(その1はこちら)
■品川宿交流館
観光カウンター、無料休憩所、ギャラリー、品川宿の歴史と文化を多面的に紹介する展示室がある。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0d/21/5e41ed29589fe2ae3b9799bd27c29d65.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5b/e7/0fa58f557a933744fb71a03cda4b49e4.jpg)
■寄木神社(よりきじんじゃ)
日本武尊が東征の途中に妃の弟橘姫が海を鎮めるために海神に祈願して入水し、その時の船の残り木または弟橘姫の御衣(ぎょい)が流れ着いたので祀ったと伝えられる。本殿の内側の扉に、伊豆(入江)長八(1815~89)が天の岩戸神話を描いた漆喰の鏝絵が残る。鏝絵は、左官が壁を塗る鏝で立体的に絵を描いたもので、漆喰装飾の一技法。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7e/d6/f205d4aab448b21d21cc7bf1896f584d.jpg)
■荏原神社
飛鳥時代・和銅2年(709)創建。品川宿の総鎮守だったがのちに目黒川を境に北品川宿の鎮守は品川神社となり、荏原神社は南品川宿の鎮守となった。現在の社殿は弘化元年(1844年)建造。
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■問屋場跡
問屋場は人馬の継立業務と飛脚業務を円滑に行うための施設。品川宿には、北品川宿と南品川宿の2箇所にあったが、文政6年(1823)の品川宿の大火で両方が焼失してからはこの地にあった南品川宿の1箇所のみとなった。
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■海蔵寺
鎌倉時代・永仁6年(1298)創建。江戸時代には、鈴ケ森で処刑された罪人や引き取り手のない遊女などを葬ったため「投げ込み寺」とも呼ばれた。
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無縁供養塔(首塚)。宝永5年(1798)造立。品川溜牢で亡くなった人達の遺骨を集めて築いた塚で、後に天保の大飢饉(1833-40)で亡くなった250人を祀る二百五十人塚や品川宿の飯盛女の位牌や鈴が森で処刑された人の首も合葬されたため首塚と呼ばれた。この塚をお参りすると頭痛が治るといわれた。
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大正4年(1915)造立の京浜鉄道轢死者供養塔。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/63/5c/cc2af09e7764f03c278ac31b1b18b876.jpg)
昭和7年(1932)造立の関東大震災横死者供養塔。
■旅籠屋釜屋跡
釜屋はもともと立場茶屋(宿場と宿場の間にあり、旅人が休憩や食事をとった場所)だったが、のちに旅籠になり幕末には本陣のような構えに改造し幕府御用宿となった。慶応3年(1867)に新撰組副長の土方歳三等が訪れ、翌年には鳥羽伏見戦から江戸に戻った新選組隊士たちがしばらく滞在したとの記録がある。
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■品川寺
真言宗醍醐派の別格本山。平安時代、大同年間(806~10)創建。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/44/8d/6bd520d0e55419877d0e08b1dd814b53.jpg)
山門。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/40/a0/0f7e4cab34d86b2fefbe4464372bfd92.jpg)
本堂。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/15/74/f67ed521f31dd6b2582fde374705b452.jpg)
江戸六地蔵。宝永5年(1708)に江戸深川の地蔵坊正元が、浄財を集めて、江戸の入口6か所に造立した江戸六地蔵のうちの一つ。他の5カ所は、浅草、新宿、巣鴨、深川2カ所(うち1体は明治初年に壊され、のち上野に再造)。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/49/39/8a048dbbbd67846abfbd33ba964a0ed7.jpg)
洋行帰りの鐘。慶応3年(1867)にパリ万国博覧会に出品されたが、日本に返される途中で行方不明となる。のちに、スイス・ジュネーヴのアリアナ博物館にあることがわかり、昭和5年(1930)に返還された。これをきっかけに品川区とジュネーヴ市は、平成3年(1991年)友好都市提携を結んだ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/79/a7/0425f5bd6b3ab8d6d05ec1ff0f279f19.jpg)
大イチョウ。推定樹齢600年、樹高25メートル、幹の周囲5.3メートル。
■品川宿交流館
観光カウンター、無料休憩所、ギャラリー、品川宿の歴史と文化を多面的に紹介する展示室がある。
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■寄木神社(よりきじんじゃ)
日本武尊が東征の途中に妃の弟橘姫が海を鎮めるために海神に祈願して入水し、その時の船の残り木または弟橘姫の御衣(ぎょい)が流れ着いたので祀ったと伝えられる。本殿の内側の扉に、伊豆(入江)長八(1815~89)が天の岩戸神話を描いた漆喰の鏝絵が残る。鏝絵は、左官が壁を塗る鏝で立体的に絵を描いたもので、漆喰装飾の一技法。
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■荏原神社
飛鳥時代・和銅2年(709)創建。品川宿の総鎮守だったがのちに目黒川を境に北品川宿の鎮守は品川神社となり、荏原神社は南品川宿の鎮守となった。現在の社殿は弘化元年(1844年)建造。
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■問屋場跡
問屋場は人馬の継立業務と飛脚業務を円滑に行うための施設。品川宿には、北品川宿と南品川宿の2箇所にあったが、文政6年(1823)の品川宿の大火で両方が焼失してからはこの地にあった南品川宿の1箇所のみとなった。
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■海蔵寺
鎌倉時代・永仁6年(1298)創建。江戸時代には、鈴ケ森で処刑された罪人や引き取り手のない遊女などを葬ったため「投げ込み寺」とも呼ばれた。
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無縁供養塔(首塚)。宝永5年(1798)造立。品川溜牢で亡くなった人達の遺骨を集めて築いた塚で、後に天保の大飢饉(1833-40)で亡くなった250人を祀る二百五十人塚や品川宿の飯盛女の位牌や鈴が森で処刑された人の首も合葬されたため首塚と呼ばれた。この塚をお参りすると頭痛が治るといわれた。
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大正4年(1915)造立の京浜鉄道轢死者供養塔。
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昭和7年(1932)造立の関東大震災横死者供養塔。
■旅籠屋釜屋跡
釜屋はもともと立場茶屋(宿場と宿場の間にあり、旅人が休憩や食事をとった場所)だったが、のちに旅籠になり幕末には本陣のような構えに改造し幕府御用宿となった。慶応3年(1867)に新撰組副長の土方歳三等が訪れ、翌年には鳥羽伏見戦から江戸に戻った新選組隊士たちがしばらく滞在したとの記録がある。
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■品川寺
真言宗醍醐派の別格本山。平安時代、大同年間(806~10)創建。
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山門。
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本堂。
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江戸六地蔵。宝永5年(1708)に江戸深川の地蔵坊正元が、浄財を集めて、江戸の入口6か所に造立した江戸六地蔵のうちの一つ。他の5カ所は、浅草、新宿、巣鴨、深川2カ所(うち1体は明治初年に壊され、のち上野に再造)。
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洋行帰りの鐘。慶応3年(1867)にパリ万国博覧会に出品されたが、日本に返される途中で行方不明となる。のちに、スイス・ジュネーヴのアリアナ博物館にあることがわかり、昭和5年(1930)に返還された。これをきっかけに品川区とジュネーヴ市は、平成3年(1991年)友好都市提携を結んだ。
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大イチョウ。推定樹齢600年、樹高25メートル、幹の周囲5.3メートル。