素浪人旅日記

2009年3月31日に35年の教師生活を終え、無職の身となって歩む毎日の中で、心に浮かぶさまざまなことを綴っていきたい。

種から育てたものはまた格別

2013年07月26日 | 日記
 銀行のキャンペーンで花の種をもらった。ダメ元で種から育てることにチャレンジしてみた。発芽、間引きと思っていたよりは順調に育ったが、花がなかなか咲かなかった。今週になってようやく一輪花が咲いた。イメージしていた花花花のかたまりではないが直径1㎜ほどの種からと思うと生命のエネルギーを感じる。さわやかな緑と風に揺れる1つの花は目に涼しさを運んでくれる。
 バックにいるクロボウシも大きくなってきて先日、支柱を全部やりかえた。銀行の渉外担当者が移動で交代した。新しい担当者が先日訪問して来たとき、窓越しに目ざとくクロボウシを見つけた。聞けば多肉植物が大好きで集めているという。クロボウシは2度失敗したという。集めた多肉植物の写真も見せてくれた。クロボウシの育て方のポイントなどで話が弾む。こうなると3度目の正直でもう一度チャレンジしてみたらどうですかと必然的になる。
株分けして順調に育ち始めた小さなクロボウシが鉢が2つあったので1つを養子に出した。もともとこのクロボウシたちも妻の友人がマンションを引き払う時にもらったものである。「育て増やす楽しみ」をたくさんもらった。そのおすそわけといったところ。空いた皿には「多肉さん」に引き取られたことの証にサボテンを置いた。
 今日、お礼にと「多肉さん」から‟蚊とり草”をいただいた。食虫植物らしいが面白がって触りすぎると枯れるらしい。水苔に植えてあるので水を張った皿に入れて置くだけで肥料もいらないということだったので亀蔵の水槽の隅に置くことにした。アクセントにちょうど良いと思った。

 ビニール鉢に入れて置いたとたん、亀蔵が思わぬ反応をした。いつもの慎重さとはうって変りすぐさま鉢に寄ってきて底にもぐろうと試み始めた。頭を突っ込んで足を必死でかくのだが土台無理なこと。あきらめると今度は鉢と水槽の側面の間にできた隙間に入ろうと必死。体を横向きにして行けるところまで行ったら満足したみたいでそのまま休息モードに入った。
   休息中は水草を掛布団にしていることが多い。甲羅の上部を何かで覆われていないと安心できない習性があるのかと思う。
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生駒山上の≪くさか園地北端≫から≪ぬかた園地≫までの管理道(往復で12km)を走る

2013年07月25日 | 日記
 やはり夢は見た。眠れなくて苦労しているけったいなものであった。寝返りうったり、数を数えたり、腹式呼吸をしたりといろいろなことを試しているのである。明け方のその悶々とした浅い眠りから一気に覚醒したのは夢の中から聞こえた「トイレがつまっている」という声だった。家の者はみんな寝ているので「夢か?」と思ったが、夜中、トイレに起きた妻が「トイレがつまっている」と確か言っていたような気がした。夢か現か定かではないのでとりあえず確認するために起きた。

 便器のふたをあけると水が満々とたまっていた。つまっていたのは夢の中の話ではなかったとわかった瞬間、現実に一気に引き戻され、朝の5時からスッポン、スッポンと水抜きの作業に精を出す。排水口にうまくフィットさせないと水が跳ね返ってくる。ツボを探り当て水が抜けていく瞬間は気持ちが良い。おかげで夢のことなど吹っ飛んでいた。

 朝の天気予報で、今日は猛暑になると言っていた。その瞬間、今日は生駒山上を走ろうと決めた。 

 先週、みどりの文化園・室池園地から歩いてぬかた園地のアジサイを見に行った時にくさか園地北端からぬかた園地までの管理道で多くのランナーとすれ違ったことは書いた。あの時、ぬかた園地の事務所の前の休憩所で昼食をとっていた時、小学校と幼稚園に行っている子ども連れた若夫婦と同じベンチに座った。ラグビーかアメリカンフットボールでもやっているような元気の良いお父さんだった。よもやま話の中で走っている人の多さにびっくりしたと私が言うと「実は、僕も時々走りに来ています」という答え。「夏、ここを走ると下界は走れません」という具合にランニング談義となった。彼の場合は30歳を過ぎた時にダイエットの必要性を思いランニングを始めたという。それから走ることに病みつきになり仕事前や仕事後に走っているらしい。

 大阪マラソンは3回とも外れたそうで第1回に出場できた私はうらやましがられた。私が「今年は奈良マラソンにチャレンジする」と話すと「僕も走るんですよ」と奇遇に驚いた。別れ際に「是非、この管理道を走ってみて下さい」と強くすすめられた。田原台にお住まいがあるという他は何もわからないまま別れたご家族だったがひと時楽しい時間を過ごすことができた。

 その時から走ってみようと決めていたが、どうせ走るなら下界では絶対ランニングできない気象条件の時が良いと思った。どれくらい違うか比較できるからである。少し前の猛暑の時に寝屋川公園で暑さによる限界は経験済みなので同じような状態になる日を待っていた。

 今日が試すのには絶好の日となった。

 生駒山麓公園の前の道路には駐車スぺースがあるので都合が良い。そこから「くさか園地北端の灯籠前」までは1分弱。「ぬかた園地の6km地点」までの最初の4km余りは上りである。寝屋川公園とは違いアップダウンがなく緩やかな坂になっているのでペースさえ守れば苦にはならない。太陽が西にまわる14時にあえてスタートしたが、コースの80%は木陰であったので暑さを感じなかった。午前中であればもっと日差しは避けることができる。道路からの照り返しの暑さが無いのが一番よかった。生駒山頂への分岐点を過ぎたら2km弱の下りとなる。アジサイ園の中のS字道路の下りは気分をリフレッシュさせてくれる。6kmの標示板でUターンして、今度は2km弱の上りを頑張れば、あとは下りだけである。往復12kmで1時間28分25秒。途中給水は2度で済んだ。暑さによる疲労感はほとんどない。

 500mおきに距離が標示されているのでペースがつかみやすい。また体調や目的に合わせて走行距離を変更できるので好都合だと思った。夏場に走る場所として定期的にこようと思った。最終的には2往復24kmを走って夏を終わりにしたい。
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「筋肉を活性化させると睡眠中必ずといってよいほど夢を見る」という仮説は確信に近づいた

2013年07月24日 | 日記
 ジムで筋力トレーニングをみっちりした日は意識下にしっかり残るような夢を見る可能性が大きいと前々から思ってきた。意識下に残る夢が楽しいものであれば何の問題もないが残念なことにことごとく苦しんだり、冷や汗をかいたりするものである。目覚めにどっと疲労感に襲われる。

 先週、木、金と志摩に帰っていたのでここ3日間はきちきちとトレーニングに励んできた。筋肉はずい分活性化されてきた。こうなるとそろそろ夢を見るのでは?という予感が的中。明け方自分的にはとっても長い夢を見た。一番嫌な学校ものであった。5教科を1日で朝から夕方まで受け続けるというもの。各教科の難問、奇問に苦しみ、脈絡のない夢の社会、勉強不足を教科担当に説教されたり採点ミスで大騒ぎしたりと生徒になったり教師になったりと一人二役、常にしんどい側ばかりでいつも以上に悪い目覚めとなった。

 高校入試の採点ミスの改善案が報道されていたのを見たことも関係していたかもしれない。


 最悪のマークシート方式は予算その他の問題で見送られたみたいだが、2つのグループが同じテストを別々に採点して点数を見比べるというトランプの神経衰弱のような方法も考えているらしい。これを実際にするとなると手間と労力は計り知れない。人間のほうが神経衰弱になってしまうのではないか。

 ミスのあった学校は従来の方法の中でどこかに甘い部分があったはずである。そこをしっかり分析して教訓として明らかにして、次回きっちりと取り組むようにする。でいいと思う。

 経験的には流れ作業的な感じでサッサ、サッサと○つけをしていく人に採点ミスが多かった。私は少しスローになるがダブル×方式でやっていた。空欄の解答には横線を引きやっぱり空欄だと確認をして・を打つ。誤答には×をつけたあともう一度見直し✓をつけるというように一定のルールをつけていた。文字や数字で微妙な判定をした場合は必ずコメントをいれておくようにした。相撲の物言いの後の説明みたいなものである。慣れてリズムができてくると苦にはならない。

 そして生徒にも、返却の際そのことを事前に知らせることも大切である。要は技術的なことよりもテストの答案に対して誠実に向き合うという精神的な部分が大切ではないだろうか。そのことは作成、実施という過程にも同様のことが言える。作成、実施、採点、返却(合否通知)の4つのハードルを超えるためにはそれなりの緊張感としっかりしたマニュアルが必要である。

 今日はさらに筋肉が活性化された。どんな夢があらわれることか?もう学校がらみのものだけは御免こうむりたい。
 
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もっと質の高いサッカー放送を!

2013年07月23日 | 日記
 横浜Fマリノスとマンチェスター・ユナイテッドの試合は日本のサッカーがレベルアップしたことを見せてくれた。勝ち負けよりも内容が良かった。シーズン真最中、Jリーグ3位につけているFマリノスがシーズンオフで新監督のもとチームづくり段階のマンUに圧勝されるようなことになればそれこそ「どうなっているのだ?」となるだろう。

 サッカーは名前でするものではないということである。海外への選手供給源になりつつあるJリーグである。海外のビッグチームであろうが騒ぐ必要はない。香川においても日本人プレーヤーの中で突出した力があるとは思えない。スーパースターが持つオーラーのようなものを感じることができないのは私だけか?

 昨日の試合ではチームとしての戦いよりも個々のプレイヤーの局面での技、キープ力、つなぎが面白かった。結果、間延びしないテンポの良い攻防となった。そのリズミカルな攻防の緊張感をこわしていたのがテレビ中継のアナウンサーと解説の間延びした談話。試合の流れ無関係にあらかじめつくられていたシナリオに沿った話に終始していたように思う。

 横浜Fマリノスが試合の主導権をにぎりいい感じで戦いを進めるという放送する側からは想定外の展開になったとは思うが、私は試合そのものを楽しみたいわけで、思わず「もう香川のことはいいって」とつっこみを入れてしまった。誰が見ても香川の調整不足ははっきりしているのだから期待するほうが無理である。

 マン・オブ・ザ・マッチに香川が選ばれた時のブーイングともつかないどよめきはまともな反応である。観客の方がサッカーを見る目は肥えてきている。あの試合では先制点をあげ、試合全般で存在感のあったマルキーニョスかカウンターパンチみたいな試合の流れを一撃で変えたヘディングシュートを決めたファビオのどちらかである。あの打点が高くしかもたたきつけたヘディングシュートは最も印象に残った。

 先入観やステレオタイプな見方で放送、報道することから脱却しなければ、サッカーのみならずスポーツ文化は花開かないように思う。サッカー中継はアナウンサーだけにまかせる。解説はハーフタイムと試合後にしっかり入れる。ということを試みる局が出てこないかなと願う。今のスタイルは野球中継と同じである。野球とサッカーでは試合の進み方がまったく違う。野球の確立した方法をサッカーで使うことに無理がある。

 いつまでも海外、海外と有り難がることはない。
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餌を待つようになった『亀蔵』

2013年07月22日 | 日記
 食欲旺盛である。志摩に行っている間餌を与えられていなかったみたいで私が餌の入った袋を持って水槽に近づくと甲羅干し用の石の陰から大急ぎで出てきた。餌を与えられる状況は確実につかんだ様子。
 少し意地悪になって写真などを撮ったりして餌をあげるタイミングを遅らせると側面に手をかけたりしてまだかまだかと催促してくる。生きる力の逞しさを感じる。
餌を入れてあげるとまたたく間に平らげてしまった。ストレス0といったところか。

 本来動物に備わっている生きるためのメカニズムが前頭連合野の発達により不幸にも人間だけは作用しない時がある。しばらくおさまっていたいじめによる自死の問題が出てきている。低年齢化してきているように思われる。死を選択することは問題解決にはならない。ということへのアプローチが弱いのではないかと思う。私は20歳前後の頃に山本周五郎の小説を多く読む中でそのことを学んだように思える。

今、「八重の桜」は前半の山場である会津戦争であるが、スペクタクル性よりもその後の生き方にこそ深く学ぶ価値があるのではないか。八重やさき(捨松)など幕末の動乱を生き抜いた人間にもっとスポットが当たっても良い。
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