利益のある御化粧延命地蔵尊、通称「おしろい地蔵」は20以上の寺院があつまる、三田寺町の一角にある。おしろい地蔵は、昔、顔にアザがあったお寺の住職が傷ついたお地蔵様の顔におしろいを塗って祀ったところ、住職のアザが消えたと伝えられ、悩みのある部分と同じところに白粉を塗って祈願するようになったと言われる。
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おしろい地蔵。ベビーパウダーで全身真っ白。管理人も顔に塗って美肌を祈願。ご利益があるかな?
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美肌成就の他に無病息災、延命長寿にもご利益があるらしい。
■魚籃坂(ぎょらんざか)
坂の中腹に魚籃観音を安置した魚籃寺があるために名づけられた。
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■伊皿子坂(いさらござか)
魚籃坂を上るとある坂で、明国人伊皿子(いんべいす)が住んでいたことから名づけられたと伝えられるが、大仏(おさらぎ)がなまってつけられたとも、いいさらふ〔意味不明〕が変化してつけられたとも言われている。
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■大木戸跡
高輪の大木戸は、江戸の治安維持と交通規制のために江戸の入り口として宝永7年(1710)に東海道の両側に石垣を築き、設置された。現在は海側の石垣のみ残る。江戸時代には大木戸は旅人やその送迎客で大変にぎわった。天和3年(1683)には高札場が現在の札の辻よりここに移された。
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■泉岳寺
播州赤穂の城主浅野家の菩提寺。曹洞宗の寺院で、慶長17年(1612)に外神田に創建したが、寛永18年(1641)の寛永の大火で焼失、現在地に移転。忠臣蔵ゆかりの寺で、浅野家代々の墓と主君のあだ討ちを果たした大石良雄以下46人の赤穂義士の墓や赤穂義士が吉良上野介の首を洗った首洗い井戸などがある。
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中門。天保7年(1836)に再建。
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山門。天保3年(1832)再建。二階部分には十六羅漢が安置され、一階部分の天井には銅彫大蟠龍がはめ込まれている。
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本堂。昭和28年再建。旧本堂は第二次世界大戦の空襲で消失。
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赤穂義士の墓。赤穂義士は元禄16年(1703)2月4日に切腹後、直ちにこの地に埋葬された。
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大石内蔵助の墓。
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主君の浅野長矩の墓。
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首洗い井戸。討ち入りを果たした赤穂義士が吉良上野介の首をここで洗い、主君の墓前に供え報告した。
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血染の梅と血染の石。浅野内匠頭が田村右京大夫邸の庭先で切腹した際に、その血がかかったと伝えられる梅と石。
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大石内蔵助の銅像。
■大石良雄自刃の跡
大石内蔵助ら17人が切腹した跡(高輪1-16-25)から100メートル程度離れたところにある石碑。
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■高輪消防署二本榎出張所
昭和8年に竣工したコンクリート造りの庁舎。出張所は海抜25メートルの位置にあり、新築当時は周囲に高い建物はなく、東京湾を眼下に眺望できたことから、見る人により「岸壁上の灯台」とか「海原を行く軍艦」と評された。
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■玉鳳寺(おしろい地蔵)
美肌成就にご利益のある御化粧延命地蔵尊、通称「おしろい地蔵」は20以上の寺院があつまる、三田寺町の一角にある。おしろい地蔵は、昔、顔にアザがあったお寺の住職が傷ついたお地蔵様の顔におしろいを塗って祀ったところ、住職のアザが消えたと伝えられ、悩みのある部分と同じところに白粉を塗って祈願するようになったと言われる。
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おしろい地蔵。ベビーパウダーで全身真っ白。管理人も顔に塗って美肌を祈願。ご利益があるかな?
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美肌成就の他に無病息災、延命長寿にもご利益があるらしい。
■魚籃坂(ぎょらんざか)
坂の中腹に魚籃観音を安置した魚籃寺があるために名づけられた。
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■伊皿子坂(いさらござか)
魚籃坂を上るとある坂で、明国人伊皿子(いんべいす)が住んでいたことから名づけられたと伝えられるが、大仏(おさらぎ)がなまってつけられたとも、いいさらふ〔意味不明〕が変化してつけられたとも言われている。
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■大木戸跡
高輪の大木戸は、江戸の治安維持と交通規制のために江戸の入り口として宝永7年(1710)に東海道の両側に石垣を築き、設置された。現在は海側の石垣のみ残る。江戸時代には大木戸は旅人やその送迎客で大変にぎわった。天和3年(1683)には高札場が現在の札の辻よりここに移された。
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■泉岳寺
播州赤穂の城主浅野家の菩提寺。曹洞宗の寺院で、慶長17年(1612)に外神田に創建したが、寛永18年(1641)の寛永の大火で焼失、現在地に移転。忠臣蔵ゆかりの寺で、浅野家代々の墓と主君のあだ討ちを果たした大石良雄以下46人の赤穂義士の墓や赤穂義士が吉良上野介の首を洗った首洗い井戸などがある。
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中門。天保7年(1836)に再建。
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山門。天保3年(1832)再建。二階部分には十六羅漢が安置され、一階部分の天井には銅彫大蟠龍がはめ込まれている。
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本堂。昭和28年再建。旧本堂は第二次世界大戦の空襲で消失。
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赤穂義士の墓。赤穂義士は元禄16年(1703)2月4日に切腹後、直ちにこの地に埋葬された。
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大石内蔵助の墓。
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主君の浅野長矩の墓。
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首洗い井戸。討ち入りを果たした赤穂義士が吉良上野介の首をここで洗い、主君の墓前に供え報告した。
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血染の梅と血染の石。浅野内匠頭が田村右京大夫邸の庭先で切腹した際に、その血がかかったと伝えられる梅と石。
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大石内蔵助の銅像。
■大石良雄自刃の跡
大石内蔵助ら17人が切腹した跡(高輪1-16-25)から100メートル程度離れたところにある石碑。
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■高輪消防署二本榎出張所
昭和8年に竣工したコンクリート造りの庁舎。出張所は海抜25メートルの位置にあり、新築当時は周囲に高い建物はなく、東京湾を眼下に眺望できたことから、見る人により「岸壁上の灯台」とか「海原を行く軍艦」と評された。
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