(前回の続き)
■鹿嶋神社
安和2年(969)に茨城県の鹿島神宮を勧請したもので大井の総鎮守として親しまれる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/10/88/4273ea19bc55fc78253c6f4114908e8c.jpg)
鳥居。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/52/f2/f9a68187d61f18be9d8c45f836ae4ef5.jpg)
昭和6年(1931)建立の威厳ある本殿。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1c/77/4e8682630083d7bf2d500cebbae73ee8.jpg)
文久2年(1862)建立の旧本殿。1メートル20センチ四方の小さなものだが精巧な彫刻が施されている。現在本殿の右奥に移築・保存されている。
■来迎院
鹿嶋神社に隣接する寺院で、鹿島神宮を勧請した際に合わせて建てられた。江戸時代には鷹狩りに訪れる将軍のための休憩所が設けられ、「お茶屋寺」とも呼ばれた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/69/f4/fbb27f2c386225dd78f5fc555e0ed3b5.jpg)
仏堂。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2f/46/6dbe384cb24a04fbdcaa2780ed8f6dc0.jpg)
枯山水の小さな庭園。石仏が何体か置かれている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0f/13/d92d9ae26a403aefdfc3734fef260ad9.jpg)
梅が咲いていた。
■大井の水神
貞享2年(1685)に豊かな水の供給を願って九頭竜権現を祀ったのがはじまりで、明治時代には祭神が水葉之女命(みずのはのめのみこと)になった。「柳の水」と呼ばれた境内の池は、昭和50年ごろまで水が湧いていた。現在の池はポンプで水をくみ上げている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/09/cf/bbff92edfbded1b335cca711de0052ea.jpg)
洞窟状の祠。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4c/d6/262915d35d3e0fc1d1d019bc04c24c79.jpg)
柳の水。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0b/93/ebecfef0c24d8aebf03a4ae94be555b5.jpg)
大井の水神のそばのガード下の落書き? 九頭竜権現をイメージして描いたものと思われる。
■品川歴史館
品川区立の歴史資料館で、常設展示では「大森貝塚とモース博士」と「東海道と品川宿」の二つのテーマを柱に原始時代から近現代までの品川区の歴史を展示している。常設展示中のコーナー展示では、江戸名所品川、江戸名所探訪、東海道の旅という品川をめぐる三本のテーマに基づく史料を展示していた。散歩・旅行好きな人間にとっては、常設展示の江戸時代の東海道・品川宿、明治~昭和初期の品川区内の鉄道の歴史の展示、コーナー展示が非常に興味深かった。入場料が100円かかるが、金額の割には展示内容が充実していると思う。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5c/0e/f53f0bab148e48e3e0368bf7e2dda329.jpg)
江戸後期の品川宿の宿並の模型。目黒川をはさんだ500メートルが復元されているが、実際の宿並は約2145メートルと長く、高輪町境から大井村まで続いていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/21/34/9676be55b0af62aa95f71384d0d18e7a.jpg)
目黒川。右奥にあるのは高札場。高札場は、幕府や領主が定めた法令を書いた木の札を掲示した場所。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6a/73/3506165836993fc6eb4ca195f0e1a46a.jpg)
問屋場。問屋場は人馬の継立業務や飛脚業務等を取り仕切った場所。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/18/50/24c0fc53d1d72b16994c5f9e4050a91f.jpg)
本陣の入り口(中央)。左は本陣の門番所、右は旅籠屋。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3f/64/472a73b2738c8b70539d58a62eaf8bac.jpg)
旅籠屋。品川宿には食売(めしうり)旅籠屋と呼ばれる遊女を抱えた旅籠屋が数多くあった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2d/5c/14e7bcacdac7419302763751336da145.jpg)
すし屋と煮売り屋。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/18/88/66cf5aa0173609f1524ea3bdd95031aa.jpg)
江戸の名所を紹介した地誌「江戸名所図会」(天保5~7年(1834-36))に描かれた品川宿。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7f/ef/c0d6f4247ed682cf6fbc7ed61fbd9b41.jpg)
関札。本陣の表門に掲げた宿泊者を記した板で、「松平安芸守休」と書かれている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/09/df/070cfbe6672d7d24828d780c51796bbb.jpg)
庚申塔(享保21年(1736))。道標を兼ねており、側面に「ひもんやミち(碑文谷道)」、反対側に「めくろミち(目黒道)」と刻まれている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2a/8b/ea2d1a9319ebd6e45b7dd50342d0a351.jpg)
土蔵相模の復元模型。土蔵相模は品川宿にあった食売旅籠屋で、幕末には高杉晋作などの長州藩の攘夷派の志士が英国公使館焼き討ちにここに結集した。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6d/9d/8180390c905628428298bf3b287e249b.jpg)
高輪蒸気車運行全図(明治4年(1871))。海側から見た品川駅、八ッ山橋付近を描いたもの。当時の品川駅は現在の駅舎から約400メートル横浜寄りの海岸を埋め立てて作られた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/10/98/4867813e90feeb7b9a8ddc1a7e6e7f96.jpg)
明治5年(1872)の時刻表。品川-横浜間の下り列車は1日6本あった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5b/33/7786196c0a5902aa8a32970883510c78.jpg)
京濱・湘南沿線案内(昭和9年(1934))。京濱品川駅から花月園前駅までを撮影。今なおある駅もあれば、消えてしまった駅もある。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6c/da/d842e9997937c57f6aa27236308944a6.jpg)
「東海道名所図会二」(寛政9年(1797))。東海道第42番目の宿場・桑名にある七里の渡しと渡し舟を描いている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4a/b3/5b298be323ce3ca6e1340c6ed958d2e9.jpg)
「東海道中膝栗毛」(享和2年~文化6年(1802-1809))の挿絵。弥次さん・喜多さんが桑名の茶店で名物の焼き蛤を食べている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/29/4c/a4e294b9fae4816d94799d3b674b51bf.jpg)
上は「五街道中細見記」(安政5年(1858)) で、東海道を初めとする五街道のガイドブック。下は「宿附道中記」(江戸時代)で、全国の街道とその休憩・宿泊場所を記したもの。ピンク色のしるしが付いているのは品川宿の記述。いずれも携帯を考えてコンパクトサイズにできている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/01/df/0e989b32834ae5d3786d1135f4675792.jpg)
「旅中入用控帳」(慶応4年(1868))。山本長次という武士が江戸から岡崎(愛知県)までの旅の費用を書きとめたもの。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/45/b3/79b581722e50d33684f67616151a2f98.jpg)
江戸時代の旅の持ち物(一部)。コンパクトサイズの携帯用筆記用具セットの箱矢立や印籠などがある。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1a/7f/c1ef46a653a627854a24770b0bcae62c.jpg)
旅籠屋の引札(幕末~明治時代)。引札は現在の広告チラシにあたるもので、旅籠屋の場所や主人名、近隣名所の案内等が書かれている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/03/ad/44580622bad38eebb69736cd1e801dca.jpg)
庭園の水琴窟。水琴窟は小さな洞窟に水を落として、洞窟の壁面に反響させた水音を楽しむためのもの。手前の竹筒に耳を当てて楽しむ。傘を差して庭園を散歩したかったが、傘を歴史館入り口に預けたままだったので断念した。
(終わり)
■鹿嶋神社
安和2年(969)に茨城県の鹿島神宮を勧請したもので大井の総鎮守として親しまれる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/10/88/4273ea19bc55fc78253c6f4114908e8c.jpg)
鳥居。
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昭和6年(1931)建立の威厳ある本殿。
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文久2年(1862)建立の旧本殿。1メートル20センチ四方の小さなものだが精巧な彫刻が施されている。現在本殿の右奥に移築・保存されている。
■来迎院
鹿嶋神社に隣接する寺院で、鹿島神宮を勧請した際に合わせて建てられた。江戸時代には鷹狩りに訪れる将軍のための休憩所が設けられ、「お茶屋寺」とも呼ばれた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/69/f4/fbb27f2c386225dd78f5fc555e0ed3b5.jpg)
仏堂。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2f/46/6dbe384cb24a04fbdcaa2780ed8f6dc0.jpg)
枯山水の小さな庭園。石仏が何体か置かれている。
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梅が咲いていた。
■大井の水神
貞享2年(1685)に豊かな水の供給を願って九頭竜権現を祀ったのがはじまりで、明治時代には祭神が水葉之女命(みずのはのめのみこと)になった。「柳の水」と呼ばれた境内の池は、昭和50年ごろまで水が湧いていた。現在の池はポンプで水をくみ上げている。
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洞窟状の祠。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4c/d6/262915d35d3e0fc1d1d019bc04c24c79.jpg)
柳の水。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0b/93/ebecfef0c24d8aebf03a4ae94be555b5.jpg)
大井の水神のそばのガード下の落書き? 九頭竜権現をイメージして描いたものと思われる。
■品川歴史館
品川区立の歴史資料館で、常設展示では「大森貝塚とモース博士」と「東海道と品川宿」の二つのテーマを柱に原始時代から近現代までの品川区の歴史を展示している。常設展示中のコーナー展示では、江戸名所品川、江戸名所探訪、東海道の旅という品川をめぐる三本のテーマに基づく史料を展示していた。散歩・旅行好きな人間にとっては、常設展示の江戸時代の東海道・品川宿、明治~昭和初期の品川区内の鉄道の歴史の展示、コーナー展示が非常に興味深かった。入場料が100円かかるが、金額の割には展示内容が充実していると思う。
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江戸後期の品川宿の宿並の模型。目黒川をはさんだ500メートルが復元されているが、実際の宿並は約2145メートルと長く、高輪町境から大井村まで続いていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/21/34/9676be55b0af62aa95f71384d0d18e7a.jpg)
目黒川。右奥にあるのは高札場。高札場は、幕府や領主が定めた法令を書いた木の札を掲示した場所。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6a/73/3506165836993fc6eb4ca195f0e1a46a.jpg)
問屋場。問屋場は人馬の継立業務や飛脚業務等を取り仕切った場所。
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本陣の入り口(中央)。左は本陣の門番所、右は旅籠屋。
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旅籠屋。品川宿には食売(めしうり)旅籠屋と呼ばれる遊女を抱えた旅籠屋が数多くあった。
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すし屋と煮売り屋。
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江戸の名所を紹介した地誌「江戸名所図会」(天保5~7年(1834-36))に描かれた品川宿。
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関札。本陣の表門に掲げた宿泊者を記した板で、「松平安芸守休」と書かれている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/09/df/070cfbe6672d7d24828d780c51796bbb.jpg)
庚申塔(享保21年(1736))。道標を兼ねており、側面に「ひもんやミち(碑文谷道)」、反対側に「めくろミち(目黒道)」と刻まれている。
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土蔵相模の復元模型。土蔵相模は品川宿にあった食売旅籠屋で、幕末には高杉晋作などの長州藩の攘夷派の志士が英国公使館焼き討ちにここに結集した。
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高輪蒸気車運行全図(明治4年(1871))。海側から見た品川駅、八ッ山橋付近を描いたもの。当時の品川駅は現在の駅舎から約400メートル横浜寄りの海岸を埋め立てて作られた。
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明治5年(1872)の時刻表。品川-横浜間の下り列車は1日6本あった。
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京濱・湘南沿線案内(昭和9年(1934))。京濱品川駅から花月園前駅までを撮影。今なおある駅もあれば、消えてしまった駅もある。
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「東海道名所図会二」(寛政9年(1797))。東海道第42番目の宿場・桑名にある七里の渡しと渡し舟を描いている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4a/b3/5b298be323ce3ca6e1340c6ed958d2e9.jpg)
「東海道中膝栗毛」(享和2年~文化6年(1802-1809))の挿絵。弥次さん・喜多さんが桑名の茶店で名物の焼き蛤を食べている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/29/4c/a4e294b9fae4816d94799d3b674b51bf.jpg)
上は「五街道中細見記」(安政5年(1858)) で、東海道を初めとする五街道のガイドブック。下は「宿附道中記」(江戸時代)で、全国の街道とその休憩・宿泊場所を記したもの。ピンク色のしるしが付いているのは品川宿の記述。いずれも携帯を考えてコンパクトサイズにできている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/01/df/0e989b32834ae5d3786d1135f4675792.jpg)
「旅中入用控帳」(慶応4年(1868))。山本長次という武士が江戸から岡崎(愛知県)までの旅の費用を書きとめたもの。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/45/b3/79b581722e50d33684f67616151a2f98.jpg)
江戸時代の旅の持ち物(一部)。コンパクトサイズの携帯用筆記用具セットの箱矢立や印籠などがある。
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旅籠屋の引札(幕末~明治時代)。引札は現在の広告チラシにあたるもので、旅籠屋の場所や主人名、近隣名所の案内等が書かれている。
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庭園の水琴窟。水琴窟は小さな洞窟に水を落として、洞窟の壁面に反響させた水音を楽しむためのもの。手前の竹筒に耳を当てて楽しむ。傘を差して庭園を散歩したかったが、傘を歴史館入り口に預けたままだったので断念した。
(終わり)
いつか茨城県の鹿島神宮に行ってみたいですね。
茨城の鹿島神宮を勧請しているのははじめて聞きます。