素浪人旅日記

2009年3月31日に35年の教師生活を終え、無職の身となって歩む毎日の中で、心に浮かぶさまざまなことを綴っていきたい。

埋もれていた本

2024年01月11日 | 日記
 近代文学館・名著復刻全集の中に埋もれていたのは、篠田桃紅さんの「人生は一本の道」以外に3冊あった。両親がまだ実家で元気に暮らしていた頃に購入していた「大往生したけりゃ医療とかかわるな~「自然死」のすすめ~」(中村仁一・幻冬舎新書)で、実家の蔵書を整理した時に持ち帰ったものだ。ちょうど父が脊柱管狭窄症のため歩くことがままならぬようになり手術しようかどうか迷っている時期に読んでいた。なかなか難しい問題だが、今度は自分の問題として読み返してみようかなと思っている。

 妻の知人から感動したのでといただいた「ブンナよ、木からおりてこい」(水上勉・若州一滴文庫)は、読みかけたままそのままになっていた。あとがきで水上勉さんは「この世の平和や戦争のことを考えてみたかった。それから子供がよりぬきんでたい、誰よりもえらい人間になりたい、と夢を見、学問にも、体育にも実力を発揮し、思うように他の子をしのいでゆくことの裏側で、とりこぼしてゆく大切なことについても、いっしょに考えてみようと思った。」と書いている。先行き不透明で、きな臭い世の中になってきた今、じっくり読む時かもしれない。

 3冊目は、50年前に書かれた「私の中の私たち」(乾 孝・いかだ社)である。紙も黄ばんできていて「いぬい たかし」という名前だけは記憶にあるが内容は覚えていない。あとがきの
 
「私たちが本書を、日本の現実を切り開いて、よりよい未来を築こうと願う人びとにおくったのは、、まさに『70年代』が幕をあけようとする頃でした。
 あれから数年、日本の社会は、人と人との間を裂きながら、大企業の利益だけを保障する”狂乱”をつづけてきました。一方、私たちの周りには、近代主義の発想と行動が根をはりだし、戦後獲得したはずの民主主義や主権在民の思想は空洞化してしまったのではないかと、その内実が問われています。」

を読むと、まだギラギラしていた20代の頃とは違うが、再読してみる価値はあるかなと思っている。

 
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「人生は一本の線」(篠田桃紅・幻冬舎)

2024年01月10日 | 日記
 近代文学館・名著復刻全集の本棚を整理したら復刻本に紛れて「人生は一本の線」(篠田桃紅・幻冬舎)があった。墨を用いた抽象表現主義者として世界的に広く知られている篠田桃紅さんの104歳の時の著書である。日野原重明さんら100歳を越えた方たちが健筆をふるっていた頃に買った覚えはあったがどこに行ったのか行方不明状態だった。

 懐かしき人に再会したみたいに嬉しかった。
 、読み返してみた。平易な文章だが心に響くものが沢山ある。

 どう考えてもいい

1本の線が聞いた。 「どんな線でもいいんだよね」

その横にいた線が答えた。 「どんな線でもいいですよ」

そして、ほかの線も口々に言った。 

「世の中は、こうでなければならない。っていうものではないし、
 どういうふうに考えたっていいんです」

「この世に、絶対なんてことはありませんよ。
 なにかあるとしたら、こっちのほうがいいかも、
 というぐらいのものです」




篠田さんは2021年3月に107歳で亡くなっているが、今度は行方不明とならないように座右の本として大切にしていこう。
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断捨離にスイッチが入る

2024年01月09日 | 日記
 5年ほど前に、思い切って手元にあった80%ほどの本を整理した。その時に手を付けなかった本箱を整理しようと思いたった。入っているのは20代の時に、勢いで買ってしまった「近代文学館・名著復刻全集」である。ずい分な値段だったと思うが、明治、大正、昭和初期の頃の手作り感いっぱいの装丁に魅せられたのは確かである。「定年退職して時間ができたらゆっくりと読もう」などと言っていたが退職して14年となる今も、本棚の奥に並べられたまま手つかず状態であった。自分のいい加減さを見るのが嫌で目を背けていた面も否定できない。

 元日の令和6年能登半島地震で正月気分が吹き飛ばされ、「断捨離スイッチ」がONになり、何となく置いていたものをためらうことなく捨てることができる心理状態になった。

 次女の洋室の部屋を、退職した時に畳ユニットを入れて和洋折衷の部屋にDIYした。「掘りごたつのある部屋があったらいいなあ」という思いが強くあった。今、ユニット畳の下の部分が捨てようか迷ったものを保管しておく最終処分前の中間貯蔵スペースになっている。その一畳部分に果実酒を作るための大口ガラス瓶が7個ほどあった。実家や知人から瓶ごと梅酒、カリン酒などをもらってくることが多くいつのまにか空瓶が10個以上たまってしまった。棚に3~4個入れてあるがそれ以外は場所を取るし、もう果実酒を作ることもしなくなってきたので畳の下に入れっぱなしになっていた。

 それらを缶・ビンの収集日に全部処分したので空のスペースが生まれた。「ここに名著復刻版全集を収納すればいいのでは!」と閃いたのですぐに行動に移した。
  行きあたりばったりで適当にしたがちょうど一畳分のスペースにうまく収まった。
   気が向けば取り出して掘りごたつで読書ということもできるので一歩前進と満足している。

 しばらくは、片付け生活が続きそうである。

 
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「成人の日」に思う

2024年01月08日 | 日記
 成人の日は「大人になったことを自覚し、みずから生き抜こうとする青年を祝い、励ます」ことを趣旨として1948(昭和23)年に制定された祝日だった。それが2000(平成12)年からハッピーマンデー制度が実施されたことで1月第2日曜となった。

 今日、交野市でも成人式があった。ジムのスタッフにも参加者がいて、ちょうど私がジムを終えて帰る時に式から帰った振り袖姿のスタッフが皆から祝福されていた。

 ロッカールームでは「1月15日の方が良かった」と言う声が多かった。ただ成人式に出席したという人はほとんどいなかった。私もその一人であった。名古屋に下宿していたので成人式は格別意識していなかったし、両親も無関心だったと思う。

 また、成人式の年齢についても話題にのぼっていた。成年年齢を18歳に引き下げることを内容とする「民法の一部を改正する法律」が,2022年4月1日から施行されたことで論議があったが、コロナ禍のため式そのものが実施されない自治体も多かったこともあり話題にされなくなった。それでみんなの頭がゴチャゴチャしたままになっていることがわかった。

 交野市は従来通り20歳での成人式だったようだ。ほとんどの自治体が20歳みたいだが、三重県の伊賀市は18歳での式への移行措置をしてきたみたいで、興味があったので伊賀市のホームページを覗いてみた。

 
民法改正後の成人式について
令和4年度(令和5年)から伊賀市成人式の対象年齢を20歳から18歳に変更します。  

「成人式」とは・・・
「成人の日」は、大人になったことを自覚した青年を祝い励ます日として法律で定められており、伊賀市でも成人になった節目を祝って「成人式」を開催しています。
周りの大人たちに守られてきた子ども時代を終え、新成人たちが社会的な責任を持ち、大人の社会へ仲間入りすることを自覚する。また、社会が新成人を祝福し、成人として扱うことを確認する節目として行うのが「成人式」です。

●20歳成人式  
【対象者】2002(平成14)年4月2日~2003(平成15)年4月1日生まれ
【開催日時】2023(令和5)年1月8日 開式午後1時(受付午後12時30分)
【会 場】9会場(中学校区別)
●19歳成人式 
【対象者】2003(平成15)年4月2日~2004(平成16)年4月1日生まれ
【開催日時】2023(令和5)年3月19日 開式午後1時(受付午後12時30分)
【会 場】9会場(中学校区別)
●18歳成人式             
【対象者】2004(平成16)年4月2日~2005(平成17)年4月1日生まれ
【開催日時】2023(令和5)年5月4日 開式午後1時(受付午後12時15分)
【会 場】1会場(伊賀市文化会館)

●令和6年以降に行う成人式は、毎年5月4日に開催します。

とあり、着々と進めて来て今年から本格的に切り替わることになる。18歳にした場合の一番のネックは受験時期と重なることであるが、それを回避するために5月4日を設定したのは妙案だと思った。

18歳の成人式を5月4日とした理由・・・
民法改正による成年年齢の引き下げに伴い、対象者の年齢が18歳になる年度の1月に行おうとすると、多くの人は受験や就職活動などの準備があり、参加が難しくなると考えられます。そのため、皆さんが参加しやすいよう、対象者の年齢が18歳になった翌年度のゴールデンウィーク(5月4日)に開催します。


 成人式における18歳と20歳の二重構造はいずれ解消しなければいけない。伊賀市の取り組みはいい先行事例として参考になる。と思った。でも、成人式よりももっと選挙に参加していくことの方がより重要であるように思う。
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不信の増大

2024年01月07日 | 日記
 新年のイベントで、ホンダの販売店の方との話の中で新年早々の能登半島地震や航空機衝突事故の他に、昨年にあったビッグモーターやダイハツの問題が直接関係はないが、業界に対する信頼感を失くしたという点で大きかったと話されていた。

 点検整備に関しての話は信頼関係がベースにあってこそ成り立つ。不信を持たれたらどんなアドバイスにも耳を傾けてもらえなくなり、そのことがお客さんの安全を損なうことにつながってしまうことを危惧している。という話はよく理解できる。

 物事にはそれぞれの専門家がいて、その道の専門家に任せるのが良いという意味で「餅は餅屋」という言葉が古くから使われている。「餅は餅屋」を英語で表すと「Every man knows his own business best」となり、「誰もが自分の専門のことは一番よく分かっている」と訳されている。

 今の家を作る時、営業の人に間仕切りのことで要望を出すと「できます、できます!」と引き受けてくれたが、実際に大工さんに要望を出すと「かえって使い勝手が悪くなるのでやめたほうがいい」と言われた。大工さんのアドバイスに従ったのだが、完成した時にその正しさがわかった。

 これまでさまざまな場面で「餅は餅屋」ということを経験してきたので、「餅は餅屋に任せれば良い」を大原則にしてきた。しかし、今社会全体に専門家への不信感が増幅しつつあるように思える。

 人からの信頼は、銀行口座のように増減するものだと思う。個人でも社会(会社、政党、行政、司法など)でもそれぞれの「信頼口座」の貯えを増やすことが大切である。

 友人との約束を守ったり、気遣いをすれば信頼口座の残高は増える。逆に、無礼な振る舞いや不誠実な態度を取れば信頼口座の残高は減る。毎日会う同僚には話せなくても、数年ぶりに会う旧友に思いを打ち明けられることがあるのは、お互いに長年培ってきた信頼口座の残高が十分あるからだ。

 社会のことはともかく少なくても自分自身の「信頼口座」が枯渇しないように日々を過ごしていきたい。
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