(その1はこちら)
■東武博物館
東武鉄道の歴史や文化・役割を紹介する博物館。蒸気機関車を初めとする実物車両や記念物等の展示、シミュレータや実物機器、鉄道ジオラマの設置の他、博物館の真上を走行する車両を至近距離から観察できるコーナーもある。
5号蒸気機関車。明治31年(1898)製造。東武鉄道が翌年の開業のために、英国のべヤーピーコック社から購入した蒸気機関車12両のうちの1両。
デハ1形5号電車。大正13年(1924)製造。東武鉄道が初めて同年に浅草(現在の業平橋)~西新井間を電化した時に走った木造電車。
1720系デラックスロマンスカー。昭和35年(1960)製造。日光・鬼怒川温泉への特急電車として活躍したが特急スペーシアに世代交代して引退。
平成元年当時の駅務室再現コーナーにあった自動券売機。
改札鋏。
電車シミュレータ。東武伊勢崎線の谷塚駅~竹ノ塚駅~西新井駅を運転。西新井駅では停車位置目標より1メートル以内で停車できた。過去の経験では停車位置目標より大幅に離れて停車することばかりだったので珍しい。
■幸田露伴旧居跡
「五重塔」その他で知られる文豪幸田露伴の区内3番目の家があった場所で、現在は露伴児童遊園。2番目の家では作家の幸田文が誕生、建物の「蝸牛庵」は愛知県の明治村に移築された。
「蝸牛庵」にちなみかたつむり像がある。
■鳩の街
戦後栄えた赤線跡。東京大空襲で罹災した玉の井の業者が営業をしたのが始まりで、昭和20年代後半にはカフェー108軒、300人の女性がいて賑わった。現在は商店街と住宅地となっているが、カフェーだった建物が残る。
鳩の街商店街入り口。鳩の町商店街は昭和3年(1928)に設立された寺島商栄会から続く古い商店街で東京大空襲をまぬがれたために、通りの道幅は戦前のままになっている。
昭和初期の木造建築物を利用したカフェ。
空きアパートを利用した店舗。
商店街の裏手の細い路地の住宅地には、かつてカフェーだった建物が残る。洋風とも和風とも言いがたい独特の外観で、円柱や色タイル、バルコニーがあるのが特徴。カラフルな外観だったり、建物の角が曲線を帯びているのも特徴。
■東武博物館
東武鉄道の歴史や文化・役割を紹介する博物館。蒸気機関車を初めとする実物車両や記念物等の展示、シミュレータや実物機器、鉄道ジオラマの設置の他、博物館の真上を走行する車両を至近距離から観察できるコーナーもある。
5号蒸気機関車。明治31年(1898)製造。東武鉄道が翌年の開業のために、英国のべヤーピーコック社から購入した蒸気機関車12両のうちの1両。
デハ1形5号電車。大正13年(1924)製造。東武鉄道が初めて同年に浅草(現在の業平橋)~西新井間を電化した時に走った木造電車。
1720系デラックスロマンスカー。昭和35年(1960)製造。日光・鬼怒川温泉への特急電車として活躍したが特急スペーシアに世代交代して引退。
平成元年当時の駅務室再現コーナーにあった自動券売機。
改札鋏。
電車シミュレータ。東武伊勢崎線の谷塚駅~竹ノ塚駅~西新井駅を運転。西新井駅では停車位置目標より1メートル以内で停車できた。過去の経験では停車位置目標より大幅に離れて停車することばかりだったので珍しい。
■幸田露伴旧居跡
「五重塔」その他で知られる文豪幸田露伴の区内3番目の家があった場所で、現在は露伴児童遊園。2番目の家では作家の幸田文が誕生、建物の「蝸牛庵」は愛知県の明治村に移築された。
「蝸牛庵」にちなみかたつむり像がある。
■鳩の街
戦後栄えた赤線跡。東京大空襲で罹災した玉の井の業者が営業をしたのが始まりで、昭和20年代後半にはカフェー108軒、300人の女性がいて賑わった。現在は商店街と住宅地となっているが、カフェーだった建物が残る。
鳩の街商店街入り口。鳩の町商店街は昭和3年(1928)に設立された寺島商栄会から続く古い商店街で東京大空襲をまぬがれたために、通りの道幅は戦前のままになっている。
昭和初期の木造建築物を利用したカフェ。
空きアパートを利用した店舗。
商店街の裏手の細い路地の住宅地には、かつてカフェーだった建物が残る。洋風とも和風とも言いがたい独特の外観で、円柱や色タイル、バルコニーがあるのが特徴。カラフルな外観だったり、建物の角が曲線を帯びているのも特徴。